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2010年3月30日

市民ら集まり舞鶴で初の劇団「谺」旗揚げへ
4月の初公演に向けけいこ、メンバー募集中!
 舞鶴で初の劇団旗揚げをめざして、舞鶴演劇サークル「谺(やまびこ)」(粕谷美枝子代表)が結成された。役者をはじめ照明、音響など裏方を希望する市民が集まり、4月の初公演に向けてけいこに取り組んでいる。  市場で喫茶店を営む粕谷代表は、観劇が趣味で、「舞鶴にはない劇団をつくり、芝居をやってみたい」と思い立ち、友人や知人に呼びかけ、今年1月にサークルをつくった。現在、メンバーは高校生から60代までの主婦や会社員ら11人。女性9人で、男性は2人だけ。  演劇の指導は、45年の歴史のある福知山演劇サークル「わっぱ」の代表で演出を担当する日比野修三さんに依頼。けいこは毎週火曜日午後6時半〜同9時まで、浜の総合文化会館研修室で行っている。  メンバーのほとんどは芝居の経験がなく、目下、発声練習に取り組んでいる。ストレッチ体操で体をほぐし、腹式呼吸を行い、それぞれ活舌をスムーズにするため、文章を大きな声で読み上げる。芝居の上演に向け、熱意を込めて声を出している。  初公演は4月中旬を予定、近く日比野さんに演目や配役を決めてもらい、本格的な芝居のけいこに入る。メンバーの介護福祉士、森津真理子さん(53)=亀岩町=は「子育ても終わり、何かやってみたいと入りました。福祉施設で上演して、お年寄りに見てもらえたらと思います」と話す。  粕谷代表は「何もないところからのスタートですが、将来大きな舞台で演じたい」と夢を膨らませている。  現在、メンバーを募集している。高校生以上の男女で、演劇に興味のある人。経験は問わない。
【問い合わせ】電話62・4764、粕谷代表

写真=発声練習に取り組むメンバー
口コミ情報で西地区53店舗のマップを作成
「親と子のひろば ひまわり」のスタッフと利用者
 NPO法人まちづくりサポートクラブの「親と子のひろば ひまわり」のスタッフと利用者たちが、「西のまちなか お店の情報 持ち寄り&持ち帰りMAP」を作成した。各店舗を歩いたり口コミで集めた情報を元に、西地区の53店舗の一押しの商品やサービスなどを掲載している。マップづくりは地域の店の人情味を再発見し、愛着を持つ取り組みにもなった。  市の委託を受けた同クラブが、乳幼児と保護者を対象に、市民による子育て支援事業「親と子のひろば」を実施している。円満寺のマナイ商店街内にある西市民プラザを会場としていることから、商店街とのつながりを持とうと、府絆・賑わい商店街推進事業として、昨年11月からマップ作りを始めた。  プラザから子供連れで歩いて行ける範囲の新世界や平野屋商店街などを対象に、ひろば利用者が各店での買い物の感想を書いたカード、店主が店のこだわりを記入したカード、利用者やスタッフらの月2回の口コミ情報交換会で生菓子や外国の食などテーマを絞って各店舗で商品を購入し、感想などを書いた壁新聞などで情報を集めた。  完成したマップ(A3判)には食べ物屋や美容室などを取り上げ、「子連れにも親切」「いつも気さくなおばちゃんが出迎えてくれる」など特徴のほか、子供連れで自転車で訪れた際、「降りんでええよ〜。そこまで持っていくで〜」と商品とお釣りをもってきてくれた逸話も掲載した。  スタッフの河邉利佳さん(33)は「最初はシャッターが降りた店が多いと思っていましたが、注文すると焼き立てを作って待っていてくれたり、歩けば歩くほどまだまだ捨てたものじゃないと魅力を再発見できました」と話す。他のメンバーらも店に愛着が湧き、買い物をするようになったと収穫を得た。  マップは800部作成。配布形式も口コミに倣って手渡し(無料)することにしている。希望者は親と子のひろば(電話77・0102、月・火・水・金曜日)まで。

