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2013年3月29日 |
屋敷さん 九条朝市で魚屋50年 先代の父を継ぎ 田井漁港の旬を売る 継続の力 買い物客次々と 川沿いの灯 消さない 大門・八島通り間の与保呂川沿い九条朝市で、魚屋を唯一続ける屋敷律子さん(63)=田中町。先代の父、故山田幸夫さんを継ぐ2代目で、父から数えて50年以上に亘り朝市でその日獲れた旬の魚を販売している。かつてはぎっしりと出店者が並んだ朝市。屋敷さんは「再び賑わいのある朝市に」と願っている。 田井出身の屋敷さんは昭和60年から父の跡を継ぎ、日曜日以外は毎朝田井漁港まで車で魚を買い付けに行き、九条朝市で販売している。父が亡くなり販売を辞めようと思っていたが、お客さんから続けて欲しいとの声が多く、屋敷さんが母と一緒に引き継いだ。 午前10時頃、車の後ろにイワシ、タコ、カレイ、カワハギ、赤ナマコ、アワビ、サザエ、イカなどが並ぶと、「今日は何がある?」と買い物客が次々と押し寄せた。注文する人や、素手で魚を掴みトレイに乗せて渡す人らが、屋敷さんと魚の調理法や近況などを話しながら買い物を楽しんでいた。京都や大阪からも、帰郷した舞I出身者が買いにくるという。漁果によって品揃えや出店時間は変わるが、午前10時ごろから午後0時半くらいまで営業している。 九条朝市は、平成6年に全国の朝市を特集した雑誌の記事に掲載されるほど、盛況で有名だった。屋敷さんの父の頃は川沿いを店が埋め尽くし、道路の反対側で販売する人もいた。当時は場所も早い者勝ちで取り合いだったが、現在は川沿いに駐車する車と場所を取り合う程度で出店者が減っている。 屋敷さんは「今は売る人もお客さんも減って、私たちのように昔から続けている人しか残っていない。地元のものが買える朝市に、もっと人が来てほしい。活気を取り戻したい」と話していた。 スーパーでも商品は買えるが、地元の人が自ら栽培したものや近場で獲れた素材を売り、地元の主婦がそれを買ってその日のおかずにする健全な構図が朝市にはあり、そこでしか生まれないコミュニケーションもある。車がただ停まっている川沿いよりも、人で賑わっている川沿いの方が、望ましい街の光景ではないだろうか。 写真=大門・八島通り間の与保呂川沿い九条朝市で魚屋を唯一続ける屋敷さん(中央) |
近藤流健康川柳 大杉さん 年間大賞輝く 「家計簿の前に坐禅の様な妻」 毎日新聞の人気コーナーである近藤流健康川柳で2012年の年間大賞に、行永の大杉房男さん(77)が選ばれた。結婚して50年になる妻を題材にして詠み、「家計簿の前に坐禅の様な妻」の句で受賞した。18年間作品づくりを休んでいたが、昨年再開して見事グランプリに輝いた。 大杉さんは川柳50年、短歌60年、カラオケは60年のキャリアを持つ。1週間に15句つくって健康川柳に投句した。妻をネタにした句も多く、その中から「大アクビの妻に秘密はないだろう」などが、新聞の一面に掲載された。 昨年12点の月間大賞の中から選考され、年間大賞が決まる。1日も欠かさず家計簿をつける妻の後姿が、大杉さんには坐禅をしているように見え、「坐禅」と「家計簿」と縁遠い言葉をつないだことが意表を衝き評価された。 3年前にパーキンソン病を患い、震える手でペンを持ち作句を続けている。年間大賞に「妻も喜んでくれ、思い出の作品になりました。これからも前向きで斬新な句を詠んでいきたい」と話す。 また、昨年は短歌でもNHK全国大会で、「海と空のコバルト色のまじり合うあたり我が逝く道かと思う」で入選した。 写真=年間大賞の楯を持つ大杉さん |
2013年3月26日 |
