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2014年4月30日











スナビキソウを守ろう
蝶愛好家のグループ 神崎浜で流木清掃
アサギマダラのえさ絶やさぬ

 旅する蝶のアサギマダラのえさとなるスナビキソウを守ろうと、舞鶴市アサギマダラの会が、昨年9月の台風18号によって大量の流木が打ち上がった神崎海水浴場の砂浜で、このほど清掃活動をした。海岸に自生するスナビキソウを覆うごみを一日がかりで拾い集めた。波をかぶらない畑で増やす取り組みもしている。
 アサギマダラは初夏に南西諸島などから日本へ北上し、産卵を終えて秋に再び南下する。約2000キロを飛ぶ途中に、舞鶴市内の神崎浜やフジバカマのある庭などで休む姿が見られる。生態があまり解明されていない珍しい蝶を保護し、国内外の愛好家と交流しようと、神崎でスカイスポーツを楽しむ女布の村上貴是さん(66)らが同会を設立した。現在、会員は50人にまで増えた。
 神崎の砂浜にはスナビキソウが自生しており、オスが6月に咲く花の樹液を吸う。昨年6月に近くの由良川小学校の児童たちが観察に訪れ、捕獲した蝶の羽に日付や学校名などをサインペンで記すマーキングをした。
 昨年の台風18号で由良川が増水し、流域から木々や枯れた植物などが砂浜に漂着した。府が毎年、冬の間に2キロにわたる海岸に打ち上がった流木を7月の海開きまでに回収しているが、今年は例年に比べて多いという。京都市の会員の田中一広さん(63)らが重機でスナビキソウが踏まれないように、スナビキソウが残る場所を囲って手作業でごみを集めた。
 村上さんは「スナビキソウを守るため、近くの畑などに植え替え増やすこともしています。今年も観察会とマーキングをしたい」と話している。

写真左=砂浜に漂着したごみを回収する市民たち
写真右=ごみに覆われたスナビキソウ



今年は南相馬市を訪問
復興応援プロジェクト「縁」

 東日本大震災の被災地にお祭りの出前をしようと、復興応援プロジェクト「縁(えん)」の一行が5月6日、南相馬市原町区の岩屋(がんおく)寺を訪れる。清水寺の森清範貫主の講演、手打ちそばの接待やマッサージ提供、お地蔵様の人形などを届ける。
 桂林寺の能登春夫住職や市民たちがプロジェクトを結成し、一昨年に宮城県気仙沼市、昨年は岩手県宮古市に出向いた。今年は福島第1原発事故の影響でいまも苦しむ福島県南相馬市を選んだ。小さな子供を持つ親らは町を離れ、震災後からまだまだ人は戻って来ていない。
 4日に23人でバスで出発する。6日は震災犠牲者の慰霊法要をし、森貫主が講演と一字揮毫する。舞鶴在住の増田典子さんや清水直樹さんらが整体や鍼灸を行い、綾部のそば打ち職人が接待をする。表千家流堀内長生庵の茶道家たちが茶会を催す。
 また、桂林寺のご詠歌グループ「梅花講」の女性たちが手作りしたお地蔵様の人形300体、パッチワーク教室の女性が作ったバッグ、絵手紙などを贈る。
能登住職は「共生(ともいき)の縁でつながっている被災地を忘れてはいけないとの思いで取り組んでいます。協力してくださった皆さんの心を届けたい」と話している。

写真=市民が手作りした人形や絵手紙を届ける



2014年4月25日

新しいグラウンドで伸び伸び
倉梯幼稚園とさくら保育園 アンパンマン広場完成
枕木クライミングの遊具も

 倉梯幼稚園(森田和子園長、園児188人)とさくら保育園(森田達郎園長、園児111人)に、共同で利用する新しいグラウンドが行永に完成し、園児たちが枕木を使ったクライミングの遊具などで元気に遊んでいる。敷地内にはアンパンマンのパン工場をイメージした建物も立ち、会議室に活用している。
 これまでのグラウンド(約800平方メートル)は七条中町の両園の園舎前にあるが、園児が多いために時間差を設けて利用し、新しい遊具が置けないなど手狭だったため、第2グラウンドの設置を計画していた。
 新グラウンドは園舎から近くに位置する実習農園の一部と、住宅を取り壊した敷地に造成した。L字型で広さは約925平方メートル。昨年から水はけをよくする工事や建物の建設などに取り組んだ。子供たちに人気のアンパンマンの広場として設定した。
 枕木クライミングは高さ2〜1・5メートルの高さが違う20本が、間隔を空けて地面に立つ。1本1本に突起物が付き、手足をかけて横に移動して遊ぶ。このほかにも、すべり台やジャングルジムなど3種類を組み合わせた木製遊具、鉄棒など7種類の遊具を設置した。
 平屋建ての建物はアンパンマンの本などを参考に、パン工場をイメージした外観に仕上げた。屋根にはアンパンマンとバイキンマンの人形を置いた。会議室とトイレ、除雪機の格納庫として利用している。
 森田和子園長は「指先と足を使うクライミングの遊具を作るのが夢でした。グラウンドで子供たちが伸び伸びと遊び回ってほしい」と話している。

