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2007年9月28日

東高出身の小山さんが準主役、映画上映会
10月20・21日に「あの遠い夏の日があった」
 東舞鶴高校を卒業後、俳優として活動する小山直樹さんの出演する映画「あの遠い夏の日があった」(高田拓土彦監督)の上映会が、10月20、21日、余部下の中総合会館で開かれる。特攻隊を描いた「月光の夏」とは違った切り口で、戦後ほとんど語られることのなかった帰還特攻兵の真実を明らかにした。東高OBらが上映会を主催、両日は小山さんと高田監督によるトークショーもある。  小山さんは1977年生まれ。青葉中、東高を卒業。看護師の経験を経て俳優を目指して2001年に上京し、高田さん率いる写劇団高田倶楽部の旗揚げに参加した。これまで映画「ブラッドエンジェル」、Vシネマ「白と黒」などに出演した。  監督・脚本家の高田さんは「仮面ライダー」と「ウルトラマン」シリーズを手掛け活躍する。結成から3年目の同劇団の集大成として今回の映画を制作、7月の青森映画祭に出品し好評を得て全国で公開が始まった。「月光の夏」はピアノを弾く特攻兵を描いたが、今作では軍が生きて戻った特攻兵を軟禁虐待した隔離施設「振武寮」の真実を明らかにした。  物語は1944年5月、鳥栖国民学校から始まる。特攻兵の伊達健介と坂崎進はピアノソナタ「月光」を弾き、翌日出撃した。伊達は戦死、坂崎は奇跡的に行き残るが消息を絶ち40年が過ぎた。小山さんは準主役で伊達健介を演じ、制作も務めた。このほか渡辺裕之、ガッツ石松、凜華せらさんらが出演する。  「舞鶴でぜひ見てほしい」との小山さんの想いに応え、東高同窓生で作る東高シネマ倶楽部(芦田健一代表)が上映会を開く。20日は午後6時〜、21日は午後1時半〜。両日とも最後にトークショー。小山さんは「特攻隊の存在を決して愛国美談に終わらせず、出撃した人たちの思いを今一度蘇らせたいと作りました」と話す。  前売りは1000円(当日200円増し)。チケットはローソン国病前店、喫茶店「ボン」、芦田印刷などで販売中。
【問い合わせ】電話62・0067、芦田さん。
6人にチケットプレゼント
 主催者の協力で、舞鶴市民新聞社はこの映画に6人(各日3人)を招待する。  希望者は住所、氏名、電話番号、市民招待席「あの遠い夏の日があった」、希望日(20日か21日)を明記し、10月7日までに申し込めばよい。応募ははがき(あて先〒624―0905福来912―1舞鶴市民新聞社)、FAX(77・1750)、Eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)で受け付けている。  応募者多数の場合は抽選。チケットの発送をもって発表にかえる。

写真=映画の1シーン。ピアノを弾いているのが小山さん
サル撃退へ市が用具16基導入
「辛子銃」市内の農事組合に貸与始める
 農作物を荒らすサルの被害が各地で頻発しているが、市はサル撃退用具16基を導入し、市内の農事組合に貸与を始めた。9月25日には朝来農事組合(上山潔組合長)の組合員13人が使い方の説明を受け、トウガラシの成分を詰めた「辛子銃」の威力を体験した。  昨年、市東北部を中心に住民らがサルの被害状況の調査結果をまとめた。被害を食い止める有効な手段はないが、府南部でこの撃退用具が使われている。用具のマークペットは元々は防犯グッズで、筒先からボールが発射され、着弾し特殊な塗料をまき散らす。ボールの代わりにトウガラシなどの成分を詰めた玉を使い、破裂するとセキが止まらず、一定期間サルが寄りつかない効果が報告されている。  この日は大波など朝来地区の農事組合に2基が貸与され、朝来中の田口神社境内で市職員から使い方の説明を受け、さっそく試し撃ちをした。上山組合長は「各町内で順番に使い、その効果を見たい」と話した。