写真=店の一押しなどを載せたマップ
2010年3月26日

「舞鶴フットサルMリーグ」初のシーズン終える
青葉中出身者らのチームBBKが初代チャンピオンに
 昨年4月に開幕し1年間を通して定期的に対戦した舞鶴フットサルリーグ(Mリーグ)の第1回目のシーズンが終了し、青葉中学校サッカー部を創設した元部員の同級生で作るチームBBKが、順位決定トーナメントの決勝で、FCスペランカーを5―1で下し、初代チャンピオンに輝いた。最優秀選手(MVP)には得点王の小川元選手(BBK)が選ばれた。  フットサルは5人制の室内サッカー。府北部で出場の機会を広げて競技力の向上を図ろうと、舞鶴サッカー協会(舞鶴フットサル委員会)がMリーグを創設。舞鶴や綾部などの中学生から社会人までの選手で構成するクラブや職場仲間の9チームが参戦し、毎月1回定期的に対戦する総当たりで予選リーグを行った。  その通算成績を元に順位決定トーナメントの組み合わせを決め、1月から始めたトーナメントの決勝戦が3月20日、北吸の東体育館で開かれ、予選リーグ3位のBBKと8位のFCスペランカーが対戦した。前半に2点を先取したBBKが優位に試合を進め、海上自衛隊員を中心につくる社会人チームのFCスペランカーを敗り、優勝カップとメダルを手にした。  4年前に結成されたBBKのキャプテンの後藤俊二選手(32)=浜=は「優勝を目指してチームの意識を高めてきた。1年間のシーズンの中には調子の波もあったが、固いチームワークでカバーし合った」と話す。予選リーグを含め16点で得点王になった小川選手(32)=円満寺=は「Mリーグの優勝と得点王を狙っていたのでうれしい」と喜んでいた。  2010年シーズンは1部に8チーム、2部に8チームの2部制とし、4月3日に2部が文化公園体育館で、同17日に1部が東体育館で開幕する。  トーナメントの3位以下の結果は次の通り。  (3)オスプレイ(4)楽蹴(5)Sanky・Monkey(6)FCルパン(7)ケッテルFC(8)GILL FUTSAL CLUB(9)PVC

写真左=優勝したBBKの選手たち
写真右=準優勝のFCスペランカーの選手たち
故郷の地で都会の人に農業体験ファームセラピー
心理カウンセラーの 永野さん(舞鶴出身・伊丹市)
 舞鶴出身の心理カウンセラーの永野達也さん(27)=伊丹市=が、都会の人たちに土に触れて心の癒しを感じてもらおうと、ファームセラピーに取り組んでいる。実家のある野村寺に通って畑を耕し、都会の生活で疲れている人たちを故郷の地で農業体験に誘っている。  西舞鶴高校出身の永野さんは大阪市などで暮らし、アパレル関係の店で店長などを務めた。そんな中、心の癒しに関心を向け、米国の心理学NLPや笑いヨガなどを学んだ。また、自然の癒しの効果に注目し、故郷の野村寺に田畑があることから、2008年に父が亡くなった後、母に教わりながら農作業を始め、昨年秋からファームセラピーを開始した。  休耕田を耕して畑にし白菜や大根などを植え、仕事の合間を縫って永野さんと妻の佳織さん、友人らのスタッフが畑の世話をしてきた。第1回の農業体験には京阪神から18人が参加した。今春からは参加しやすいように、希望を聞いて平日でも受け入れる。  永野さんは「他府県の人にも舞鶴のよさを知ってもらって癒しを感じてもらいつつ、耕作放棄地を防ぐ活動になれば。いずれは舞鶴に戻ってきたい」と話している。