写真=グラウンドに設置された枕木クライミングで遊ぶ幼稚園児たち



平和の願いバトンつなぐ
アンネのバラ 市内の7中学校へ
ふりそでの少女像をつくる会

 バラで平和のバトンをつなごうと、綾部市の市民グループ「ふりそでの少女像をつくる会」(四方修吉代表)が、このほど舞鶴市内の各中学校を訪れ、アンネのバラの苗木を贈った。
 ベルギーの育種家が作った新種のバラ。ナチスによるユダヤ人迫害で亡くなったアンネ・フランクの父のオットーさんに贈られ、平和の心をバラで広げようと、世界中にバラを届けている。
 その1本が綾部市の山室隆一さんに託され、接ぎ木をして全国各地に贈ってきた。隆一さんが亡くなった後は、息子の建治さん(73)が遺志を継ぎ、同会の主催で接ぎ木会を開き苗木を増やしている。
 32年前、隆一さんが舞鶴市内の各中学校に届けたが、バラの寿命は20年とされるため、今回新たに市内7校に苗木7本を贈った。建治さんは「城南中では挿し木で増やしてくださっているのを知りました。アンネが15歳で亡くなったことから中学校に届けています」と話している。

写真=若浦中へアンネのバラの苗木を届けた山室建治さん(左)



2014年4月22日

3つの節目魅力伝える
尺八の中村雅園さん 4月27日、邦楽演奏会
「心休まる音色を存分に」

 喜寿(77歳)を迎えた尺八演奏家の中村雅園(がえん)さん=浜=が会主を務める上田流尺八道竹龍会が創立60周年を、中村さんが道場を開いてから50周年を迎える。3つの節目を記念した邦楽演奏会(舞鶴市民新聞社など後援)が、27日午後0時半から浜の総合文化会館で開かれる。プロや各地の演奏家も駆けつけ、演出を凝らして尺八の魅力を伝える。
 中学、高校とバスケットボールをし、国体の府代表選手にも選ばれた。海上自衛隊技官として舞鶴で勤務していた22歳のころ、通勤する東舞鶴駅までの道を歩く中、聴いた尺八の音色に心が落ち着いた。その後、自衛艦から尺八の音が聴こえ、吹いていた自衛官の林秀園さんに教わることにした。
 林さんに「何歳まで尺八はできますか」と問うと「死ぬまでできる」と答えが返ってきた。その意味を理解できなかったが、宇治の平等院で国宝「雲中供養菩薩像」の52体の中に、縦笛を吹く菩薩があるのを見て、謎が氷解して一層熱心に稽古に励んだ。
 転勤した林さんの弟子を預かる形で、64年に道場を開いた。また、林さんの兄で同じく演奏家の秀憧(しゅうどう)さんの亡くなった後、竹龍会の会主を引き受けた。
 退職後、心肺停止となって4日間意識不明となったこともあるが、市民病院に指導に来ていた米国人医師に尺八を教えた縁で助けられたこともある。命を取りとめたことで使命感をもって教え、市内の中学校で若い人に体験してもらおうと授業を担当した。心臓にペースメーカーを入れるいまも指導に励む。
 演奏会は5年ごとに開催している。4月27日は神戸や奈良などの演奏家、竹龍会メンバーら総勢50人による「勢州伝 手向(たむけ)」、戦後日本のラジオからよく流れてきた福田蘭童の名曲をはじめ、舞台演出も工夫する。
 中村さんは「尺八によってよい人に巡り会うことができた。心が休まる音色の魅力を存分に聴いてもらえる演奏会にし、一人でも新たに手にしてもらえれば」と話している。入場無料。
【問い合わせ】電話62・1066、中村さん

