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2010年5月28日 |
舞鶴アレルギーの会「おにぎりくらぶ」会報 来月100号迎え、6月8日のお茶会に参加呼びかけ 舞鶴アレルギーの会おにぎりくらぶ(工原友子代表、会員30人)が、2001年から発行している会報が来月で100号を迎える。アレルギーの子供を持つ母親たちが、学校給食の報告やアレルギーに対応した料理法の紹介などを掲載し、他市の団体とも会報で交流している。100号を記念して6月8日午前10時から余部下の中総合会館で、アレルギーへの理解を深めてもらうお茶会を開く。参加を呼びかけている。 生活様式の変化などで体の免疫システムが過剰に働き、近年アトピー性皮膚炎や喘息などのアレルギー症状を発症する人が増えている。原因も食べ物や化学物質など多様で治療法も様々だ。 同くらぶは、毎月1回女性センターでの例会で情報交換、アレルギー対応食品の共同購入、市教育委員会から学校給食の現状の説明会、要望活動、啓発イベントなどに取り組んできた。 この間、小学校の給食は地元の食材を使うなど改善され、対応食品も近くで購入できるなど社会も変化した。一方、学校現場や一般市民によってアレルギーへの知識の差があり、啓発活動の大切さや行政に相談窓口の開設の必要も感じる。 毎月1度発行の会報はB5判で12ページ。会員の内20人が転勤で関東や広島などに引っ越したが、その地から近況や通学する小学校の給食の対応を報告、会員たちが料理をリレーで紹介するなどする。他市の9団体と交流し会報の交換も行う。 同会事務局の嵯峨根朝子さんと山下正枝さんは「社会的な理解は進んでいますが、環境の悪化でアレルギーの人は増えています。自分の子供がアレルギーだと認識していない親も多く、基本的な知識を得られる機会が少ない」と話す。 8日はアレルギーや食に関心を持つ人、親子での参加も可。参加費200円。申し込みは5月31日までに嵯峨根さん(電話75・2012)へ。 写真=これまでの会報を手にする「おにぎりくらぶ」の会員たち |
平和への思い、6月6日にピースコンサート ふりそでの少女像の亡き母・福留さん(綾部市)偲び 長崎原爆資料館のふりそでの少女像の元になった少女の母である故福留志なさん=綾部市=を偲び、平和の思いを伝える「ふりそで&おりづるコンサート」が、6月6日午後2時から綾部市里町の府中丹文化会館で開かれる。福留さんと親交を持つ高校生や市民らが参加し、シンガーソングライターの梅原司平さんが出演する。舞鶴市民新聞社など後援。 福留さんの長女の美奈子さん(当時9歳)が、長崎の原爆で亡くなっており、振袖を着て荼毘にふされた様子を見た松添博さん=長崎市=が後年、絵と絵本「ふりそでの少女」に描いた。 その後、福留さんの「娘の供養のためお地蔵さんを作りたい」との思いを受け止めた綾部市内の中学生たちが1995年、募金活動を呼びかけたところ、全国から協力の申し入れがあり、浮島丸事件の犠牲を追悼する碑を作った舞鶴の余江勝彦さんが少女像の制作にあたった。以降、福留さんは綾部や長崎などの若者や市民と交流を続け、平和の大切さを語った。昨年11月29日、107歳で亡くなった。 偲ぶ会とコンサートは高校生らが中心になって実行委員会を作って運営する。出演する梅原さんは美奈子さんを歌った「ふりそでの少女」の曲を作詞・作曲もし、福留さんとも親交を持つ。余江さんは「福留さんは戦争はあかん、平和が一番が口でした。舞鶴の人たちにも福留さんの思いを知ってほしい」と話している。 入場料は一般2000円(当日500円増し)、障害者・高校生以下1000円。 【問い合わせ】電話090・3940・6002、伊達さん 写真=偲ぶ会&ピースコンサートのちらし |
2010年5月25日 |