高井さんと教室生たち マグカップで温もり届けよう 陸前高田の仮設暮らし280人へ 3月30日、作業に協力を 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、仮設住宅に暮らす被災者たちに、成生の陶芸家の高井晴美さん(48)と教室生たちがマグカップを贈ろうと、280人分の製作に取り組んでいる。市民にも作業への協力を呼びかけている。3月30日に岡安の陶芸館で作る。 これまでに3度も同市に入った高井さんは、市民から寄せられた募金やお米などを震災遺児や保育園児たちに届け、支援を続けている。昨年10月にバスで市民25人と訪れた時、次回は仮設住宅に心と体も温まる物を届け被災者と交流しようと企画し、マグカップづくりに昨年12月から取り組む。 パイプに粘土を巻きつけ同じ形に仕上げて乾燥させ、4月から素焼きをして絵を描いた後に焼成する予定。400個作ってその中から完成品280個を、24人で10月10日に矢作(やはぎ)地区の111世帯へ届ける。 作業への協力を募った3月20日、大船渡市出身で弟が陸前高田市に住む市内の女性とその夫の夫婦も参加してくれた。女性は「不自由な生活を送る人たちに1つでも作って協力できればと思いました。高井さんたちの支援に感謝しています」と熱心に手を動かしていた。 高井さんは「手伝いたいという声を聞き、一緒に作る機会を設けました。何かやりたいという人はたくさんいるので、声を掛けて支援の輪を広げていきたい」と話している。 3月30日の作業は午前10時〜午後3時。 【問い合わせ】電話64・3263、陶芸館 写真=10月に届けるマグカップ作りをする市民たち |
入学を前に 新1年生安全登校指導 舞鶴セーフティ・ポート朝来 4月から朝来小学校に通う新1年生と在校生を対象に、大波駐在所連絡協議会がこのほど、地域の12団体からなる「舞Iセーフティ・ポート朝来」の3団体と保護者らが参加した安全登校指導を同校区で行った。朝来西町府営住宅の住民でつくる「朝来ふれあい向う三軒両隣」、舞I防犯推進委員会、子育て支援協議会らが、舞I署の女性警官の指導を受ける児童たちを見守り、安全を願った。 バスで通う大波下地区ではバス乗車の注意や信号横断を、朝来西町府営住宅では横断歩道の渡り方を、朝来中地区などでは郵便局前の信号横断などが指導された。同住宅での指導では、「舞Iセーフティ・ポート朝来」代表の四方筆樹さんが「登校する時は班長さんの言うことを守って行動してください」と、新1年生へ言葉を贈った。 舞I署の女性警官が、新年度から班長になる児童に、車が来ないことを確認して道路に立ち、腕をしっかり伸ばして安全旗がよく見えるように出すよう指導。横断する時に列の先頭に立つ副班長は「道路を渡ります」と列の児童に声をかけ、全員で手を挙げて横断歩道を渡った。 写真=手を挙げて横断歩道を渡る4月から朝来小に通う新1年生たち |
2013年3月22日 |
名取市閖上の菊池富紀子さん来校 日星の支援に感謝 復興の励みに 生徒レポーターが現地の雰囲気伝える 全壊した幼稚園再建への思い語る 子供たちと共に園の早期再開を 東日本大震災の被災者の支援を続ける上安久の日星高校にこのほど、津波で全壊し園児が犠牲になった宮城県名取市の私立(ゆりあげ)わかば幼稚園の菊池富紀子前園長(55)が来校し、これまでの支援の感謝と園の再建に向けた思いを生徒たちに伝えた。復興が進まない現状を交え「被災地を忘れないで下さい」と語った。 名取市の震災犠牲者は約1000人。海沿いにある閖上地区は人口約7000人の内、死者と行方不明者が800人を超え、壊滅的な被害を受けた。52人の園児が在籍した地区で唯一の同園は、3月11日が卒園式だった。園児4人と教諭1人、保護者たちが犠牲になった。 帰宅中の車のラジオで10メートルの高さの津波の来襲を聞き、車で避難して助かった菊池さん。ボーリング場に並ぶ多くの棺に納められた遺体を確認するため、顔を覗き込むと多くの知人を見つけた。「3、4歳の子がなんでこんな目にあわなきゃいけないのか。気が狂いそうだった」と苦しかった気持ちを振り返った。 