写真=尺八の音色を響かせる中村さん



大逆転勝利で関西の頂点に
舞鶴ボーイズクラブ 阪神あわじ大会

 中学生の硬式野球チーム「舞鶴ボーイズ」(山下達郎代表)が、このほど淡路市の淡路佐野運動公園などであった第31回阪神あわじ大会で、初めて優勝した。決勝は強豪チームを相手に大逆転劇で勝ち、関西の頂点に立った。
 同大会は関西の53チームが出場し、4月5、6、12、13日に行なわれた。舞鶴ボーイズは1、2回戦、投手陣が相手打線を完封に抑え、3回戦以降は我慢の野球で粘り強く勝利を手にした。
 決勝は強豪の大阪東ボーイズと対戦。立ち上がりにエラーをきっかけに本塁打を含む長短打で5失点をしたが、毎回得点を重ねてじりじりと追い上げた。
 5回裏2アウト3塁の場面で、廣野秀斗選手(城北中3年)の三塁打で同点に追いつき、続く木下竜哉選手(綾部中3年)と加藤亮選手(城南中3年)の連続二塁打で逆転。投げては谷勝投手(同3年)が3回以降を1安打無失点と立ち直り、大逆転で関西を制した。
 主将の上山能史(たかし)選手(城北中3年)は「全員の勝ちたいという気持ちが優勝につながったと思います。自信を持って次からの大会でも優勝を目指したい」と話している。
 試合結果は次の通り。
1回戦
舞鶴0024002 8 【舞】谷(勝)、藤原―小嶋
甲賀0000000 0 【甲】紀野、岩本―安部
▽三塁打=【舞】清水▽二塁打=【舞】谷(仁)【甲】岩本、安部
2回戦
舞鶴40221 9 【舞】谷(仁)、濱田―小嶋
尼崎00000 0 【尼】黒長、吉村、中村―奥田
▽二塁打=【舞】谷(仁)、清水
3回戦
舞鶴1002130 7 【舞】藤原、谷(仁)―小嶋
神戸0021000 3 【神】今津、和田―蔭川
▽三塁打=【舞】清水、廣野▽二塁打=【舞】清水【神】池ノ上
4回戦
明石0000010  1 【明】西本、井原木―藤原
舞鶴001001× 2 【舞】谷(勝)―小嶋
準決勝
和歌山0000010 1 【和】大崎―大橋
舞鶴000200×  2 【舞】谷(仁)―小嶋
▽二塁打=【舞】清水【和】中岡
決勝
大阪5100000  6 【大】岡崎、上野―清水
舞鶴121130× 8 【舞】谷(勝)―小嶋
▽本塁打=【大】森▽三塁打=【舞】廣野【大】田中▽二塁打=【舞】木下、加藤【大】富田

写真=優勝した舞鶴ボーイズの選手たち



2014年4月18日

まちの魅力再発見して
「KOKIN」 西地区舞台に写真集作成
「歩いてつながる暮らしを」

 平野屋の貸しスペース「舞鶴町屋 宰嘉庵(さいかあん)」を中心に活動するまちづくりチーム「KOKIN(こきん)」(大滝雄介代表、10人)が、西地区のまちを舞台にした写真集「ぼくのまち」(B6版、46n)を作成した。歩く中で出会った肉屋や魚屋、書店、銭湯、そこで働く店主たちを印象的な写真で紹介し、再発見したまちの魅力を発信している。
 建築士や会社員などの若者たちで同チームを結成し、明治期の民家を改修して貸しスペースとして運営する。写真展や講演会などを開き、市民らがマンガ喫茶などで利用している。
 ワークショップなどで城下町の西地区商店街を巡ったことで、まちを歩いてその魅力を知ってほしいと、シンプルな写真集を企画。南田辺のソラカメラのカメラマン、中村瞳さんが撮影を担当、メンバーたちが挿絵や文章、豊富な人脈など得意分野を活かした。
 数日かけ竹屋などをぶらぶらと歩き、顔馴染みになった店主やその場で偶然見つけた一コマも収めた。懐かしいデザインの銭湯、ソロバン玉をはじく手元、好奇心に誘われ干物を見る子供と魚屋の店頭、かわいいものが一杯のパン店、笑顔の和菓子店の夫婦、家業を継いだ青年など、25カ所を掲載した。
 紙幅の制約上、紹介し切れなかった店も多かった。今後、門前町や魚市場など、他の地区シリーズも検討している。
 大滝代表(32)=寺内=は「暮らしの香りが伝わり、手にとっていいなと感じられるものになった」、副代表の矢野麻衣子さん(34)=西方寺=は「削りたての鰹節のお店を知り、よく利用するようになりました」、舞鶴出身の西野正純さん(23)=丹波市=は「まちのファンを増やしたい」、大滝みとさん(35)=寺内=は「歩いて商店街で買物をすることが多くなり、暮らしの中で人とつながっているんだと感じています」と話す。
 1000部作り、1部300円。舞鶴堂書店やコムギ屋などで販売中。問い合わせはKOKIN(kokin.tnb@gmail.com)へ。