写真=野菜の世話をする永野さん(左端)とスタッフら
2010年3月23日

「引揚記念館」引き揚げの史実 資料が語る
収蔵品の整理作業進み、3月26日から巡回展
 平の引揚記念館に引き揚げ者たちから寄せられた収蔵品について、市は昨年5月から資料整理に着手し、約1万2000点の内、約4割にあたる約5000点の整理作業を終えた。過酷な収容所での生活の中、抑留者の命をつないだ防寒着や飯盒(はんごう)、手作りのスプーン、解体直前の「興安丸」などの写真、岸壁の母のモデルとなった端野いせさんの遺品などが含まれる。その一部を展示する巡回展が3月26日から東・西図書館やまいづる智恵蔵で開かれる。  舞鶴港は1945年から13年間に、旧ソ連や中国などから約66万人の引き揚げ者を迎えた。88年に引揚記念館が開館し、多くの引き揚げ者たちが持ち帰った品物を寄贈した。一部は記念館に常設展示されているが、収蔵庫に保管されたままのものも多くあったため、市の専門職員が資料の写真撮影、20品目に分類し台帳に記録する作業に取り組む。  抑留生活で使った道具の中には、レンガで鋳型を作ってアミル電線を溶かして作製したスプーン、タイヤを燃やした後に残ったワイヤーを材料にした針など手作りしたものもある。引揚船をバックに匂崎で遊ぶ子供たちを撮影した52年ごろの写真、引揚船として活躍した「興安丸」を解体している様子など貴重な写真も見つかった。  このほか端野さんが息子を思って書いた手紙、出迎えの旗、引揚援護局の理髪券なども残っており、引き揚げ者とその関係者たちが様々なものを捨てずに大切にしていたことが見て取れる。作業を担当する市企画政策課の稲葉優適さんは「1点1点が抑留者の命をつないだ掛けがえのないもので、引き揚げの史実を訴えかけてきます」と話す。  巡回展は3月26日〜4月6日は西図書館、4月13日〜同23日は東図書館。展示品は各約40点。午前10時〜午後6時。5月11日〜同23日は智恵蔵で144点を展示する。5月15日午後2時から智恵蔵で展示品の解説をする。いずれも入場無料。

写真左=整理を終え展示される資料
写真右=解体直前の引揚船「興安丸」の写真(市所蔵)
農家の主婦たちでつくる「ふれあい工房」
農産物加工品づくり、10年の歩みを冊子に
 農家の主婦たちでつくる「舞鶴農林漁業加工委員会ふれあい工房」(真下悦子会長、会員18人)が、設立から10周年を迎えたのを記念し、10年の歩みをまとめた冊子を作成した。自分たちが栽培した米や野菜を加工して販売する地産地消に力を合わせて取り組んできた活動を記録し、今後もおふくろの味と知恵を伝えていきたいとする。  地元農産物を加工し付加価値をつけて販売しようと、農家の女性33人が1998年に同工房を設立し、翌年に引土のJAにのくに舞鶴西営農センター敷地内に加工場を作った。万願寺甘とうを使った商品を開発するなど、餅、漬物など30品目以上を製造。毎週火曜日にマナイ商店街やJA彩菜館での販売、イベントでの直売、弁当の予約販売などに務める。  2008年6月、10周年の記念式典後、5人の編集委員で冊子づくりをスタート。原稿の集まりの遅れもあり、このほど50部が完成し関係者に配布した。冊子(B5判、40ページ)は、近畿農政局長賞の受賞などの10年間の活動を記し、歴代の会長や会員たちが10年の思い出を綴っている。  初代会長の波多野一子さん(74)=今田=は「おいしいと言っていただけることが励みになり、地域の人たちに育てていただきました。工房は私たちの就労と触れ合いと生き甲斐の場。以前と変わらない元気で続けたい」、10周年時の会長の山下詔恵さん(66)=下安久=は「10年間頑張ってきた工房の火を消さないためにも、後継者を見つけ引き継いでいきたい」と話している。

写真=冊子を手にする同工房の編集委員たち
2010年3月19日

中村さん(上安)、豊富な経験活かしモロッコへ
JICAシニア海外ボランティアで草の根交流
 上安の中村禮子さん(62)が、国際協力事業団(JICA)のシニア海外ボランティアとして、3月23日から2年間、アフリカのモロッコ王国に派遣され、観光業に携わる人材を育成する学校で、日本人観光客向けの料理の指導や日本文化の紹介などに務める。舞鶴で培ったものや豊富な海外経験を活かして、草の根の交流を深めたいとしている。  中村さんはオーストラリアの学校で教員を務めたり、マグロの研究で世界的に知られる元京都大学准教授で夫の泉さんの助手として、ヨーロッパなど36カ国に滞在した。泉さんが2002年から2年間、モロッコに近いチュニジアの研究機関でシニア海外ボランティアに従事した際にも同行、現地の人たちに魚のさばき方を指導し、障害者施設を支援するチャリティー・ディナーを開き、鮨づくりをした。  観光を重要な産業とするモロッコは、日本人観光客の誘致に力を入れている。タコを日本へ輸出しているように水産国だが、現地では魚を生で食べる習慣がなく、日本人の好みに合う魚料理などができる人材の育成が課題。管理栄養士の資格を持つ中村さんは各国の食について研究し、アラブの食文化、魚介類にも精通していることから、「これまでの経験を活かして今度は自分がやろう」と応募した。  アガディール市のホテル観光高等技術専門学院(生徒数約450人)に赴任し、現地の食材を使ったアジア向けの調理法、魚の鮮度の見分け方と保持管理、うま味を出すための調味料の使い方、華道や着物の着付けなど日本文化を教える。  中村さんは「山と海に囲まれた舞鶴で培ったものや、自然との調和を大切にする日本文化を伝えたい。そしてモロッコで学んだことなど異なる文化の風を持ち帰りたい」と話す。友人に研いでもらった使い馴れたマイ包丁10本を持参する。