なぜ生き残ったのか、生きていることに罪悪感を感じる日々。しかし、友人の「生きていてくれてありがとう」の言葉に救われた。「自分は生かされたんだ。できることを一生懸命やろうと思った」と前へ歩みだした。 子供たちの笑顔で大人たちを支えよう、不安を抱える子供たちに外で遊ぶ機会をつくろうと、避難所でばらばらに暮らす園児たちに呼びかけ、ソーラン節などを踊るイベントに取り組んだ。休園中の幼稚園の再開へ動き出すと、多くの励ましが届いた。「いま子供たちは元気に過ごしています」と報告する。 震災から2年、閖上地区は更地のままで、大部分は危険地区として住宅は建設できない。市は土地をかさ上げしてまちを再建する計画だが、実現の道のりは遠い。講演後の取材で、菊池さんは早期の仮設園舎の建設へ、粘り強く関係機関に働きかけるとともに募金を続ける現状と、「遠くにいても見守っていてくれる人がいるだけで励みになります」と話した。 写真=日星高を訪れ、生徒たちにお礼を述べる菊池さん |
生徒と八千代館 募金贈る 日星高で開かれた「忘れない3・11つながろう東北と」の集いで、生徒会長の柴田日菜子さん(2年)が募金33,000円を菊池さんに手渡し、「被災地のニーズを知って自分たちにできる支援を続けよう」と生徒たちに訴えた。 また、映画館「八千代館」も館内に置いた募金箱に寄せられた募金47,040円を菊池さんに送った。 |
身障センター利用者ら ネックウォーマー贈る 子供たちの笑顔に感激 陸前高田の保育園から写真届く 余部下の市身体障害者福祉センターの利用者と職員たちがネックウォーマーを手作りし、大津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の保育園児たちに贈り、このほど園児たちからお礼の手紙と写真が届いた。障害者たちは「自分たちにもできる支援がある。今後も取り組みたい」と話し合っている。 陸前高田を支援する成生の陶芸家、高井晴美さんが被災者に暖かく過ごしてほしいと、防寒具を届ける話を陶芸指導する同センターでしたところ、障害者たちが協力を申し入れた。 同センターの生活介護教室を利用する約40人が参加。病気の後遺症で片腕しか動かない人も道具を使って仕上げ、102本を同市の下矢作(やはぎ)保育園と竹駒保育園に贈った。 両園からはネックウォーマーを巻き笑顔を見せる園児の写真が届き、障害者たちは「こういう機会をもらってうれしい」「私たちもがんばらなきゃと思った」と感激した。指導した横山昌子さんは「何かできることをしようと思った。子供たちに喜んでもらい取り組んだ甲斐がありました」と話している。 10月に高井さんが同市を訪問するのに合わせ、再び100本の完成を目指している。 写真=お礼の写真を手に喜ぶ利用者たち |
2013年3月18日 |
修学旅行HP(ホームページ) 高校部門で全国1位 西舞鶴高校 生徒と教師が一体となり受賞 生徒レポーターが現地の雰囲気伝える 写真と速報性 保護者も安心 全国修学旅行研究協会主催の「第12回修学旅行ホームページコンクール」で、引土の西舞鶴高校(福井秀之校長)の平成24年度2年生の研修旅行ページが、高等学校部門で全国第1位を受賞した。昨年10月9日〜12日に長野県斑尾高原、立山・黒部アルペンルートを訪れ、生徒と教員が一体となって取り組んだ。自然の中での体験学習を中心とし、速報性の高さ、臨場感ある生徒の表情や風景の写真内容の充実、操作機能などが同協会から評価された。 各クラスから選ばれた15人の現地レポーターの生徒たちが、自分の携帯電話で、いかだ体験や森林ヨガ、美しい信州の風景などの旅行の様子を伝える写真を撮り、思い出に残したいコメントを付けて学校に送信。学校で教員がホームページを更新し、リアルタイムで現場の状況を伝えた。29回更新され、コメント付き写真を約300枚掲載した。 