第19回まいづる細川幽斎田辺城まつり 家族連れら1万5000人の人出でにぎわう 第19回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)は5月23日、雨天のため会場を円満寺の西市民プラザとマナイのアーケード商店街に変更して開催され、家族連れら約1万5000人の人出でにぎわった。呼び物のちびっ子武者や鎧武者の行列は、同商店街で繰り広げられた。 戦国武将・細川幽斎が築城した田辺城の城下町として発展した西地区の歴史と文化にスポットを当てたイベント。南田辺の田辺城城門の再建を機に始まった。舞鶴公園一帯で毎年開催されており、今年は雨天のためステージ発表を中心にした内容に変更した。 相愛保育園児の太鼓演奏、芸屋台に見立てた演台で、みつる幼稚園児の「舞鶴八景」の語り、城北中学校吹奏楽部の演奏など行われた。西市民プラザのホールを埋めた市民から盛んな拍手が送られた。 恒例の「鎧武者御城下大行列」は、海上自衛官らが鎧、兜を身にまとった武者65人が、「エイエイオー」の勝どきを挙げて出発。後ろに可愛い幼稚園児や保育園児のちびっ子武者約200人が続いた。また、明倫小6年生が、商店街通りで、「明倫ソーラン」を踊るストリートパフォーマンスを発表した。 同22日には、舞鶴公園で前夜祭があり、細川幽斎が「田辺城籠城戦」の必勝を祈願して、城内で焚いたとされる故事にちなんで、護摩焚きが再現された。 護摩焚きは、幽斎が籠城戦のあと、隠居して暮らした奈良・吉野にゆかりの修験者と地元舞鶴の行者講の23人が執り行った。四方を縄で張った結界内に作られた護摩壇に点火。修験者が経を唱えながら西地区自治連会員から寄せられた願い事を書いた護摩木約3000本を火に投じた。 この後、護摩壇を組んで燃え残った丸太を並べ、その上を裸足で歩く火渡りが行われた。参加者は無病息災を祈願して、火渡りをした。 また、夜には公園内に園児の描いた絵をろうそくの灯りで浮かび上がらせる花灯ろう100基が設置された。かがり火もたかれ、雅楽の演奏も行われた。 写真左=商店街を練り歩く武者行列 写真右=無病息災を祈願して、裸足で火渡りをする参加者 |
初代田辺城城主・細川幽斎のイメージキャラ募る! 舞鶴商議所青年部、城下町のシンボルとして活用 舞鶴商工会議所青年部は、今年で没後400年を迎える初代田辺城城主・細川幽斎のイメージキャラクターを募集している。キャラクターの着ぐるみを作り、城下町のイメージのシンボルとして活用する。 同青年部の創立30周年記念事業「まちおこしプロジェクト」として企画。舞鶴ゆかりの細川幽斎をキャラクター化して、城下町のイメージを内外に発信し、市民に郷土への誇りと愛着、来訪者には親しみを持ってもらうことを目的としている。 細川幽斎は、戦国武将で、織田信長に従い、丹後国を与えられ、田辺城と宮津城を築城した。江戸時代に熊本藩主となった細川家の祖。また、歌人としても知られている。 キャラクターの応募資格は、市内在住者で、グループでの応募もできる。応募用紙にキャラクター1点を作成し、市内約20カ所に設置する専用ポストに投函、または郵送する。締め切りは、7月9日(必着)。同青年部、デザイナー、郷土史家らで協議し、同青年部30周年記念事業特別選考委員会で、最優秀作一点を決定する。同作品に賞金5万円を贈る。 採用作は、9月初旬に同青年部のホームページ(http://www.maizuru-yeg.or.tv/)で発表する。 【問い合わせ】電話62・4600、同青年部事務局 写真=幽斎のイメージキャラ募集のちらし |
2010年5月21日 |