写真=完成した写真集を手にする大滝代表、矢野さん、みとさん、西野さん(左から)












「与保呂川の千本桜」を歩く
浄水場内で名所復活の植樹も

 与保呂川沿いの千本の桜並木を歩く「与保呂さくらウォーキング」が4月13日、市民ら約150人が参加して行われた。花びらが少し散り始めていたが、咲き誇る桜を眺めながら、浜の白糸浜神社から与保呂の桂貯水池までの約7キロを2時間かけて歩いた。道中、与保呂集会所で与保呂区民花見会に参加して昼食を取り、蛇切り岩広場で蛇切り岩伝説の説明を聞き、与保呂浄水場内で桜の植樹会も行った。
 NPO法人・舞Iドリーム 与保呂川を桜の天の川にする会(西村敏弘代表)が主催し、19団体で運営する恒例のイベント。同会は与保呂川の下流から上流の両岸に1993年から桜の植樹を続け、今では「与保呂川の千本桜」と親しまれる名所となっている。
 2009年からは、大正末期から昭和50年代にかけて桜の名所として親しまれていた与保呂浄水場内を、名所として復活させようと約100本の桜を植樹している。秋にも楽しめるようにと、今年3月からはもみじや楓約20本も植樹し、この日は最後のしだれ桜の植樹式が行われた。
 ウォーキング参加者や運営団体の会員、与保呂小6年生児童、市水道部職員らが参加し、西村代表が「今後立派な桜の公園になって市民のみなさまに親しまれて欲しい」とあいさつ。
 与保呂小児童2人が学校から見える桜への思いを綴った作文を朗読し、その後、全員で植樹を行った。

写真左=与保呂川上流の桜を眺めながら歩く参加者たち
写真右=与保呂浄水場内でしだれ桜の植樹を行う西村代表(左から2人目)ら



2014年4月15日

水泳パイオニア足跡記す
舞鶴出身の菅谷初穂さん 5人の子が自費出版
五輪出場 「少女時代の舞鶴が原点」

 1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで、水泳女子日本代表主将として出場した舞鶴出身の菅谷(旧姓松澤)初穂さん(1914〜2011)の足跡を伝える本が、菅谷さんの子5人の手によって自費出版された。残された日誌などを元に、舞鶴での少女時代、水泳選手、母親、70歳を過ぎ再び水泳をしたエピソードなどを、190点の写真とともに掲載している。
 海軍軍人の父を持つ菅谷さんは新舞鶴尋常高等小学校(現新舞鶴小)を卒業、舞鶴高等女学校(現城北中)から転校した大阪府立市岡高等女学校(現港高校)で水泳を始めて自由形50メートル、100メートルで日本新記録を出した。日本女子水泳が初めて参加したロス五輪に18歳で自由形100メートルに出場。36年のベルリン五輪ではコーチとして参加し、金メダルを獲得した前畑秀子選手を支えた。
 西宮市に住み70歳以降に再びプールに戻り、マスターズ水泳大会で世界新記録を連発した。戦争や震災を体験しながらも精一杯生き、96歳で亡くなった。新舞鶴小の後輩で舞鶴出身の版画家、田主誠さん(71)が、菅谷さんを再発見し偉業を紹介したことをきっかけに、12年に市政記念館に菅谷さんのコーナーが設けられ、また5人の子供たちに本の出版を勧め、生誕100年になる今年完成した。
 タイトルは「日本女子水泳のパイオニア 菅谷初穂の歩み」(A5版、167ページ)。3部構成で、1部は残された日誌を元に田主さんの知人の編集者、石川泰子さんが舞鶴の少女時代や選手時代の活躍、子育て、マスターズへの挑戦などを執筆した。
 2部は、ベルリン五輪棒高跳びメダリストで、舞鶴出身の大江季雄選手と菅谷さんが同じ年に生まれ、近所に住んでいたことを田主さんが紹介したほか、ゆかりのある人たちが寄稿。3部は5人が阪神淡路大震災で自宅が全壊した被害を乗り越えたこと、好きな歌が支えだったなど、母親との日々を回想して書いた。
 長男の定彦さん(75)は「母にとっては舞鶴が原点。逃げない、めげない生き方を行動で示してくれた」、長女の典子さん(72)は「晩年はよく舞鶴へ行きたいと話し、家族で2回出掛けた」、四女の岡智子さん(64)は「分け隔てがなく、いつまでも輝いて明るい太陽のような母が大好きでした」と話す。
 1000部作成し、300部を舞鶴市へ寄贈した。市は各小中学校、図書館などに置く予定。