研修旅行のホームページ作成は5年目で、昨年度はコンクールに応募していなかったが、同協会に推薦を受け入賞。アドバイスももらい、今年は旅行先の事前学習や、事後のまとめにも力を入れた。 毎日、生徒の1日の感想や保護者向けメールニュースの配信も行い、現地速報を見ることができた保護者たちからも「楽しく過ごしている子どもたちの様子が手に取るように伝わってきて安心できた」などのコメントが多く寄せられ、好評を得た。 竹内桃子さん(17)は「写真は親に見て欲しいと思って撮りました。生徒が撮る写真は現場の雰囲気が一番伝わるし、友達のいる景色がそれぞれに表現されていて楽しかった」と話し、官能里奈さん(17)は「好きな写真を送っていただけなのに、賞を獲って自分も貢献したと思うと嬉しい」と振り返った。 ホームページ作成を担当した大西勝己教諭は「保護者に旅行の実態を伝えられた意味は大きい。生徒の送った写真が評価されての受賞だと思う」と話していた。 写真左=ホームページ作成に携わった羽入教諭、官能さん、竹内さん、大西教諭(左から) 写真右=現地の様子を伝える充実した写真(西舞鶴高校ホームページより) |
3月23、24日に記念の花展開催 師の傘寿 いけ花で祝う 池坊の平林さんへ愛弟子一同が企画 池坊の華道家、平林華風さん=引土=の傘寿(80歳)を祝って、平林さんから教わる社中の人たちが、記念のいけ花展を企画した。小学生から80代の生徒たち約50人が、師への祝意を花で表現する。教室の和やかな雰囲気そのままの花展にと準備に励んでいる。3月23、24日、伊佐津の西駅交流センターで開催する。舞鶴市民新聞社など後援。 自宅や公民館、中筋小学校などで指導して47年になり、これまでに生徒は約400人を数える。月3回の自宅教室は午後からだが、生徒の都合に合わせているため、夜遅くなっても門を開けて待つ。舞鶴華道連盟理事長などを務める。書道も教えている。 小学生のころ、祖父の堀田茂吉さんが楽しそうに花をいけていた横顔をいまも鮮明に記憶し、その姿が平林さんの生け花の原点になった。稽古では自然の花の最も生き生きとした姿を大切にするよう指導し、草花から生きる力をもらい、元気で楽しい教室でありたいと願う。 記念花展は社中一同が主催し、春の草花や樹木などによる立花、自由花などの作品約60点を展示する。平林さんも花と祖父の残した歌「若返える心地こそすれ 年なみをかさねて 老ゆと思わざりしを」を書にした作品も並べる。 社中の西木ますみさんは「厳しく優しく指導していただき育ててもらいました」、三谷須美枝さんは「ここに来ると気持ちが楽になります」、竹内知子さんは「先生に出会うことが楽しみで、和気あいあいとした教室です」と話す。 平林さんは「だんだんと若返っていくようで、祖父が作った歌が実感できるようになりました。記念花展を開いてもらい、最高の幸せです。お花をやってきてよかった」と愛弟子たちに笑顔を見せている。 花展は午前10時〜午後5時(24日は午後4時まで)。入場無料。 写真=笑顔をたやさず指導する平林さん(左から2人目) |
2013年3月15日 |
舞I市障害者施策推進協議会 雇用・高齢化・災害時課題に 福祉概況と計画目標値踏まえ 障害者に関する施策の総合的な計画の推進や、関係機関相互の連絡調整を調査審議する、舞I市障害者施策推進協議会(委員20人)の会議がこのほど、市役所議員協議会室で行われた。市保健福祉部障害福祉課と同会委員18人が、市内の障害福祉の概況や、第3期舞I市障害福祉計画などをもとに話し合った。身障者の高齢化が進み、在宅生活を援助するホームヘルパーを増やす必要が示された。 役員選出では、会長に立命館大学産業社会学部の峰島厚教授、副会長に障害者施設「こひつじの苑舞I」の松井博施設長が、ともに再選した。 概況では、市の障害者手帳所持者のデータの特徴が報告された。