「殉難者を追悼する会」碑公園に故三浦さんの写真設置 戦争の無残さ、爆沈した「浮島丸」と引揚船「興安丸」 549人が犠牲となった浮島丸事件を伝える活動をする浮島丸殉難者を追悼する会(余江勝彦会長)が、舞鶴の戦後史を写真で記録し続けた故三浦日出夫さんが、舞鶴湾に沈んだ旧海軍特設輸送艦「浮島丸」を1954年9月に撮影した写真をパネル板にし、5月18日、下佐波賀の殉難の碑公園に設置した。海面から機銃とレーダーをさらす「浮島丸」、その後方に引き揚げ者を乗せた「興安丸」が通り過ぎる貴重な1枚が、事件現場近くに常設され、戦後65年のいま、改めて戦争の無残さを語っている。 三浦さんは余部下で写真館を営みながら、カメラを手に引き揚げや町の変わりゆく様子を記録。中でも、爆沈から9年を経て無残な姿を見せる「浮島丸」と「興安丸」の写真は、多くの新聞やテレビなどに使われ、三浦さんの代表作になっている。 海上保安学校から伝馬船で現場海上に漕ぎ出し、「興安丸」の入港を待った。「浮島丸」に乗って祖国へ帰る途中で亡くなった多くの朝鮮人たちの悲しみや無念さと、抑留から解放され日本へ戻れる喜びに溢れる「興安丸」を対照的に撮影した。 毎年8月24日に追悼集会を続ける同会が、事件を具体的に知ってもらうため写真を公園に掲示しようと、親交を持つ余江さんが3年前、三浦さんに写真の使用を依頼。快く引き受けた三浦さんはネガから新たに写真を焼き直し手渡したが、完成を待たずに昨年2月に78歳で亡くなった。 写真パネル板は75センチ四方の大きさ。原版の写真をコンピューターでデータ化し、シールに印刷してアルミの複合板に張った。追悼の碑後方にある壁面右側に設置した。拡大されたモノクロ写真にはレーダーの細部や、「興安丸」デッキの通路に立つ多くの引き揚げ者の姿が見える。写真の説明と撮影者などを日本語とハングル語で記入している。 余江さんは「三浦さんの歴史をとらえた写真を多くの人に見てほしいという思いもあった。完成を一番に報告できず残念ですが、写真に込められた思いを今後、見学者に伝えていきたい。引き揚げの関係者にも見てほしい」と話している。 浮島丸事件 戦時中、青森県内で土木労働などに従事させられていた朝鮮人労働者と家族らを乗せた「浮島丸」が、終戦直後の1945年8月22日、大湊港を出港し、朝鮮半島の釜山へ向かう途中に寄航した舞鶴湾内で同24日、謎の爆発・沈没をし、朝鮮人524人と乗組員25人が亡くなった。 写真=海面から機銃とレーダーをさらす「浮島丸」と、その後方を引き揚げ者を乗せて入港する「興安丸」 |
5月23日の「田辺城まつり」で明倫小5年生14人 リレー講談に初挑戦!芸屋台で田辺城籠城戦の一席 第19回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)が5月23日、南田辺の舞鶴公園を中心に開かれる。隣接する明倫小学校の5年生14人が、芸屋台の上で田辺城籠城戦の一席のリレー講談に初挑戦する 1600年、西軍の1万5000の軍勢の城攻めを、細川幽斎が500の兵で防いだ籠城戦の話を元に、実行委の米山隆一朗さんが18幕の講談を創作し、15回目のまつりで市民が演じた。今回は、江戸時代に子供歌舞伎の舞台に使われた芸屋台を活用し、籠城戦の歴史を語り継いでもらおうと、実行委が明倫小に依頼。1人が1〜2幕ずつリレー方式で語る。 学校での練習には実行委メンバーらが、間の取り方などを指導。児童たちは陣羽織を着て、場面に合わせて声のトーンを変え、扇子を勢いよく演台で叩くなど熱演を見せている。6幕と17幕を演じる松本達也君は「戦いの場面を激しく言ったりと登場人物になりきって語っています」と張り切っている。 講談は午後0時50分ごろから。3台出る芸屋台では、講談のほか西町子供会やみつる幼稚園児らの舞鶴八景の語りなどもある。 写真=陣羽織を着て扇子を手に稽古する5年生 |
2010年5月18日 |