写真=サル撃退用具を試し撃ちする朝来農事組合の人ら
2007年9月25日

全国ろうあ者卓球出場、難聴の上田兄妹
混合ダブルスの部で力を合わせ優勝
 府職員の上田大輔さん(22)=浜=と、日星高校3年の上田萌さん(17)=同=の生まれつき重度の難聴の障害を持つ兄妹が9月15、16日に岡山県内で開かれた第41回全国ろうあ者体育大会・卓球競技に出場し、混合ダブルスの部でペアを組み優勝した。急造ペアだったが、試合を重ねるごとに息と力を合わせた。妹の萌さんは女子シングルスでも優勝し全国2冠を達成した。  感音性難聴の2人はほぼ両耳が聴こえない。卓球は一条卓球クラブ(小畑喜生代表)で子供のころから始めた。大輔さんは中学で全日本カデット、東高で府大会に出場し、大学では時々競技を楽しんでいた。萌さんは小・中学で全国大会、日星高で高校総体に出場。昨年から全国ろうあ者大会で2年連続優勝、2009年の聴覚障害者五輪「デフリンピック」の日本代表候補に選ばれている。  今春帰郷した大輔さんは、卓球を通して難聴者と交流しようと、5年ぶりに競技会への出場を決めた。2人は混合ダブルスで初めてコンビを組むことにしたが、練習は1度しかできず試合に臨んだ。最初はぶつかり合っていたが、2回戦の苦戦をしのいでいく内に、コンビネーションも合ってきた。順調に勝ち上がり、決勝は3―0と快勝した。  女子シングスルにも出場した萌さんは、準決勝でデフリンピックの元金メダリストの小浜京子選手を、決勝はその妹で実力者の鈴木由樹子選手を破った。全国大会は3連覇になり、また一歩日本代表に近づいた。  大輔さんは「互いに仲良くプレーできたのが勝因。妹とは最初で最後のダブルスかもしれないので、楽しくできたらと思いプレーしました」、萌さんは「一条クラブでの練習で調整できたのがよかった。私のミスを兄がうまくカバーしてくれました」と話していた。小畑代表は「互いに性格もプレーもよく知る兄妹だからこそ、急造でもすぐに息が合った。力を合わせての優勝はすばらしい」と讃えた。

写真=息もピッタリ合って優勝した上田兄妹
府立医大の本庄教授が特別顧問に就任
舞鶴医療センターに周産期医療センター設立へ
 府立医科大学産婦人科の本庄英雄教授(63)が舞鶴医療センター(平野伸二院長)の特別顧問に就任し、9月21日、行永の同センターで着任の会見をした。府北部でハイリスクの出産に対応するため、周産期医療センターの立ち上げ準備に努めたいとする。  舞鶴医療センターは府の周産期医療サブセンターに指定されているが、昨年3月末に産科医3人が退職し産科を休止している。一方、今年5月に助産師たちが正常な分娩を扱う院内助産所を開設した。同医療センター内に、リスクの高い出産に対応する集中治療室NICUを備えるが、いまは他の病院で生まれた未熟児を受け入れる形でNICUを活用する。  現在、舞鶴市内では共済病院と開業医院でも出産を扱っているが、ハイリスクのケースでは京都などに母子をヘリコプターで搬送。そのため府が本庄教授を派遣し、産科医を確保して周産期医療センターの開設を目指す。  会見では、国と府、市と連携し、舞鶴地域医療あり方検討委員会とも話し合いたいとした。医師確保に向け「医師の待遇の改善、子育て中の女医の労働環境を整えるため24時間の院内保育所の開設」の必要を話した。正常な出産については従来通り院内助産所で行いたいとする。  本庄教授は前府立医大病院院長。特別顧問と府立医大周産期診療部長を兼任する。