身障者手帳は5065人で、内3725人が65歳以上で約7割を超え、重度にあたる1級と2級が2000人超で4割を占めていることが挙げられた。(表) 知的障害者の持つ療育手帳は893人で、内65歳以上は97人と、高齢化は進んでいない一方、現役世代の割合が多く年々増加し、就労の場の提供が望まれているとした。 精神障害者保健福祉手帳は321人だが、通院の自立支援医療公費負担利用者が794人おり、通院で完治する患者もいるが、通院者の数が実態をより表しているとした。 市障害福祉計画の報告では、国の目標値との比較を発表。施設入所者が再び地域で生活を送る地域移行数の国が定める目標値は、平成26年度までの3年間で2人。これに対し、本市は現在まで0人。 福祉施設から一般就労への移行は、目標値が毎年6人なのに対し、同20年度から22年度は毎年1人だったが、23年度は4人とプラスに転じている。 就労移行支援事業の利用者の目標値が12人に対し5人で、就労継続支援(A型)事業利用者の割合が14.4%なのに対し7.2%で、いずれも半数に留まっており、今後の重要課題とした。 それらを踏まえ、一般就労した障害者が継続して働けるよう、交通機関の公的支援策が必要であることや、障害者とその家族の高齢化に対し、住み慣れた家で生活できるようホームヘルパーを増やすことや、災害時の避難措置や受け入れ先を、事前に情報公開してほしいなどの意見が挙げられた。今後は府などの協力が必要で、市だけでは解決できない議題も取り上げ、話し合っていくことにしている。 写真(表)=京都府のデータを基に舞鶴市保健福祉部障害福祉課が作成 |
震災の記憶 忘れない 舞鶴学園卒園の6人ら 復興願い希望リンゴ植樹 阪神・淡路と東日本大震災からの復興を願って、大阪市の市民グループと児童養護施設「舞鶴学園」の子供たちが3月9日、泉源寺の同園広場で、「希望リンゴ」と名づけられたリンゴの木6本を植樹した。学園を巣立つ高校3年生の6人らが、震災を忘れないようにと協力して植えた。 「この町・花の街・作戦」実行委員会が、第2次世界大戦後に日本人を励ました「リンゴの唄」にちなみ、被災者の希望のシンボルにとリンゴの木の植樹を1997年に開始。雲仙普賢岳の被災地の島原市などの小学校など107カ所、581本を植えた。 実行委員長の田村治典さん(67)=宝塚市=が、東北の被災地にペットボトルを利用した湯たんぽを送る活動も取り組む中、11年に学園の子供たちもキルトカバーを作る協力をした。震災から2年を迎えて被災地を語り継ごうと、植樹を持ちかけた。 108カ所目の学園では、子供たちが田村さんの指導を受け、木に土をかけ踏み固める作業をした。3月17日に学園を巣立つ川原真佐美さん(18)は「卒園しても学園を訪れるたびに、大きくなった木を見て震災の記憶を新たにできると思います」と話していた。 写真=リンゴの木を植える子供たち |
2013年3月12日 |
東日本大震災復興応援プロジェクト「縁」 今年は宮古市田老を応援! 宗教者や市民たち 5月5日 法要、茶会で訪問 宗教者や市民たちでつくる東日本大震災復興応援プロジェクト「縁(えにし)」が、昨年の宮城県気仙沼市に続き、今年は岩手県宮古市田老地区を訪れ、犠牲者の慰霊法要や茶会、マッサージなどに取り組む。被災者に届けるため、お地蔵様の人形などの製作にも励んでいる。5月5日、同地区の常運寺に21人で向かう。 紺屋の桂林寺の能登春夫住職たちがプロジェクトを立ち上げ、昨年5月に気仙沼市の海蔵寺で法要を営み募金を届けた。今回は友人の高橋英世さんが住職を務める常運寺を訪問する。 田老地区は明治三陸津波(1896年)で345戸全てが流され、人口の83%の1867人が亡くなった。昭和三陸津波(1933年)にも襲われ度重なる被害を受け、高さ10メートルの巨大な防潮堤が66年に完成。しかし、大震災で防潮堤は破られ、市街は壊滅し、地区の4434人の内、200人近い死者と行方不明者が出た。 