写真=使い慣れたマイ包丁を持参する中村さん
「芦ノ町池」改修完了で記念モニュメント除幕
与保呂小児童がふるさと学「ため池の学校」卒業式も
 京都府が改修工事を進めていた与保呂の農業用ため池「芦ノ町池」で3月16日、工事の完成に合わせて、ため池について学習してきた地元与保呂小の児童たちの「ため池の学校」の“卒業式”と、記念モニュメントの除幕が行われた。  芦ノ町池は、明治41年(1908)に地元住民たちによって築造された。旧海軍の水道施設建設に伴う補償費を築造費に充てたという。築造され100年が経過したことから堤などが老朽化していた。  府は堤防改修工事に合わせ、平成19年度から与保呂小児童のふるさと学習の一環として「ため池の学校」を開校。児童たちは、郷土の先人たちが築いたため池の仕組みや役割とともに自然環境について学習してきた。  記念モニュメントは、与保呂をイメージして、児童や住民らが描いたタイル81枚を組み合わせた絵画(縦1メートル、横2.6メートル)で、高さ0.9から1メートルの台座に設置された。児童たちは、豊かな自然を表す川や山、動植物を描き、住民は地元に伝わる「蛇切り岩伝説」をモチーフとした絵を描いた。  卒業式には、与保呂小児童や芦の町ため池改修・周辺整備委員会の地元住民ら約80人が参加。児童たちがモニュメントの除幕をした。タイルの川とホタルを描いた白木千夏さん(12)=6年=は「私たちが100年の歴史のあるため池の記念モニュメントに協力できて光栄に思います。これからもため池と豊かな自然を守っていきたい」と話していた。  児童たちは、卒業を記念して、池のそばに20歳の自分に宛てた手紙やクラス写真などを入れたタイムカプセルを埋設した。

写真=児童らが描いた絵を組み合わせた記念モニュメント
2010年3月16日

映像作家の斉藤さん(札幌市)が子らと共同で作品づくり
3月21日、映像上映とライブ演奏の発表会
 北海道札幌市の映像作家、斉藤幹男さん(32)が先週から舞鶴に滞在し、市内の子供たちと映像作品づくりに取り組んでいる。幼稚園での創作活動や小学生がワークショップで描いた絵などを撮影し、それらを組み合わせながら新しい作品を生み出す。札幌と舞鶴の音楽家たちが出演し、映像上映とライブ演奏のミックスする発表会が、3月21日午後4時から北吸の赤れんが6号倉庫で開かれる。  市などのアートプロジェクト「まいづるRB」の企画。協力するNPO法人S―AIR(札幌市)の公募で選ばれた斉藤さんが招かれた。舞鶴には2週間の予定で滞在中だ。  5年間、ドイツで映像や写真を学んだ斉藤さんは、手描きのアニメーションなど多彩な作品を英国や米国などで発表し、2007年にはスウェーデンのルレオ・サマー・ビエンナーレで最優秀賞を受賞した。昨年から日本で活動している。  映像作りの素材を探すため、子供たちの独創的な創作活動に光を当てる童美展で高い評価を受ける倉梯幼稚園とさくら保育園が協力。斉藤さんは園児たちが藁を束ねた筆を使って大胆に絵を描く様子を動画で撮影したり、数十枚の絵を写真に収めた。それらをパソコンに取り込み、いくつもの絵を折り重ね、絵が動き出したりする映像を作り上げる。  3月17、18日はワークショップを開き、小学生が描いた絵を撮影する。また、子供たちの絵に舞鶴の風景の実写を合成するために、市内を撮影して歩く。斉藤さんは「子供たちの思いつくまま描く様子は、自由な創作の姿勢を思い出させてくれ、刺激を受けました。子供たちのいろんな絵を出会わせることで新しいものを作るのが僕の仕事」と話している。発表会は入場無料。
【問い合わせ】電話66・1096、市政記念館内