写真=設立準備について話す本庄教授
2007年9月21日

舞鶴赤十字病院、看護師の子育て支援など
5階病棟(内科)で2交替制勤務を試行
 倉谷の舞鶴赤十字病院(弘中武院長)の5階病棟(内科)で、看護師の2交替制勤務の試行を実施している。これまでは3交替が普通だったが、看護師の子育て支援と夜間通勤を減らして防犯の向上を目的としている。試行から3カ月経過し、業務を改善しながらその効果が現れている。  同病院の3交替は午前8時半〜午後4時50分の日勤、午後4時半〜翌日の午前0時50分の準夜勤、午前0時半〜同8時50分の深夜勤で、夜勤は1カ月8回までの体制をとる。が、子育て中の看護師は育児休暇から復帰後、夜勤のない外来の希望も多い。また、看護職は女性が大半を占めることから、夜勤の通勤と帰宅の際の防犯などが懸念されてきた。  最近は多くの病院で2交替制が導入されていることもあり、看護部のスタッフ150人の内、26人が勤務する5階病棟で6月から試行的に2交替を開始。日勤は午前8時半〜午後4時50分、準夜勤は午後四時半〜翌日の午前9時10分とし、準夜勤は月4回までとする。  実施1カ月後にアンケート調査をした結果、準夜勤は従来の8時間から16時間勤務となったことで、ベテラン看護師は「疲労を感じる」と回答。そのため看護サービスを維持しつつ休憩時間の有効利用、業務の一部を日勤時間中に変更するなど改善した。3カ月後、「夜勤回数が減り、家にいる時間が増え子供たちの世話もできる」と歓迎する声が増えた。  千々石八重子看護部長と5階の水口恒子看護師長は「寝る前と朝起きた時に同じ看護師が声を掛けるので、患者さんにも安心感を持ってもらえています」「深夜に家の出入りがなくなり、家族も安心と喜んでいます」と話していた。1年間試行した後、他の病棟に導入するか検討する。

写真=2交替の引き継ぎをする看護師たち
白糸中で吉田さん「絵本の読み聞かせ」
生徒ら心温まるストーリーに聞き入る
 浜の白糸中学校(後野文雄校長)で、9月18日から2年生のクラスを対象に、同校アドバイザーの吉田真帆さん(63)による「絵本の読み聞かせ」が始まった。生徒たちは童心に帰って、絵本の心温まるストーリーに聞き入っていた。  同校では、各学期の2週間、全校挙げての「朝読書」の取り組みを行っている。今学期も同12日から同27日まで、授業開始前に、生徒と教師が教室で、読書で集中力を高めて一日のスタートを切っている。この一環として、1学期から吉田さんを招いて、絵本の読み聞かせも取り入れた。  吉田さんは、読み聞かせボランティアとして、小、中学校や西舞鶴高校などで活動を行っている。同校では、初めて1学期に3年生を対象に行った。今学期は同25日まで、1日1クラスずつ5クラスで読み聞かせを行う。  生徒たちを前に、吉田さんは、持参した絵本「おかあさんのたんじょうび」「もりいちばんのおともだち」など5冊を読み聞かせた。感情豊かにストーリーを読み、生徒たちを絵本の世界に誘っていた。吉田さんは「絵本は心を癒し、心を育てるには不可欠です」と話している。