写真=母の歩みを書いた本を出版した兄妹たち



舞鶴出身の田主さん
版画176点 市へ贈る
故郷の風景、世界の民族など

 舞鶴出身の版画家、田主誠さん(71)=茨木市=が、昨年11月の展覧会に出品した全作品176点を舞鶴市に寄贈し、4月10日、多々見良三市長に目録を手渡した。舞鶴の風景や世界の民族、三角形による表現世界などを描いた。
 家業の印刷業を手伝って育ち、海上自衛隊で事務官をしながら創作を続け、旧ユーゴスラビアの国際版画展に入選。1977年に国立民族学博物館に移り、民族学シリーズの版画を製作した。50歳を機に退職して世界各地の文化を見て歩き新聞などに連載し、作品点数は1万点を超えた。
 昨年11月に智恵蔵で展覧会を開催。舞鶴湾の波から着想した三角形を組み合わせた抽象的な絵、丸山小学校の児童たちが運動会の練習で走る姿、アフリカなどの仮面シリーズ、ネパールやタイなどの人々の暮らしを描いた版画を並べた。
   田主さんは「独学で絵を学んできた私の技法が子供たちの参考になれば」と話している。今後も毎年200点を展示して市に寄贈したいという。今年は9月に作品展を開く予定。市は寄贈作品を市民に紹介する。

写真=寄贈した版画と田主さん



2014年4月11日

大きく成長、中学生活始まる
長柄君 医療ケア受け中筋小6年間過ごす
友達いっぱい 笑顔広がる

 先天性横隔膜ヘルニアをもって生まれた長柄智也君(12)=境谷=が、8日に城南中学校に入学し、中学生の生活をスタートさせた。肢体不自由と知的障害を持ち、栄養を鼻から補給する医療的ケアを必要とするが、6年間、地域の中筋小学校で過ごした。多くの友達と触れ合って大きく成長した智也君。父親の俊治さん(51)と母親のさゆりさんは長男の智也君の新しい歩みを見守る。
 1860グラムで生まれ、生きていく確率は1%と告げられた。すぐに京都府立医大病院で10時間に及ぶ開腹の大手術を行い、生後3日目に2回目の手術を受けた。初めて抱っこができたのは3カ月後だった。ICUで8カ月を過ごし、合計6回の手術を乗り越えた。
 11カ月で舞鶴医療センターに転院。1歳1カ月で同センターを退院したが、当時は栄養分をチューブで鼻から注入するのが朝7時から始め、終わるのは夜中の3時。世話をするさゆりさんは睡眠が取れなかった。
 3歳から児童デイサービス「さくらんぼ園」に通わせた。友達と遊ぶ姿に2人は保育所に行かせたいと問い合わせるが断られ、やっと5歳で中保育所に入園できた。
 友達に囲まれ成長する息子を目の当たりにし、夫妻は「障害を持ちながらも元気に過ごす子供たちや、何度も手術を乗り越え頑張る子供たちがすぐ隣にいることに気づいてほしい」と、地域の小学校に通わせたいと強く思うようになった。何度も話し合い、中筋小に入学が決まった。
 現在栄養の注入は智也君の場合、朝昼晩の3回必要。いまは1回400cc、約1時間半で終わる。支援学校以外でこうした医療的ケアを行なえるのは看護師か親のみ。市教委に看護師の配置を要望したが叶わず、6時間目の授業やクラブ活動がある時のみ、さゆりさんが6年間学校を訪れケアを行なった。送迎は毎日車で続けた。
 普段は支援学級で授業を受けるが、交流授業の時間で体育や音楽、理科などで多くの友達と過ごした。教諭たちも智也君が授業を受けやすいよう工夫を重ねた。4年生ごろから給食も少しずつ食べられるようになり友達と一緒に食べ、児童たちが智也君のできる遊びを考えた。車椅子や歩行器を使うが、杖をついて歩けるようにもなり、運動会では太鼓演奏などで参加した。
 休日には友達が自宅に遊びに来てくれた。夏休みにはピザづくりを楽しみ、冬には雪だるま作り。学校でデジカメクラブに入る智也君が撮影を担当した。友達たちはさりげなく車椅子を押し、互いに笑顔を交す。
 6年間、1日しか休まなかった智也君。「学校が大好きで休みが嫌い。友達と一緒に食べた給食が楽しかった」と振り返る。言葉も増え自分の思いを伝えられるようになった。友人たちと一緒に入学式に臨んだ。
 俊治さんは「小学校では運動会で、みんなと一緒に組体操に参加できたことが一番印象に残っています。毎日元気に登校し、友達の輪を広げ色々なことにチャレンジしてほしい」と入学式を見守った。
 さゆりさんは「同級生の子供の中には介護士になろうという子もいたり、学校も全体で支えていただき大変感謝しています。以前は人と関わることに不安がありましたが、今は同じ場にいるだけで嬉しそうにしています。地域の小学校を選んだことが間違いでなかったと、智也の満面の笑みが答えてくれます。親も成長できた6年間です」と話している。