写真=子供が絵を描く姿を撮影する斉藤さん
3月20日、初の高等教育合同PRフェア
東・西高書道部が書道パフォーマンス披露
 市内の高校や高専、看護学校など高等教育機関を一堂に紹介する初めての合同PRフェアが3月20日、余部下の中総合会館で開かれる。東、西舞鶴高校の書道部は合同で書道パフォーマンスを披露し、手書き文字の魅力を伝える。入場無料。  市などが主催で8校が参加する。舞鶴高専がロボットの模擬操作や西高が落語などを披露、日星高校のコミュニケーション授業体験、舞鶴医療センター付属看護学校の看護体験などがある。お菓子作り教室も開く。  東、西高校の書道部は7人の部員が揃いの袴姿で並び、嵐の「サクラ咲ケ」などの曲を流しながら、その歌詞を長さ約8メートルの紙に書く。13日には合同練習で曲に合わせ文字の配置などを試した。  西高書道部の迫田真祐子さん(2年)は「作品だけを見せる展示とは違い、書いている動きも見せなければいけないので難しい。味のある面白い線を書いて書の魅力を伝えたい。部員が3人しかいないので書道部をアピールできれば」と話す。パフォーマンスは午前11時と午後2時10分の2回。
【問い合わせ】電話66・1042、市企画政策課

写真=合同練習で音楽に合わせ歌詞を書く書道部員たち
2010年3月12日

鹿原の金剛院奥に新たな山城2カ所発見
地元の富室さんが見つけ舞鶴山城研究会が調査
 鹿原地区の金剛院奥に、府の遺跡地図に記載されていない新たな山城が、2カ所同時に発見された。地元の男性が見つけ、舞鶴山城研究会(廣瀬邦彦会長)がともに調査し、このほど確認された。山城の山頂からは高浜町の高浜城(城山公園)を見通すことができ、戦国時代の若狭高浜の勢力とのつながりもうかがわせる。中世の舞鶴と隣接する国との関係を知る手掛かりになりそう。  地域の生き物の観察や収穫体験など、農地と環境を守る活動をする地元グループの富室孝さん(60)=鹿原=が昨年12月、金剛院から北東にある山を歩いていて、U字のような溝を見つけた。研究会が出版した山城の本を読んでいたことから、山城の堀切(敵の侵入を防ぐため尾根を遮断するように掘られた溝)ではないかと考え、撮影した写真を研究会に持参し調査の案内をした。  鹿原には金剛院の手前の山に鹿原城がある。今回見つかった1つ目の城は鹿原城から東へ約500メートル離れている。さらに2つ目は1カ所目から北へ500メートルの距離に位置する。2つの城の計測や詳細な図の作成のため研究会が調査、地元住民4人も参加した。  1つ目の城は深さ4、5メートルの堀切の遺構がはっきりと残り、その堀切を見下ろすことができる平坦な曲輪(くるわ)もあった。鹿原城に比べ規模は相当大きい。2つ目の城は東の方向に海に突き出る高浜城を見ることができる。規模が小さく見張り台の役目を果していたのではという。  研究会顧問で京都府の中世城郭の調査委員を務める高橋成計さん(57)=高槻市=は「高浜城と国境の吉坂の峠が見える位置にあるのが面白い。高浜城と何らかの連絡を取り合っていたかもしれない」と話す。二カ所を詳しく調べた結果、曲輪の削り方が同じことから同一勢力のものと推測。一方、鹿原城と2カ所は堀切など造成方法が異なり、別の人物が支配した可能性を指摘した。  富室さんは「いままで知られていなかった山城が、2つも地元に見つかってうれしい。地域の子供たちに知ってもらうため見学会ができれば」と話していた。