写真=2年生に絵本の読み聞かせをする吉田さん
2007年9月18日

菖蒲谷さんが1通の手紙、出会いの夢実現
演歌歌手の高山厳さんが訪れ握手
 車いす生活を送りながらバリアフリーのまちづくりに取り組む安岡の菖蒲谷賢治さん(48)の元に、9月14日、NHK紅白歌合戦にも出場した演歌歌手の高山厳(げん)さんが訪れた。高山さんの大ファンの菖蒲谷さんが、自由に動かない手で綴った手紙に応え、伊根に向かう途中に来鶴した。サインをプレゼントされ、握手を交わした菖蒲谷さんは「夢のよう。とてもうれしい」と感激している。  菖蒲谷さんは筋ジストロフィー症のため車いすを利用し、安岡の身体障害者療護施設「こひつじの苑舞鶴」で生活している。自身の体験から障害者に暮らしやすい街を目指し、「京都府北部の福祉の街づくり協会」を設立し活動してきた。  高山さんは1971年に、ばんばひろふみさんらと「バンバン」を結成。75年ソロデビューし、92年に発表した「心凍らせて」で、翌年の第26回全日本有線放送大賞グランプリを受賞、第44回NHK紅白歌合戦にも出場した。昨年6月、丹後半島を舞台にした「伊根の舟歌」を発表し活躍する。  歌好きな菖蒲谷さんが昨年7月、テレビの歌番組で「伊根の舟歌」を歌った高山さんが、「伊根で披露する機会があれば」と話す姿を見て、「ぜひ舞鶴と伊根に来て歌ってほしい」と今年3月に手紙を送った。便箋一枚に不自由な手で一生懸命気持ちを綴り、高山さんが伊根で歌う場を作ろうと伊根町にも相談した。  想いを知った高山さんの所属事務所でも丹後地方へのキャンペーンを企画し、9月15日に伊根町での敬老行事の出演が決まり、その前日に舞鶴入り。施設で待つ菖蒲谷さんと対面し、実際に歌うことはできなかったが握手を交わしたり、入所たちにも気軽にサインに応じた。  菖蒲谷さんは「読めるか読めないかのような手紙を読んでいただき、夢がかなってうれしい」と感謝し、15日のステージを聴き入った。高山さんは「本当に聴きたいと思う人に、応えたいというのが歌い手の気持ちです。一通の手紙で出会いが実現したことに、人とのめぐり合わせの面白さを感じます」と話していた。

写真=高山さんからサインを贈られた菖蒲谷さん(左)
篠田さん偲び9月23日までサンムーンで
切り絵と兄の正昭さんの日本画2人展
 「丹後のカニ博士」と呼ばれ、昨年9月に67歳で急逝した篠田正俊さん(行永東町)を偲ぼうと、篠田さんと兄の正昭さん(岐阜市)の2人展が、浜のギャラリー・サンムーンで開かれている。篠田さんが愛した丹後の海や文楽シリーズの切り絵、正昭さんのカニなどの日本画が並ぶ。9月23日まで。  篠田さんは京都大学水産学科で学び、1988年から宮津市の府立海洋センター所長を務め、日本海のズワイガニの資源保護の研究に尽くした。99年に退職後は切り絵作家として活躍、カード「魚魚(とと)あわせ」の10シリーズを制作したり作品展も開いた。  サンムーンでは2回の個展、長兄の正昭さんと次兄で陶芸家の正隆さんと2年前に3人展を開催したことがある。亡くなる前には文楽シリーズの作品展をしようと、画廊オーナーの佐藤保明さんと話し合っていた。  妻の秀實さんらの提供を受け、その文楽の人形や丹後の漁業の切り絵などを展示した。元行動美術協会会友で岐阜保健短期大学学長の正昭さんは、正俊さんを偲んで天の橋立などの風景を出品した。佐藤さんは「よく切り絵の色合わせの相談に寄られたり、自分の創作のヒントにしようと作家らの作品を鑑賞されていました。早すぎる死は残念ですが、今回文楽を展示し約束が果たせたような気がします」と話す。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。

写真=篠田さんが愛した丹後の海を表した切り絵などが展示されている
2007年9月14日

火事乗り越え古布店「あおいや今昔」再開へ
9月14〜19日、堀江さん(城屋)夢屋で展示販売
 古布販売店「あおいや今昔」を経営する堀江芳代さん(64)が、6月に起きた火事で店が全焼したのを乗り越え、9月21日から城屋の自宅一角を店舗として営業を再開する。それに先立ち、火災後に応援してくれた人たちへの感謝の気持ちを込めて、同14日から昭和台の「夢屋」で、再開を記念して古布の展示販売を行っている。同19日まで。  堀江さんは、高野由里で表具店を営む夫の達人さん(63)が、掛け軸に使う布を骨董屋で探す中、古布を扱う店をしてみないかと勧められたのがきっかけで、2003年から表具店1階で店を始めた。元々古布に魅力を感じ、好きな仕事に励む内に福井や京阪神からの来客も増えてきた。  火事は6月8日未明に発生し商品もほとんど失った。その後の片付けに多くの人の手伝いと励ましを受け、「火事をバネにもう一度店をやろう」と前向きな気持ちを持った。店舗の再開も決まり、「元気をもらってがんばっています」という姿を知らせようと、「夢屋」の協力を受け開催する。明治から現代までの着物、小さな布、帯など約500点を準備した。  堀江さんは「皆さんに親切にしていただき感謝するばかりです。今後も喜んでもらえるよう仕事を続けたい」と話していた。午前10時〜午後4時。期間中は会場に滞在している。
【問い合わせ】電話75・4171、あおいや今昔。