写真=小学校からの友達と城南中の入学式に出席した長柄君(俊治さん提供)















18の小学校で春
新1年生746人が入学

 市内の18の小学校で4月7日、平成26年度の入学式が一斉に行われた。今年度の新入学児童は、平成19年4月2日〜同20年4月1日生まれで、全入学者数は746人(昨年度8181人、各学校の入学者数は表を参照)。
 47人が入学した行永の倉梯第二小学校(小谷和弥校長)では、入学式用の洋服に身を包んだ新1年生たちが、6年生や保護者らに拍手で迎えられ入場。2人の担任教諭からクラスごとに1人ずつ名前を呼ばれると、「はい」と大きな声で返事をし、入学認定を受けた。
 小谷校長は「ご入学おめでとうございます。元気よくあいさつをすること、友達にやさしくすること、お話をしっかり聞くことをがんばって、立派な1年生になってください」と、お祝いの言葉を贈った。
 また、6年生51人が「ドキドキドン!一年生」を合唱し、代表の6人が劇で学校の1日の様子や年間の行事を紹介。「みなさんは今日から倉二っ子の一員です。明日から元気に登校しましょう。待ってます」と言葉を述べ、新1年生たちの入学を歓迎した。

写真=大きな声で返事をして入学認定を受けた倉梯第二小の新入学児童たち



2014年4月8日

まいづるスイミングクラブで初開催
身障者の水泳 北部で普及を
京都市のスタッフ招きトレーニング
競泳、シンクロ伸びやかに

 泉源寺のまいづるスイミングクラブでこのほど、京都市の障害者スポーツ振興会水泳専門部のスタッフ4人による、身体障害者の水泳トレーニングが府北部で初めて行われた。知的障害や視覚、聴覚などに障害のある体の不自由な7〜66歳までの13人が参加し、水泳やシンクロナイズドスイミングを教わって楽しんだ。
 同部からの府北部の身障者たちにも水泳を楽しんでもらいたいという呼び掛けと、同クラブ元顧問で京都水泳協会の藤井正悟副会長の普及への思いが重なり、身障者の練習コースを設ける同クラブが賛同して行われた。
 参加者たちはコースに分かれ、同部の森田美千代部長(60)らからクロールや背泳ぎなどの息継ぎや足の動かし方などを教わり、得意な泳ぎ方で25メートルプールを何往復もした。
 また、京都市から参加した、シンクロナイズドスイミングの身障者全国大会出場経験を持つ女性2人が演技を披露。1人は歩くことができず車椅子の生活で食事もほとんど噛むことができないが、見事な泳ぎで音楽に合わせて演技をし、参加者たちから大きな拍手が贈られた。その後、全員で「さんぽ」の曲に合わせて、平泳ぎと背泳ぎなどを合わせたシンクロを体験して楽しんだ。