桂林寺のご詠歌グループ「梅花講」の女性13人も昨年同様、人形やブローチなど各250個を、1月から毎週1回集まり作っている。岡本雅江さん(74)=倉谷=は「現地には行けませんが、心を込めて1針1針縫っています」と話す。メッセージも添えて被災者に送る。 5月5日は現地で表千家流堀内長生庵社中による茶会、清水寺の森清範貫主による法要と講演、市民らがそばの接待、整体なども行う。能登住職は「やっていることはお祭りの出前です。それぞれが自分のできることで、被災者が元気の出る応援をしてきたい」と話していた。 写真=被災者に送る人形などを作る女性たち |
3月17日、ミュージックフェスで 和楽器ユニットデビュー 「賽CORO」民謡奏でる 4つの異なる和楽器からなるユニット「賽CORO(サイコロ)」が、3月17日に浜の総合文化会館であるミュージックフェスティバルでデビューする。舞鶴小唄など民謡を奏でる。 三味線と太鼓、大正琴、鉦の4人の演奏家で構成する。昨春に日印友好イベントで初共演したのを機に、同ユニットを結成した。メンバーは舞鶴在住の20〜40代。 三味線の芦田照美さんは「4つの楽器でどう転ぶかわからない。どんな目が出るか期待感を込めてサイコロと名づけました」、大正琴の田中美香子さんは「3人の演奏も気もよく合います」と話す。宮津節なども演奏する。演劇サークル「谺」メンバーらが協力し、舞台で踊る。 フェスは午後1時半開演。日星高校BIG BANDや朝来小大正琴サークル、青葉中合唱部なども出演する。入場料500円、中学生以下無料。 【問い合わせ】電話64・0880、同館 写真=三味線や大正琴などを奏でるメンバーたち |
2013年3月8日 |
立命館大研究グループ、市職労など 町財政 原発マネーに依存 おおい町で分析調査、地域再生へ提言 町予算の20%超が交付金 舞鶴市と近接し、原発が立地する福井県おおい町の財政分析をし、原発に頼らない地域づくりを考える取り組みが、立命館大学の研究グループや舞鶴市職員労働組合などによって始まった。町には目を引く大規模な公共施設が並び、電源交付金に依存する町財政や雇用など地元経済に大きな影響を与えている。地域の歴史などをたどり、原発受け入れの背景も調査し、今秋に提言をまとめる予定。 舞鶴市も20キロ圏内に入る関西電力大飯原発は1〜4号機の内、3、4号機が昨年7月に再稼動した。全国で唯一動いている原発を持つおおい町に注目し、自立的な地域再生の方向を示そうと、同大学政策科学部の森裕之教授(財政学)と平岡和久教授(地域経済論)の研究室、京都自治体問題研究所、市職労などが昨年11月から現地調査や町議員から聞き取りを始めた。 おおい町では一般会計予算の20%超を、22億8,180万円(2010年度)の電源3法交付金が占め、さらに関電や原発関連企業などの固定資産税や法人町民税などを含むと、50%を超えるという。 また、13カ月ごとの定期検査は4カ月かけて実施され、ピーク時に約3000人の作業員が集まり、雇用や宿泊、飲食など地元経済への波及効果は大きい。舞鶴市からも高浜、大飯原発に約1000人超が何らかの仕事で関わる。 平岡教授は、おおい町は戦後初期に風水害の災害などで町財政の破綻の危機にあったことなどが受け入れのきっかけとなり、そこに政府の推進策がとられ、交付金と固定資産税、核燃料税によって、原発なしでは成立しない財政構造になったと経緯を説明する。 「豪華施設の建設や運営に、どれだけのお金がかかっているのかなど丁寧に財政を見るだけでなく、客観的に歴史とデータを踏まえて現状を分析し、脱原発を視野に入れどう財政を展開するのか、難しい問題だが広く議論する機会にしたい」と話している。 写真(表)=まいづる市民自治研究所作成 写真=電源交付金で建てられたおおい町の公共施設 |