写真=古布を並べて展示販売の準備をする堀江さん
9月19日から智恵蔵で「ヒカリノカタチ展」
「光」テーマに地域のアイデンティティー問いかけ
 NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴主催の現代美術展「ヒカリノカタチ展」が、9月19日から北吸のまいづる智恵蔵で開かれる。「光」をテーマに地域のアイデンティティーを問いかける。ヨシダミノル氏と池田修造氏の作品を展示するが、ヨシダ氏が1970年に大阪万博に出品した「バイセクシャルフラワー」が今回登場する。同22日は作家のトークとライブパフォーマンスがある。  赤れんがの空間と現代アートとのコラボレーションの魅力を発信する自主事業の第2弾。現代社会の問題を扱った作品づくりをする二人を招き、光をテーマに地域や文化などを問いかける。  池田氏は80年代初頭、関西のニューエイジとして登場し、モノの形にとらわれない表現方法をとる。その後デザインや工芸など芸術的視覚で表現している。ヨシダ氏は前衛グループ具体美術に所属し、異彩を放った独自の活動をした。日本でのパフォーマンス美術を定着させた。  両氏の作品20点以上を展示する。「バイセクシャルフワラー」は、透明アクリル板とブラックライトを用いた巨大な造形物の装置で、水が入って動く。10月14日まで。午前9時〜午後5時。9月22日午後2時から市政記念館ロビーで作家のトークなど。入場無料。
【問い合わせ】電話66・1035、智恵蔵。
 10月6日午後1時から岡安の青葉山ろく公園で、ワークショップを開く。池田氏による野焼き体験、楽器作りをする。要予約(電話080・1467・0703、西村)。

写真=展示するヨシダミノル氏の作品「バイセクシャルフラワー」
2007年9月11日

細川幽斎古今伝授の松の額
川戸さん(引土)寄贈、田辺城資料館で展示
 細川幽斎が古今伝授を行ったとされる田辺城の庭の松で作ったとされる額がこのほど市教委に寄贈され、南田辺の田辺城資料館(岡野伸一館長)に展示されている。由来を記した文書には、額には牧野氏の筆跡で「寿」の文字が刻まれているとされる。古今伝授の松に改めて関心が集まっている。入館無料。  廃城となった田辺城を整備して、1907(明治40)年に舞鶴公園が開設されて今年が100年を迎えることから、引土の川戸彰さん(78)が自宅に置いていたものを寄贈した。川戸さんの亡くなった父親の国太郎さんが骨董を趣味とし、額は古物商から購入した。彰さんは「私がもの心ついたころ既に家にあった」と話す。  額は縦25センチ、横60センチ。額の添書には、古今伝授の松のいわれとともに、1805(文化2)年に枯れた松に、藩主の牧野以成の手になる「寿」の1字を刻し、牧野氏の縁者に贈ったと記されている。  古今和歌集の秘事口伝の伝承者だった幽斎は1600年、後陽成天皇の弟の智仁親王に古今伝授を開始したが田辺籠城戦に入った。そこで親王は西軍に囲まれた城に家老を使わせ和睦を勧めたが、幽斎は和睦を断って親王への古今伝授の証明書と歌を送った。後に開城して幽斎は城を出たが、庭の松の下に「古今伝授松」の字を記した札が残っていたと伝えられた。  その松の下が秘伝書を送った場とされ、「古今伝授の松」と言われるようになり、庭は心種園と名付けられた。『舞鶴市史』によると、文政(1818年)の末ごろに枯れ、その後に植えた松も廃城の際になくなり、1900(明治33)年に植えなおしたとされる。現在の松は1971(昭和46)年に植えられた。