写真=シンクロナイズドスイミングを楽しむ参加者たち



舞鶴に駐留、引き揚げ撮影
抑留の歴史伝えて
元米国兵日系のオカさん 65年ぶり再訪

 終戦直後に舞鶴に駐留した日系2世の元アメリカ兵士、ウォルター・オカさん(85)=米オハイオ州シンシナティ市=がこのほど、65年ぶりに舞鶴の地を踏んだ。引揚援護局のあった場所や当時の様子を撮影した写真を寄贈した平の引揚記念館を見学、抑留の歴史を伝える大切さを語った。
 終戦後、日本に進駐した連合国軍(GHQ)は、舞鶴では元海軍兵学校舞鶴分校(旧海軍機関学校)跡を兵舎にし、引揚者から旧ソ連の情報を収集。戦時中、米国政府は日系人を日本の戦後処理に活用しようと、駐留軍に配置した。
 46年入隊のオカさんは陸軍情報部に配属され、47年4月〜49年1月まで舞鶴に滞在、聞き取りをしつつ個人的に写真撮影をした。写真は趣味としており、撮影は規制されなかったという。引揚船内での検査などの写真79枚の電子データを同記念館に寄贈。当時では珍しいカラー写真9枚も含まれ、同館は昨年、企画展で紹介した。
 勤務した佐世保市でも同じく引き揚げの様子、48年の福井地震直後の被災地でも撮影し、現地の施設に写真を贈った。3月20日から今月上旬まで各地の寄贈地を訪問。舞鶴では同記念館の山下美晴館長らが案内した。
 オカさんは「抑留中、ノルマを達成したら次の日はさらにノルマが増え、達成できなければ食料が減らされる話を聞き、奴隷的に扱われていた印象を受けた」と振り返り、「戦争や抑留の歴史を若い人たちに伝えてほしい」と話した。

写真=引揚記念館で当時の様子を語るオカ氏



2014年4月4日

かき小屋 連日満席大人気
身の大きな天然マガキ安く提供

 舞鶴湾産の天然マガキを食べることができるかき小屋「美味星(おいすたぁ)」が、1月25日のオープン以来、ほぼ満席の賑わいを見せている。身が大きい天然ものを安くで味わえるとあって、京都南部からのお客も多い。自ら漁獲して提供する漁業者たちは予想以上の反響で、営業日は接客に大忙しだ。
 舞鶴湾はプランクトンが豊富で、かきの成育に好条件の環境が揃う。以前ならアサリが生息した砂浜でも石が入ると天然マガキが居つき、汽水域近くの湾内ならどこでも見かけ、10年前から漁獲量も増えだした。身が大きく味も濃いのが特徴で、漁連市場に出荷し市内のスーパーや京阪神などで販売されている。
 しかし、漁業者は値が安いことが悩みだったことから、天然マガキの魅力を広め付加価値をつけようと、かき小屋を下安久の府漁協舞鶴支所横に開設。同支所西地区の潜水漁業者グループ(濱内喜久男代表)の15人(19歳〜60代)が運営する。
 営業は土・日・祝日の@午前11時A午後0時半B同2時。予約制。8人掛けのテーブル4卓には特注の鉄板が据えられ、貝や魚を蒸したり焼いたりできる。開店以後、多い日は50件の問い合わせがあり、一日平均90人の来店者とほぼ満席状態が続く。
 舞鶴市内が半分弱、京都市や亀岡などからも多く、家族連れ、若い女性グループなどが目立つ。鉄板に載せられたたくさんの大きなマガキに驚き、写真を撮る人たちも。漁業者たちが殻を開けるなど調理・接客を務める。
 濱内代表(46)は「こんなにお客さんが来てくれるとは想像しなかった。じかにお客さんに接し、おいしいと言ってもらえるのでこちらも楽しい」、予約担当の北村敏雄さん(51)は「カキだけでお腹が一杯になったとよく聞きます」と話している。  営業は4月13日まで。天然マガキ12個で1,500円のほか、サザエ、干物のササガレイなども揃える。天然マガキの生の持ち帰りは1個100円。来シーズンは11月から。
【問い合わせ】電話090・8829・2527、北村さん