写真=U字形の溝の遺構が残る山城の堀切
舞鶴ボーイズクラブ出身、敦賀気比高の
石橋選手と奥野選手が選抜高校野球大会へ
 舞鶴ボーイズクラブ(榎原斌代表)出身の石橋稔也選手(17)と奥野恭平選手(17)=ともに新3年生=が、3月21日に開幕する第82回選抜高校野球大会に北信越代表・敦賀気比高校(福井)のメンバーとして出場する。両選手とも新チームからベンチに入り、県大会、北信越大会では、それぞれ1塁手として活躍、選抜大会出場の原動力となった。  石橋選手は青葉中、奥野選手は城北中の卒業生。舞鶴ボーイズクでは、石橋選手は五番打者の3塁手(右投左打)、奥野選手は4番打者のエース(右投右打)で、チームの主力選手。中学3年の第1回マルハン大会で優勝を果たした。  石橋選手は高打率を誇り、奥野選手は打撃センスのある中距離打者として、ともに打撃を生かして甲子園出場をめざして敦賀気比に進学した。昨年秋の新チームからメンバーに選ばれ、県大会では奥野選手、北信越大会では石橋選手が、1塁手のレギュラーとして試合に出場。県大会で優勝、北信越大会では準優勝して、選抜大会の出場を決めた。  舞鶴ボーイズクの山林明雄監督(60)は「二人そろって甲子園出場が決まってうれしい。敦賀気比では、2人の打撃を生かして1塁手のポジションとなったと思うが、ちょっと複雑。石橋選手は高打率が示す通りしぶとい打撃、奥野選手は好機に強い打撃を期待している」とエールを送る。  選抜大会は、3月13日に組み合わせ抽選が行われ、同21日から12日間、阪神甲子園球場で開催される。

写真左=奥野選手▽写真右=石橋選手(写真はともに家族提供)
2010年3月9日

舞鶴・引揚語りの会の松岡さん、自らの引き揚げ体験綴る
「さっちゃんの満州」平和の紙芝居コンクールで優秀賞
 NPO法人舞鶴・引揚語りの会の松岡幸代さん(71)=吉野=が、自らの引き揚げ体験を綴った紙芝居「さっちゃんの満州」が、長崎市主催の「長崎から伝える平和の紙芝居コンクール」の一般の部で優秀賞を受賞した。母親と2人の姉たちとの生死をさまよう過酷な道のりと多くの人の支えの中で、1年3カ月かけて帰国した様子を伝えている。受賞を機に3月13日、長崎の高校生らが引揚記念館を訪れ、松岡さんが紙芝居を上演する予定だ。  開拓団の職員だった父と一緒に家族全員でソ連国境近くに渡り、1945年7月に父が召集される中で終戦を迎えた。松岡さんは7歳だった。開拓団から自決用の青酸カリを手渡され、日中はコーリャン畑に隠れ、夜線路に沿って集団で歩いた。しかし、母が病弱だったため、次第に遅れ置いて行かれた。先行した集団は武装グループの襲撃に遭遇し、遅れたために命拾いした。  敵に見つからないため、泣きじゃくる赤ちゃんが口を塞がれ殺されたり、友人のナオちゃんが流れ弾に当たって死んだりと過酷な体験が次々と襲った。「みんなから遅れ広い野原に取り残されたときは本当につらかった。母と長女の姉が食糧を調達するため出掛け、夕方になっても戻らない時、待っていた姉と私は寂しさと不安で一杯だった」と語る。  一方、空腹の赤ちゃんを背負う女性に母が片栗粉を分け与えたり、肺炎にかかった母と赤痢にかかった松岡さんを中国人の医者が助けてくれるなど、人の温かさも子供心に知った。「あの時、食べさせてくれたコーリャンのお粥のおいしさはいまも忘れられません」という。  46年11月に佐世保に引き揚げ、肌身離さず持っていた劇薬を山に埋めた。2年後、ソ連に抑留されていた父も戻ってきた。「帰国後も母は『無事に戻ってこられたのは神様と周囲の支えがあったからこそ』と口にしていました。わずかなものでさえも分かち合い、感謝の気持ちを持っていた母から大切なことを学びました」と振り返る。  帰れなかった人たちの思いも伝えなければと、3年前に紙芝居(A3判、13枚)に仕上げた。絵は平野屋の画家の山根由一さんが協力を申し出て描いた。地元の小学校や各地で上演を続けている。先月受賞が発表された同コンクールには82点の応募があった。松岡さんは「体験者も高齢になっており、生の言葉で伝えるにはタイムリミットが近づいています。早く1人でも多くの人に語り伝えたい」と話した。長崎市青少年ピースボランティアの高校生・大学生約10人と13日、出会うのを楽しみにしている。