写真=「寿」の字が刻まれた額
舞鶴幼稚園に今年もスズムシ届く
増山さん(西吉原)が贈る、園舎内に秋の音色
 円満寺の舞鶴幼稚園(山田雅子園長、72人)に、今年もスズムシが届けられた。園舎内に「リーン、リーン」と、さわやかな音色が響き、園児たちも可愛いスズムシにエサを与えて見守っている。  スズムシは、西吉原の増山貞子さん(68)が、毎年同幼稚園や地元の吉原小学校に贈っている。毎年自宅で孵化させて、成虫になったスズムシを飼育用の虫籠に100匹近くを入れて届けている。  舞鶴幼稚園の園児たちは、この「秋のプレゼント」を心待ちしているという。自宅からエサのキュウリやナス、スイカの皮を持ってきて、世話をしている。山田園長は「スズムシの音色を聞くことは、園児たちの情操教育になります」と話している。

写真=スズムシを見守る園児たち
2007年9月7日

「引揚全国友の会」副理事長・神原さん(愛宕下町)
戦時下、青春時代の体験と苦悩を綴り本に
 1943(昭和18)年から終戦にかけ、東京で大学生として過ごし、特攻隊に志願した「引揚を記念する舞鶴・全国友の会」副理事長の神原崙(たかし)さん(83)=愛宕下町=が、当時の体験と苦悩の記録を、小説風にして1冊の本にまとめた。戦争末期の時代にあって、自分の生きる道と死に場所を模索するという矛盾を抱えた胸の内を伝えている。『駿河台の空は暗かった』の題名で新風舎から出版される。  舞鶴生まれの神原さんは43年、東京神田の駿河台にあった中央大学に入学、同じ下宿先の学生たちと人生や政治などを熱く議論した。刻一刻と戦争の影が迫る中、理想を追う生き方を探る一方で、死に場所を求めて悩んだ結果、特攻隊に志願して死のうと決断。翌年に陸軍特別操縦見習士官になり、本土決戦に備えて朝鮮半島の済州島要員として特攻訓練を受けた。  終戦は北朝鮮の温井里(オンセイリ)飛行場で迎え、この年の舞鶴への引き揚げ第1船「雲仙丸」で帰国した。大学に復学して48年に卒業、帰郷して進駐軍の諜報部隊のCIC舞鶴平キャンプに勤務。このCIC時代に、苦悩した青春時代と戦争体験を忘れないようにと書き留め、いつか本にと温めてきた。その後中学校教員や建築会社経営、引き揚げの歴史を伝える活動などを経て、2001年から4年かけて残りの原稿を仕上げた。  昨年、新風舎の懸賞小説に応募し、8450編の中から出版奨励賞に選ばれ、本になることが決まった。自費出版の形だが宣伝や書店への配本などは出版社が行う。ノンフィクションではなく、主人公の原美樹の名で小説風にして自分の体験を綴り、若者を死に駆り立てた戦争を描く。130ページ、定価は1300円+税。  現在は私塾「紺青の会」を開いて、戦争と平和をテーマに勉強会をする。神原さんは「学生のころは釘を1本飲み込んでいたようで、どこでいつ死ぬかを考えていた。歴史の一こまとして多くの人に読んでほしい」と話していた。出版を祝って友人たちが9月8日、浜の市商工観光センターで記念パーティーを開く。10月初旬から全国の書店で発売の予定。