写真=鉄板の上一杯に置かれた天然マガキに喜ぶ来店者たち



生活介護・就労支援施設
「もくもくvillage」念願の第1期生が入所
支援学校卒の7人

 心身の発達に遅れを持つ子供たちの家族でつくるグループ「もくよう会」(中野和子代表)が中心となり、昨年6月に上福井の民家を改装して開設した、生活介護と就労支援の施設「もくもくvillage」(長水孝治郎所長)で3月30日、平成26年度入所式が行われた。念願の第1期生として、堀の舞鶴支援学校高等部を卒業した7人が入所し、弁当配達などの仕事をしたり、リハビリなどの生活介護を受ける。
 同施設は2002年に結成された「もくよう会」が、子供たちの学校卒業後の社会での居場所を自分たちで作ろうと計画。12年には万願寺に日中の一時預かりの支援事業所「もくもくハウス」も開設している。現在、会には約50家族が入会している。
 式典には保護者や関係者ら約40人が出席し、長水所長が「入所された第1期生のみなさんは、とても貴重で大切な存在です。心から歓迎します。今後の大きな前進と飛躍を目指し、独自の個性豊かな施設づくりに取り組みます。ゆとりある楽しい雰囲気の中で一緒に毎日を過ごしましょう」と式辞を述べた。入所生たちは1人ずつあいさつをし、温かい歓迎を受けた。
 同施設は現在、看護師やヘルパーなどの資格を持つ会員6人がスタッフを務め、利用者は入所生を含めて12人となった。
 同会は子供たちの将来を考え、親が元気な間に離れて共同生活ができる場を作ろうと、22年開設を目指して「もくもくシェアHOME」(仮称)も計画している。

写真=入所式で式辞を述べる長水所長



2014年4月1日

一条クラブが卓球の原点
上田仁選手 春から強豪の社会人チームへ
帰郷し後輩たちにアドバイス

 一条クラブ出身の卓球選手、上田仁さん(22)が、4月から社会人チームの強豪、協和発酵キリン(東京都板橋区)に入社し、競技を続ける。大学時代は個人、団体で全てのタイトルを獲得し、社会人での活躍が期待される。帰郷した3月26日、北吸の一条卓球研究所で、同クラブの後輩たちにプレーの指導や人としての成長が大切と語った。
 上田選手は同クラブの小畑喜生代表から、3歳〜小学生まで指導を受けた。親元を離れて名門の青森山田中学、青森山田高校に進み、厳しい練習を乗り越えた。全日本卓球選手権ジュニアの部男子シングルスで2年連続優勝した。
 青森大では全日本大学総合卓球大会・男子シングルスで勝ち、学生日本一にもなった。シニア国際大会の男子ダブルスで初優勝も果たした。卓球台と並行して強烈な横回転をかけるバックハンドドライブ「チキータ」と呼ばれる技術では、国内でナンバーワンと評価され、攻撃的なレシーブを武器とする。最後の一本まであきらめないプレーを貫き、競技以外でも謙虚な姿勢は変わらない。
 同クラブを訪れた上田選手は、小・中学生11人の選手に、チキータについて指導。「最初は回転を意識せず、ボールの横をとらえるように。手首に負担をかける技なので、筋力を鍛えてほしい」とアドバイス。選手たちは熱心にメモをし、レシーブの球の速さに驚いていた。
 また、「緊張をした時、気持ちをどうコントロールするのか」などを尋ね、上田選手は「緊張をしたら、勝ち負けよりも自分の力を出し切ることに気持ちを集中している」と一問一問丁寧に答え、最後に「強くなるには卓球だけでなく、人としても立派な人になることが大切。両親に感謝の気持ちを持ち、目標を立て考えながら練習をしてください」と結んだ。
 若浦中3年の藤村唯人選手(14)は「チキータのコツを教わったので練習で活かしたい」と話した。上田選手は「小畑先生からは礼儀を厳しく教わり、いまの自分に活きています。クラブに来て子供たちに接すると初心に戻り、がんばろうという気にさせてくれます。社会人では世界選手権に出場したい」と述べた。

写真=一条クの小中学生たちにレシーブの指導をする上田選手



「ドラえもん」のポスター展示
八千代館 最新作は4月20日まで上映

 映画「ドラえもん」の最新作の上映に合わせ、浜の八千代館でポスター展が開かれている。これまでのシリーズの中から25作品のポスターを展示している。
 34作目となる今作「新・のび太の大魔境 ペコと5人の探検隊」は、作者の藤子・F・不二雄の生誕80周年を記念して製作された。
 全国で420万人の観客数を集めた「のび太の日本誕生」(1988年)、「のび太と鉄人兵団」「のび太の宇宙開拓史」などのポスターを、1階に飾った。来館した子供たちがポスターの前で写真を撮るなどしている。
 また、2階では昭光保育園と朝来幼稚園の園児たちが描いたドラえもんの塗り絵も展示している。映画上映は4月20日まで。 【問い合わせ】電話62・3583、同館

写真=展示されている「ドラえもん」のポスター



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