写真=過酷な体験を綴った紙芝居と松岡さん
市民からの寄贈品や龍興院の十三王図並ぶ
3月22日まで市郷土資料館で平成21年度収蔵品展
 北田辺の市郷土資料館(市民会館内)で、平成21年度収蔵品展が開かれている。市民から寄贈を受けた舞鶴海軍病院の記念写真帳、市指定文化財になった龍興院(泉源寺)所蔵の十三王図などが並ぶ。3月22日まで。入場無料。  寄贈品の中には、雨よけのために油を塗った長持ち用油単(ゆたん)など明治30年ごろの婚礼用具、大正11年の舞鶴海軍病院記念写真帳は手術や病室の様子など貴重な写真が収められている。江戸時代前期に記録された、中世のころに市内各地に築かれた山城の城主名を記した「嶽家文書」もある。  1605年の十三王図は、死者が初七日から32回忌までに閻魔王などの各王によって今生の業の審判を受ける様が描かれている。地域の宗教事情を知るものとして、来場者も興味深けに見ていた。電話75・8836、同館。

写真=展示されている「十三王図」
2010年3月5日

アジア初のMSC認証受けた熊谷さん(府機船底曳網漁業連)
ズワイガニとアカガレイの資源保護を全国大会で発表
 京都府機船底曳網漁業連合会の熊谷譲さん(29)=円満寺=が、アジアで初のMSC認証を受けたズワイガニとアカガレイの資源保護の取り組みを、3月8日東京都内で開かれる全国大会で発表する。京都府の青壮年・女性漁業者の交流大会で府知事賞を受賞し代表に選ばれた。17歳から父と船に乗る熊谷さんは、水ガニの漁獲禁止など、地方の小さな底曳漁業グループが世界的に評価を受けた実践を知ってほしいとしている。  舞鶴や網野などの底曳漁業者15人で組織する同連合会は、ズワイガニなどの乱獲で漁獲量が減少したことから、資源を守る漁業へと転換。操業禁止区域の設定▽ズワイガニなどは網の外へ出るよう拡大した網目の導入などを進め、徐々に資源は回復している。イギリスのNPO法人海洋管理協議会(MSC)が持続可能で環境に配慮した漁業に対して与える認証を、2008年に取得した。  父の洋二郎さん(61)の仕事をする姿を見て、幼稚園のころから漁師を目指していたという熊谷さんは、父が船長を務める「大和丸」に乗って底曳漁業に従事する。  発表では、水ガニ(脱皮した直後のオスのズワイガニ)について、08年度漁期から仲買業者の理解を得て漁獲の全面禁止を決定し、続いて隣接県の入会漁船へも協力を依頼したが、当初猛反発を受けながら粘り強く説得し協力を得た経緯を述べた。  さらに、カニ類でのMSC認証は今回のズワイガニが世界で初めてだったことから、取得後は米国、フランスなどの業者から取り引きの申し入れがあるなど、反響の大きさに驚いたほか、船上での選別や市場への出荷作業で鮮度維持に対する意識が高くなったとする。  熊谷さんは「大変な役を引き受けたとプレッシャーを感じていますが、MSC認証の取り組みをアピールしたい」と話している。

写真=全国大会で取り組みを発表する熊谷譲さん
憧れの「書の甲子園」国際高校生選抜書展で入選
見事な筆さばき、東高書道部の武田さんと玉置さん
 「書の甲子園」として知られる第18回国際高校生選抜書展(毎日新聞社など主催)で、東舞鶴高校書道部の3年、武田愛美さん(18)=野原=と、同1年の玉置悠衣さん(16)=森=が、入選を果たした。武田さんは空海の「灌頂暦名(かんちょうれきめい)」を、玉置さんは王羲之(ぎし)の「蘭亭序(らんていじょ)」を題材に挑み、見事な筆さばきの作品(縦130センチ、横70センチ)に仕上げた。  同書展には国内の高校から過去最高の875校の1万4722点、海外部門は23カ国・地域から378点の応募があり、入賞・入選の2000点が選ばれた。書に親しむ高校生にとっては最も大きな舞台でレベルも高い。2月に大阪市内の会場で展示され、このほど作品が戻ってきた。  「灌頂暦名」は空海が、僧侶と寺院の名前を列記した覚書で、国宝に指定されている行草体の書。書道部部長も務めた武田さんは、テーマを自分で選び納得いくまで練習することができた。「書体に特徴があり興味を引かれました。憧れの書の甲子園に入選できびっくりしました」と喜び、3月1日に卒業した。  「蘭亭序」は、「書聖」と言われる王羲之が、詩集の序文として書いたもので、行書の手本として伝えられている。玉置さんは324文字の全文字を手本に写し書く全臨(ぜんりん)に挑戦。紺紙に金箔をにかわで溶いた金泥で書いた。「多くの文字と行を揃えるのが難しかった。入選できれうれしい。次は入賞を目指したい」と次回に意欲を見せている。  同部顧問の前田智講師は「武田さんは穏やかで優しい雰囲気の魅力的な字になっている。玉置さんは基本がしっかりしており、難しい課題に応えた作品になった」と話している。