写真=出版される本を手にする神原さん
木原さんがリハビリ兼ねて始めた「ちぎり絵」
励まし続けた南部さんと「大庄屋上野家」で2人展
 西方寺の加佐地域交流拠点施設「大庄屋上野家」の売店に勤務する木原和美さん(59)=岡田由里=が、同施設の展示場で、友人の南部初子さん(54)=岡田由里=と「友情のちぎり絵2人展」を開いている。脳梗塞で倒れた木原さんが、リハビリを兼ねて始めた繊細で色彩豊かな作品が展示されている。9月30日まで。  木原さんは、介護ヘルパーとして働いていた8年前、脳梗塞で倒れ、左半身が麻痺した。2カ月間の入院の後、病院でリハビリを開始。リハビリに励む木原さんを20年来の友人の南部さんが励まし続け、3年前に「指先のリハビリに有効」と、ちぎり絵講座を2人で受講した。  「初めは思うように和紙をちぎれませでした。一時はいやになったことも。でも作品が出来上がると、次の作品を作る楽しみが出てきました」という。2人は講座修了後にちぎり絵サークル「あんずの会」に入り、作品の制作を続けた。  木原さんは、2年前にオープンした「上野家」の地場産品を並べた売店に勤め、蔵を改造した展示場があることから、「最高のリハビリになった」というちぎり絵との出会いと南部さんの友情に感謝の気持ちをこめて、2人で作品展を開いた。木原さんの作品「夜桜」「胡蝶蘭」など四季の草花、風物を描いた作品20点と南部さんの作品合わせて約30点が展示されている。  上野家の開館時間は午前10時〜午後4時。水曜日は休館。

写真=展示されている「ちぎり絵」と木原さん
2007年9月4日

京都タクシーが「サイクルラバーズ」
9月から府北部初のサービススタート
 森の「京都タクシー」(川本惠三社長)は、タクシー後部に利用者の自転車を積み込むサービス「サイクルラバーズ」を今月(9月)から府北部で初めてスタートさせた。自転車で出掛けて急な雨降りにあった時、買い物をし過ぎた際などの利用を見込んでいる。当面は5台のタクシーに搭載する。  車の後部に装備した機器で自転車を固定する。使わない時には後部トランクに機器を収納できる。今年4月に同社が亀岡市内でこのサービスを開始し、急な降雨や予定以上の買い物をした時などの利用があった。次に府北部の地方都市の舞鶴で導入に踏み切った。  こうした利用のほか、防犯の面から夜間に子供や女性たちの利用、自転車での飲酒運転を防ぐためのケースも想定している。当面は東地区に4台、西地区に1台のタクシーに導入する。  料金は通常のタクシー料金のみ。同社は「新しいサービスで新規顧客の開拓をしたい。結果的に自転車の利用促進にもつながれば」と話していた。  また、道路交通法の改正で9月以降に飲酒運転の罰則が強化されるのに合わせ、今月からタクシー代行事業の利用向上を目指して料金の見直しをした。これまでタクシー料金に代行料金1000円を加算していたが、見直し後は代行料は半額の500円にした。タクシー料金が3000円以上の場合は代行料は無料。受付時間は午前8時から翌日の午前2時半。  さらに、軽自動車の福祉タクシーも導入し、すでに運行を始めている。介護保険法の要支援者、身体障害者らを対象に、初乗り1.5キロは540円に設定した。
【問い合わせ】電話62・1540、同社。

写真=車の後部に自転車を固定したタクシー
市が整備、由良ケ岳遊歩道完成
由良川河口など360度の眺望が楽しめる
 市が昨年から整備を進めてきた由良ケ岳遊歩道がこのほど完成し、利用が始まった。林道の上漆原和江線と由良ケ岳(640メートル)を結ぶ登山道で、山頂の西峰からは天の橋立や丹後半島の眺望を楽しむことができる。  宮津市と接する由良ケ岳の遊歩道は、林道工事と合わせて整備に着手した。全長は2.1キロ。由良ケ岳西峰をつなぐ2つのルートがあり、ハイキングに利用できる。尾根伝いに東峰まで歩くと、由良川河口などの360度の景色を見ることができる。総事業費は約5000万円。  林道上漆原和江線は現在も工事中で、上漆原側入口から遊歩道入口(3キロ)は工事車両の通行のため、日曜日以外は一般車両の通行ができない。遊歩道入口付近は駐車スペースがない。
【問い合わせ】電話66・1030、市農林整備課。

写真=由良ケ岳東峰から一望できる由良川河口の景色
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