日星高、キャリア教育の実践を全国へ発信 5月29日の国際教育フォーラムで高校代表して発表 将来の職業や生き方などを考えるキャリア教育をテーマに、全国の教育機関の実践例を紹介した本「図説キャリア教育」(発行・雇用問題研究会、A4判、235ページ)が出版され、日星高校(水嶋純作校長)の取り組みが掲載された。コミュニケーション授業と協働学習と合わせ、生徒たちが自信を取り戻し夢を実現させる力を少しずつつけている。5月29日に三重大学で開かれる国際教育フォーラムで、同高教諭が全国の高校を代表して発表する。 日星高は、学力や対人関係で悩む生徒が多く、自己肯定感が低いことからその改善を図るため、日本キャリア教育学会名誉会長の仙ア武さんを講師に教諭らが研修を重ね、3年前に「キャリア教育」「コミュニケーション授業」「協働の学び」のチャレンジプラン3Cを立て、社会で生きる力を育む教育を目指すことにした。 キャリア教育は生徒の生活実態に即して将来をどう生きるか、何のために働くか進学するかを考えさせることに焦点を当て、夢を見つけ実現する力を養うことを目的とする。具体的には自分を見つめ直し、様々な職業人から話を聞いたり、長期間の職場体験などを通して自分の生き方を探る。 同時に、協働学習で仲間とともに学び合い基礎学力をつけ、園児やお年寄りと交流するコミュニケーション授業で、他者への理解や自分が必要とされている自信を取り戻す体験を積んでいる。 活動はまだ日が浅いが着目点が評価され、同書への掲載を依頼された。進路指導部長の多名賀基文教諭が、実践例と学習計画などの図表も示しながら執筆。全国から50校が紹介されている中、高校は7校だけで私立高は日星高のみ。ユネスコの下部機関である世界新教育学会が、21世紀の人材育成をテーマに開くフォーラムで、多名賀教諭が活動を発表する。 水嶋校長は「生徒たちの両親への感謝の気持ちが育つ様子に、少しずつ実ってきているのを実感しています。今後も地道に実践を続け地域を支える人材を育てたい」、多名賀教諭は「生徒たちはとても明るくなったと外来者から言われます。生きる力を身につけてもらえるようがんばりたい」と話している。 写真=紹介された本を手にする水嶋校長(左)と多名賀教諭 |
五老ヶ岳花回廊育てる会にNPO法人の認証 ツツジの植樹と世話を続ける市民グループ 舞鶴の観光名所・五老岳のドライブウエー沿いや頂上散策路に、ツツジの植樹と世話を続ける市民グループ「五老ヶ岳花回廊を育てる会」が、特定非営利活動(NPO)法人の認証を受けた。これを記念して、このほど「レンゲツツジ花回廊巡り」を開催、ボランティアで活動に携わってきた会員らが、色鮮やかに咲き誇る花を観賞して、さらに五老岳の魅力アップを誓った。 花回廊づくりは、2000年4月、舞鶴東・舞鶴両ロータリークラブが、社会奉仕活動の一環として始めた。東西舞鶴の中間に位置する舞鶴一の景勝地・五老岳の景観向上を図るのが目的。ドラブウエー沿い約3キロや頂上散策路の延べ約6キロにレンゲツツジの植樹を行った。 この取り組みは、2007年から「花回廊を育てる会」が引き継いだ。広く市民の協力を得て、散水や草取りの世話を続けている。また、花回廊のグレードアップのため、山側斜面にツツジを植栽して、若狭富士や丹後富士を形作るなどしている。これまでに植樹したツツジは約5000本を数えている。 NPO法人は、活動団体の基盤を強化して、さらに継続・発展を図るため取得した。理事5人、監事2人の役員を決め、運営に当たる。西村敏弘代表理事は「花回廊づくりがスタートして10年。さらに10年後には夢のような花回廊にしたい」と話している。 写真=「花回廊巡り」で満開のツツジを観賞する参加者 |
2010年5月14日 |
中山の造酒屋「池田酒造」&川柳作家やすみりえさん コラボで梅酒「雲の恋」開発、5月16日に発売記念イベント 自家醸造を復活させた中山の造酒屋「池田酒造」(池田ア子社長)が、著名な川柳作家のやすみりえさんとのコラボレーションで、梅酒「雲の恋」を開発した。やすみさんが味とラベルをプロデュースし、自作の恋の川柳と商品名を自筆でラベルに書き込んでいる。淡い恋心のような甘酸っぱい味に仕上がっている。5月16日には北吸の市政記念館でやすみさんも来場し、試飲や川柳コンテストなどの発売の記念イベントを催す。 同社は約20年間、自家醸造を休止していたが、サラリーマンから家業を継いだ専務の池田恭司さんと叔母の孝子さんが、1昨年から本格的に再開した。