堀上自治会上組 「地域の財産後世へ」 お地蔵様、神々しく甦る 建物の彫刻復元、金箔も新調 堀上自治会上組が所有する地蔵菩薩とそれを安置する建物の宮殿(くうでん)や厨子(ずし)の修復が終わり、このほど地元に戻ってきた。欠けていた建物の彫刻などの飾りや欄干などが復元され、金箔も新しくなって神々しい光を放っている。8月の地蔵盆でお披露目されるのを、住民たちはいまから楽しみにしている。 地蔵菩薩と宮殿などは江戸期の天保年間に造られたとされ、1891(明治24)年に修理し、1921(大正10)年には木地の建物に金箔が張られた。普段は倉庫に保管されているが、毎年8月の地蔵盆に町内に祀られる。 宮殿は台座も含めて高さ1.4メートル、縦、横とも1メートル。これまでにも何度か修理はしてきたが、龍などの彫刻や垂木の一部が壊れ、屋根には亀裂が入り金箔も汚れが目立っていた。住民たちで長年積み立てをし、地蔵盆のお供えのお金を合わせ、初めての大掛かりな修理をした。総費用は約200万円。市の補助も受けた。 昨年8月から京都市内の仏具店と仏師に預け、約半年かけて作業が行われた。建物全体に新しく漆を塗って金箔を張り、欠けた彫刻や垂木なども取り付けた。真っ黒に汚れていた地蔵菩薩も法衣や顔に色彩が施された。 同上組地蔵係の藤田伊佐雄さん(81)は「見事にきれいになりとても満足しています。先輩たちが大修理に備えて積み立てをし、守り伝えてきた財産なので、今後も受け継いでいきたい」と話している。 写真=修復を終え真新しくなった建物の宮殿 |
2013年3月5日 |
復興支援へ市民の力を サンムーン チャリティー作品展 20人以上の作家が参加 収益金はNPOへ 3月9日は演奏会、10日は福島報告会も 東日本大震災から間もなく2年を迎える。浜のギャラリー・サンムーンでは、作家や市民たちが継続して被災地支援を行おうと、チャリティー作品展を、3月9日〜11日に同画廊で開催する。9日に箏の演奏会、10日は福島県の現状の報告会もある。収益金は現地で支援活動にあたるNPO法人難民を助ける会に託す。 市民らが実行委員会(谷公人代表)を組織し、画廊オーナーの佐藤保明さんが会場を提供し、市内外のアーティストたちが作品を寄せ、2011年に2回と昨年3月に実施した。被災地で障害者たちのつくる製品の販路拡大や住民の心のケアなどに取り組む助ける会に、計約143万円を寄付した。 復興には長い時間が必要なことから今年も企画。舞鶴在住の高井晴美さん、西野陽子さん、鉄尾伸介さん、よしだ敦子さんと教室生、絹川徳成さんとことみさん、櫻木雅春さんのほか、福知山や京都などから前回よりも多い20人以上の作家らが陶芸、絵画、ガラスなどの作品、お菓子やパンなどを出品する。購入しやすい価格に設定している。 9日午後2時から、立道明美さんらの箏アンサンブル斗為巾が演奏会を行う。入場料1,000円は全額寄付する。10日午後3時からは助ける会スタッフが、原発事故の影響にある福島の現状を話す。 佐藤さんは「復興がなかなか進まず、関心も薄れてきていますが、できることをやっていきたい。出品への協力者も少しずつ広がっており、継続の大切さを感じています」と話している。午前11時〜午後6時(最終日は午後5時)。入場無料。 【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン 写真=作品と来場を呼びかける佐藤さん(左)ら |