写真=入選した書を前に玉置さん(左)と武田さん
2010年3月2日

志楽小の今井心求君(6年 )と優求君(4年 )兄弟
スノーボード競技スラローム2種目で初の全国大会連戦
 3月1日から始まったスノーボード競技のスラローム2種目の2つの公式戦に、志楽小学校6年生の今井心求(ろぐ)君(12)=田中=と、4年生の優求(りぐ)君(10)の兄弟選手が出場している。雪が少なく練習場所のないハンデの中、普段は体操教室でバランス感覚などを養う練習にも取り組む。2人にとって初の全国大会。互いに刺激し合いながら、新潟県と長野県での大会を連戦している。  2人は、全日本スキー連盟(SAJ)が1〜3日、新潟県上越市で開催する、全日本ジュニア選手権大会・スノーボード競技アルペン種目南魚沼大会の小4〜6年の部に出場中。続く4、5日、日本スノーボード協会(JSBA)が長野県茅野市で開く全日本スノーボード大会・ユース男子14歳以下で、心求君はデュアルスラロームとジャイアントスラロームに、優求君はデュアルスラロームに、西日本地区代表として出場する。  スノーボードを楽しむ父の寛憲さんに連れられ、心求君が5歳、優求君が3歳から滑り始め、2年前からスキー場主催の小さな大会に出るようになった。スノーボード競技でいくつもの種目がある中、父親と同じくハーフパイプ種目に取り組んでいる。  舞鶴や近辺では専用の練習施設がないため、冬休みなどを利用して岐阜県内の施設を使ったり、夏休みにはバンクーバー・オリンピックに出場した青野令選手が練習拠点とする愛媛県東温市の室内ゲレンデで練習。昨年七月には青野選手から直接指導も受けた。  また、競技に必要な回転感覚を磨こうと、父親の勧めで2年前から引土の「ディナモ舞鶴スポーツクラブ」に通い、千頭一郎さんの指導でトランポリンの練習を取り入れている。  JSDAの公式戦の地区予選に2人は参加し、目標としていたハーフパイプの予選は通過できなかったが、他の2種目で初の全国大会出場を決めた。心求君は「SAJに出場できるのは今年が最後なので1位になりたい」、優求君は「年上の選手ばかりだけれど、予選の33秒を上回る30秒を切るタイムを出したい」と話し、来年は本命のハーフパイプを含め3種目出場をと目を輝かせている。

写真=愛用のスノーボードを手にする優求君と心求君(右)
舞鶴よさこい連がボランティアの取り組み
障害者支援施設「みずなぎ学園」で鳴子を手に交流
 舞鶴よさこい連(横田敬代表、70人)が、丸田の障害者支援施設「みずなぎ学園」(濱田康寛施設長)で、施設の利用者たちによさこいの踊りを教えるボランティア活動に取り組んでいる。利用者たちも毎月メンバーが訪れるのを楽しみにしており、一緒になってよさこいのリズムに乗って鳴子を手に交流している。  知的障害を持つ人たちの入所する同学園で開かれた1昨年の夏と秋の祭りに、舞鶴よさこい連が出演して踊ったのがきっかけとなり、利用者たちの運動になればと昨年4月から毎月第2土曜日に、メンバー約10人が訪れ指導を始めた。車いすを利用する人も含め約60人とほぼ全員が参加している。  地域のイベントにも参加できるようにと目標を定めて、「正調よさこい 鳴子踊り」などを練習し、昨年11月のゑびす市にはメンバーと利用者たちが共に出演して披露した。現在は激しい動きを伴う「さあさ、みんなでどっこいしょ」を特訓中だ。1、2月は練習は休止だったが3月から再開する。  指導する竹ノ内栄子さんは「毎回とても歓迎してもらっており、コミュニケーションもとれるようになりました。みんなの楽しんで一生懸命踊っている姿に、私たちも楽しみに訪れています」と話す。ゑびす市に出演した利用者の女性は「お祭りでは盛り上げて踊ることができ、お客さんから拍手をもらえてよかった。次の踊りも覚えて披露したい」と意欲を見せている。

写真=練習を楽しむ施設の利用者と舞鶴よさこい連のメンバーたち
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