やすみさんはテレビの「笑っていいとも」にレギュラー出演するなど活躍しているが、市教委が開いた川柳講座で講師として来鶴。お酒好きで酒蔵めぐりもしており、昨年11月同社を見学し、案内した恭司さんも川柳講座に通った。 親交を深める中、やすみさんから温めていた川柳とお酒のコラボの企画の申し入れがあり、様々な製品を飲んでもらった上で、梅酒の開発を決定。昨年6月に若狭三方の梅「紅映(べにさし)」を素材に、甘さを控えめに漬け込んだ梅酒に、仕上げとして純米吟醸酒「池雲」をブレンドするが、その比率を変えた数種類をやすみさんに試飲してもらい、約一割を混ぜたものを採用した。梅の甘酸っぱさを残しつつ、日本酒を混ぜることでまろやかな味になった。 その味からイメージして詠んだ句が、「恋ごころふわりきままに雲へのせ」。商品名にも「池雲」の雲を入れた。1本720ミリリットルで1370円。1000本生産する。16日から同社のホームページ(http://www.ikekumo.com/)や、市内の酒販店で販売する。恭司さんは「食前酒として気軽に飲める味になり、梅酒と恋ごころがぴったりです。やすみさんとひょんなご縁ができ、まさか商品やイベントにまでこぎつけるとは思いませんでした」と話す。 これを機会に地元の酒蔵や川柳の魅力を知ってもらおうと、舞鶴蒲鉾協同組合や大庄屋上野家などの協力で記念イベントを開く。「雲の恋」などの試飲、地元産品の販売のほか、来場者からお酒にまつわる川柳を投句してもらい、やすみさんが審査し最優秀作品には梅酒などをプレゼントする。午後1時〜同3時。入場料500円。 【問い合わせ】電話82・0005、同社 写真左=純米吟醸酒をブレンドし、まろやかで甘酸っぱく仕上がった梅酒「雲の恋」 写真右=やすみりえさん |
可愛いちびっ子武者や勇壮な鎧武者巡行 5月23日、まいづる細川幽斎田辺城まつり 可愛いちびっ子武者や勇壮な鎧武者が巡行する第19回まいづる細川幽斎田辺城まつり(同実行委員会主催)が、5月23日午前9時半から南田辺の舞鶴公園一帯で開催される。前日の22日には、前夜祭もあり、花灯ろうに明かりが灯され、かがり火が焚かれる。 城下町・西舞鶴の町衆の伝統と文化を体感してもらうイベントとして、田辺城城門の再建をきっかけに始まった。田辺城を築城した細川幽斎公が、慶長5年(1600)の関が原の戦いの2カ月前、敵1万5000の兵に対して、わずか500の兵で、田辺城に籠城した史実を骨子に、まつりを展開する。 田辺城城門前で開会宣言に続いて、籠城戦のための寄進米を集めに担ぎ棒のみを持って出発。今年は海渡寄進米として、青井から舟で吉原に運ばれ、さらに寄進米みこしとして、田辺城城門に到着する。籠城の経過に沿って、各場面を小芝居で演じる。 最大の呼び物の「鎧武者御城下大行列」は、町衆を出迎えに午前11時ごろ、田辺城城門を出発し、田辺八景を巡って午後0時半に城門に戻る。ちびっ子武者や鎧武者、町内太鼓が、西市街地を練り歩く。 舞鶴公園内では、相愛保育園児の太鼓演奏、明倫小児童のソーラン、よさこい踊り、ステージでは、宮津宮本神楽保存会の「神楽」、ちゃったマンショーなどが演じられる。このほか、明倫小グラウンドで、ちびっ子乗馬体験、野点、物産展もある。 前夜祭は、23日午後3時から護摩焚と火渡り。午後6時半から花灯ろう100基に点灯するほか、かがり火8基を焚く。午後7時から雅楽の演奏もある。 雨天の場合は、西市民プラザやマナイ商店街で一部のイベントを行う。 【問い合わせ】電話75・0933、舞鶴商工振興会内、同実行委員会事務局 写真=田辺城まつりのポスター |
2010年5月11日 |