3月14日につどい 名取市の園長来校 被災の幼稚園再建へ募金 日星高の継続的支援 「忘れない3.11」 復興支援に継続的に取り組む上安久の日星高校の生徒たちが、再建を目指す宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)わかば幼稚園を応援しようと3月1、2日、市内2カ所で街頭募金をした。3月14日は同高で開く支援のつどいに、同幼稚園の菊池富紀子園長が訪れ、被災地のいまを話す。つどいへの参加を呼びかけている。 津波で園舎が全壊し、園児が亡くなった同幼稚園にも昨年12月に訪れ募金を届けた。生徒会役員や1、2年生15人が2日、マイコム前で募金。時折雪が舞う寒風の中、生徒たちは「忘れない3.11つながろう東北と」と書いた横断幕を手に約2時間、大きな声で協力を呼びかけ、車から下りて募金する人もいた。 2年生の辻野成菜さんは「『私たちのことを忘れないで』という被災地の学校からのメッセージをニュースで見て、何かできたらと思いました。支援の活動が地域全体に広がれば」と話している。 つどいは3月14日午前8時45分から。菊池園長が報告し、今後の支援計画を生徒会が発表する。同13日午後7時から北吸の市政記念館で菊池さんと交流会をする。食事代1,000円。定員20人。両日ともだれでも来場できる。 【問い合わせ】電話75・0452、日星 写真=寒風の中、あきらめずに募金を呼びかける日星高生徒たち |
2013年3月1日 |
1583年幽斎開基の瑞光寺 田辺城移築の山門 修復完了 歴史の生き証人 後世に伝えたい 細川幽斎が開き、田辺城本丸の門を移築して建てられたとされる寺内の瑞光寺(楠文範住職)の山門が、このほど修築を終え往時の姿を思わせる門構えを見せている。田辺城の遺構の中でいまも使われている唯一の建築物。同寺では幽斎らの生きた時代を伝える文化財として、今後も大切に伝えていきたいとしている。 瑞光寺は1583(天正10)年に幽斎による開基で、10年以上をかけて建築された。初代住職の明誓師は田辺城籠城戦にも加わり活躍したことで知られる。1678(延宝3)年には山門を残して全て焼失したが、後に再建された。 6世住職の純明師が書き残した文書によると、田辺城本丸の黒金門を移築して寺の山門としたことが記録されている。その時期は記されていないが、京極氏が丹後国に入り田辺城の改修をしたころと推測されるという。 山門は屋根までの高さが5.6メートル、横幅3.1メートル、奥行き1.8メートル。正式名は「薬医(やくい)門」。これまでもたびたび修理の手が入っているが、屋根などの老朽化が進んでいたため、昨年、文範師が14世住職に就いたのを機に初の大掛かりな修理をした。 元の部材をそのまま使って扉の組み直しや柱の修理、屋根の左右の獅子口瓦を焼き直し、そのほかの瓦は新しく葺いた。府や市の補助も受け約8百万円をかけた。 楠住職(62)は「幽斎や忠興、ガラシャも通り、篭城戦も経験している山門は歴史の生き証人。大切に守っていきたい」と話している。 写真=瓦も葺き替えられた山門 |
2年間の募金 名取市教委へ 白糸中 被災地支援、継続して取り組む 白糸中学校の生徒と教職員が、東日本大震災の被災地を支援しようと募金活動に励んでいる。資源回収による収益金を充てたり、吹奏楽部がチャリティーコンサートをするなど、震災後の2年間に取り組んだ募金を近く宮城県名取市の教育委員会に送る。 白糸中は震災と同じく2011年春に新校舎が完成し、その後は学校公開日や吹奏楽部が演奏の依頼のあった機会に募金を呼びかけるなどして、先月中旬までに約18万円が寄せられた。 2月23日に、2回目のチャリティーコンサートを実施。箏奏者の立道明美さんが主宰する箏アンサンブル斗為巾や倉梯小の箏クラブも協力し、吹奏楽部とジョイント演奏し、来場者たちが募金をした。 3月11日には校舎の新築記念で五輪に出場した元陸上選手の為末大さんの講演会を開き、ここでも来場した市民に募金を呼びかけることにしている。 遠藤淳校長は「市内8中学校で11年、名取市の閖上中学校に折り鶴や募金を届けたことが縁で、同市の市教委に募金を送りたい」と話す。 写真=チャリティーコンサートに出演した白糸中吹奏楽部と箏アンサンブル斗為巾 |
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