舞鶴出身のグラフィックデザイナー・板東さん 自費出版で仕事や趣味の作品を一冊にまとめる 舞鶴出身で、豊中市のデザイン事務所を経営するグラフィックデザイナーの板東省司さん(63)が、これまで製作してきた商品やカタログなどのデザイン、趣味で作った切り絵や書などを約2年がかりで一冊にまとめ、作品集「ban―collection」(B5判変形、153ページ)をこのほど自費出版した。少年時代を過ごした和田中学校や舞鶴湾などのふるさとの風景の作品も収録している。母校の小・中・高校などに寄贈した。 板東さんは中舞鶴小、和田中、東舞鶴高校を卒業。高校時代には美術部に所属し絵を描いていた。グラフィックデザインの仕事をしようと大阪市のデザイン専門学校で学び、デザイン事務所勤務で経験を積み、28歳で独立した。約45年間してきた仕事と趣味の作品を掲載し、履歴書代わりの本を作ろうと準備を進めてきた。 商品カタログなどの仕事にも活かしている実益を兼ねた趣味の切り絵を多数盛り込んだ。中には五老ヶ岳スカイタワー、共楽公園、フェリー、蛇島など心に残る風景を描いている。「筆遊び」のコーナーでは「桜舞う次はつつじの出番ふるさと舞鶴の花」などの書を紹介した。 仕事のコーナーにはアナログ時代に作った一部の作品やデジタル時代の作品を収めている。JAのキャンペーンマーク、会社案内、パンフレット、建築雑誌、製薬会社の商品のラベルやパッケージ、卓上カレンダーなど手がけた多彩な商品がある。また、高校時代に描いた水彩画の自画像も載せた。 1000部発行した。販売するつもりはなく、同級生や母校などに贈るなどしたが、購入してくれる人もいる。 板東さんは「グラフィックデザインの仕事は何万、何十万部と製造され世に発表されるのが一番の魅力」とし、「舞鶴は私の原点であり特に幼少期を過ごした加津良の海は特別の感慨があります。今後も何かで、どこかで少しでもふるさと舞鶴に役立ちたい」と話している。 写真左=作品集「ban―collection」 写真右=板東さん |
鹿原地区活動組織が田んぼに「田宴アート」 子らも加わり田植えでヘイケボタルを描く 地域の農地・水・環境保全向上対策に取り組む鹿原地区活動組織は5月9日、地元の水田に黄色や黒色の稲穂でヘイケボタルを描く「田宴アート」に挑戦、子供たちも加わって田植えを行った。9月中旬には、稲穂が描く巨大なホタルが出現する。 「田宴アート」は、阪神タイガースの虎マークなど、全国各地でニュースになる田んぼアート。同活動組織でも、環境保護や農地保全への関心を高めてもらう一環として企画。図形は、地元の鹿原川に夏場に飛び交うゲンジボタル、ヒメホタルの模型を同川土手に設けたことから、残るヘイケボタルに決めた。 面積10アールの休耕田に、竹棒とテープを使って長さ約10メートル、幅約3メートルの実物大の1000倍の大きさのヘイケボタルを形作り、胴体の黒色部分は古代もち、頭部の黄色部分はカグラもちの苗を植えていった。苗は田宴アートを企画した農業、竹内保人さん(49)が、九州から古代もちのもみ米を取り寄せ、カグラもちとともに育苗した。 田植えには、同活動組織のメンバーや地元子供会の小学生ら約40人が参加。ヘイケボタルの形に植えたほか、周囲にもホタルを浮き立たせるよう図案化された線に沿って植えていった。 竹内さんは「いつか田宴アートをやりたいと思っていました。秋に稲穂が出て、ホタルが現れるのが楽しみです。来年は子供たちから図案を募って続けたい」と話していた。 同活動組織は、農林水産省の農と環境を守る地域協働活動支援事業として、農事組合や町内会などで構成、2007年から生き物観察や啓発看板の設置などの活動を行っている。 写真=図形に沿って苗を植える子ら |
2010年5月7日 |
まいづる建築大賞に梅原さん(福来問屋・梅原工務店 ) 寺社や古民家などの伝統的建築の再生に尽力 社団法人京都府建築士会舞鶴支部(上野明支部長)は、まいづる建築大賞の第2回受賞者に、福来問屋の梅原工務店代表で1級建築士の梅原孝雄さん(63)を決めた。NPO法人日本民家再生協会(東京都千代田区)の会員でもある梅原さんは、寺社や古民家などの伝統的な建築の再生に取り組んでいるほか、伝統的工法の継承や待遇面での改善などで若手技術者の育成にも力を入れている。 建築大賞は歴史や景観に調和した建築、すぐれたデザインによる建築、地域や環境保全に寄与した活動をした建築士を対象に、専門家や市民らによる選考委員会が審査する。受賞した同工務店は、1807(文化4)年の創業で梅原さんで10代目になる。 2006年、松尾寺の江戸期ごろの御堂を解体し、一時工場で仮組保管を経て、2年後に布敷に中島地蔵堂として移築した。御堂の中心の1本の柱に6本のはね木が組んであるなどの工法を写真と図面で記録し、再現しやすいようにした。また、腐っていた柱の一部の部材は取り替え、木を継ぐ金輪継(かなわつぎ)を採用した。 手間をかけて作られた丈夫な昔の民家の再生もテーマにする。伝統的な工法で建てられた古民家の現場で仕事をすることが、若手技術者にとって腕を磨く一番の機会になると積極的に引き受けている。同再生協会からの紹介で、伊佐津にあった土蔵を解体、九州小倉へ送る仕事もした。 建築業界は日給制をとる事業所が多いが、若手の定着を図るため月給制を導入し待遇面の改善にも気を配る。また、日本建築のよさを知ってもらおうと工場横に本格的な茶室を作り、希望者に利用してもらうこともしている。 舞鶴建築組合の組合長も務める。昨年は市からの依頼を受け、組合で堀上地区の芸屋台を57年ぶりに復元させた。梅原さんは「受賞にはびっくりした。古いものを昔のやり方で直し住みやすくする仕事が認められうれしい。今後も古民家を大切にしてもらうお手伝いや、地震にも強い伝統的木造構法のよさを伝えていきたい」と話す。茶室の利用は1回500円。 【問い合わせ】電話76・2224、同工務店 写真=古民家の良さを語る梅原さん |
似顔絵イラストレーター・しらさぎゆきさん 5月9日までエル・マールで個展「かお図鑑」 千歳のエル・マールまいづるで個展「かお図鑑」を開き、その場で来場者の似顔絵も描いている。浅田真央やベッキー、イチロー、鳩山由紀夫などの特徴をとらえたユーモラスな似顔絵が来場者の笑いを誘う。「似顔絵には笑いの要素があり、人を癒し元気にする力があると思っています。心と体を元気にすることに私の絵が役立てられれば」。 子供のころから絵を描くことが大好きで、イラストや漫画などを雑誌に投稿していた。10年前、「週刊朝日」でイラストレーターの山藤章二氏が審査する似顔絵塾に投稿し初入選。「似せることができた時の達成感や投稿者の塾生と知り合い、似顔絵の面白さにはまりました」。掲載回数も増え、昨年特待生に選ばれた。山藤さんからは「明快なアウトラインと単純な構成を一貫して作品のレベルも外れのない高打率」と評されている。 絵は我流で描き方を身につけた。いまは手書きとパソコンを使って描く。京都市内の手作り市に出品したり、2008年には大阪でグループ展、名古屋で個展を開くまでになった。ホームページを開設(http://www.sydaizen.com/)して作品を紹介したところ、ネットを通じて仕事の依頼が舞い込んだ。お米メーカーのおにぎりの包装紙に北京オリンピックの柔道メダリストの谷本歩実選手らの似顔絵が使われたり、札幌のプラネタリウムにはワールドベースボールで世界一になった日本人選手の絵が投影された。 似顔絵の創作で心がけているのは、「インスピレーションとシンプルにわかりやすく描くこと」。もう1つ、大切にしていることがある。それは子供心を忘れないこと。「子供の絵に自由を感じます。うまくなることにとらわれず、感じたまま描くことを大事にしたい」。福祉施設も訪問し似顔絵を描きその楽しさを伝えたいとする。 15年前に舞鶴に引っ越し、小学生2人の子育て中。その奮闘の体験を元に絵本もつくる予定だ。(住所=女布) 個展は5月9日まで。似顔絵を描くのは8、9日の正午〜午後5時半。1人1000円。 【問い合わせ】電話68・1090、エル・マール 写真= 似顔絵を前にした、しらさぎゆきさん |
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