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2010年8月31日

夏休み期間中に交流、初のデイサービス事業
舞鶴聴覚障害児支援ネットワーク「でこぼこクラブ」
 市民有志でつくる舞鶴聴覚障害児支援ネットワーク(内藤道子代表、10人)が、7、8月の夏休み期間中、聴覚に障害をもつ府北部在住の子供たちを対象に、同じ耳の聞こえにくい大人たちやボランティアと地域で交流を深めてもらおうと、デイサービス事業「でこぼこクラブ」を初めて実施した。学校の長期休業中に自宅で孤立しないよう支援するため、ろう学校を卒業した先輩たちが体験を話したり、レクリエーション活動を一緒に楽しんだ。  府北部には70人を超える聴覚障害児がおり、市内にはろう学校舞鶴分校の幼稚部と小学部が開設され、子供たちが学んでいる。夏休みの長期休業中は自宅で過ごすことが多くなるが、外で友達と遊ぶ機会をつくるほか、地域の大人たちと触れ合う社会参加の支援が課題になっていた。また、成人の聴覚障害者も同じ障害を持つ子供たちとの交流を願っていた。  そのため、ろう学校の退職・現役教員、聴覚障害者協会会員、手話と要約筆記サークルのメンバー、市聴覚言語障害者支援センター職員らで「舞鶴聴覚障害児支援ネットワーク」を今春立ち上げ、ボランティアでデイサービス事業の準備を進めてきた。  活動は余部下の同支援センターを会場に、7〜8月の4回を計画。大雨で中止になった日を除いて3回実施し、毎回舞鶴と宮津、綾部在住の聴覚障害の小学生とその兄弟の十人前後が参加した。学習のサポートを受けたほか、創作活動、先輩のろうあ者から学校生活やその後の仕事の体験談を聞くなどした。市の活動助成金も受けた。  舞鶴分校小学部3年の男子児童は「卒業生の話も聴くことができよかった」と話していた。ネットワーク事務局の林悦雄さんは「回を重ねるうちに子供たちの顔も生き生きとしてくるようになり、先輩たちと交流することで自信を持てたのでは。地域でこうした活動ができたことはうれしい。今後も子供たちのサポートを続けたい」とする。  冬休みには2回実施する予定。
【問い合わせ】電話64・3911、同支援センター内の木村さん
写真=レクリエーションを楽しむ子どもと大人たち
プロ野球「阪神vs巨人」観戦ツアー参加者募る!
9月18日(土)甲子園球場、1人1万2000円
 9月18日(土曜日)に甲子園球場で開催されるプロ野球公式戦「阪神vs巨人」(午後2時プレーボール)の観戦ツアーの参加者を募集します。激しい首位争いを繰り広げる阪神タイガースを1塁側アルプススタンドから応援します。参加費は1人1万2000円(小人も同額で、弁当、飲み物、風船付き)。
 観戦ツアーの日程は、当日午前10時、JR東舞鶴駅(北口)▽同10時15分、中舞鶴バス停(中総合会館前)▽同10時30分、JR西舞鶴駅(舞鶴グランドホテル前)を大型バスで出発、甲子園球場で試合を観戦して、大型バスで舞鶴に帰ります。  申し込みは、住所、氏名、年齢、電話番号(参加者が複数の場合は全員)を記入して、舞鶴市民新聞社「プロ野球観戦ツアー」係まで。はがき(〒624―0905、福来912―1)、FAX(77・1750)、Eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)で受け付けます。  募集人数は49人(先着順)。小学生以下は保護者、または引率者同伴。定員になり次第、締め切ります。また、参加者には後日、観戦ツアーの詳細をお知らせします。
 旅行企画 兜葬゚市民新聞社(電話78・2055)
 旅行手配 葛椏s交通社舞鶴営業所(電話76・1374)


2010年8月27日









「浮島丸事件」戦後65年の節目迎えて追悼集会
殉難の碑公園で鎮魂の祈り込め舞や歌捧げる
 浮島丸事件の犠牲者を悼む追悼集会が8月24日、佐波賀の殉難の碑公園で開かれた。戦後65年の節目を迎え、韓国からも市民16人とメディアも訪れた。照りつける夏の日差しのもと、追悼の碑の前で鎮魂の祈りを込めた舞や歌が捧げられ、約350人が事件を風化させず、平和の確立に向けた誓いを新たにした。  終戦直後の1945年8月24日、青森県内で強制労働をさせられていた朝鮮人労働者とその家族らを乗せた「浮島丸」が、朝鮮半島に向けて帰国のため青森を出港し、寄航した舞鶴湾で謎の爆沈をし、549人が亡くなった。舞鶴の市民を中心に追悼事業を続けている。  集会には舞鶴市内や京都市内の在日韓国・朝鮮人らも多く集った。初めて参加した舞鶴市民もいた。主催の浮島丸殉難者を追悼する会の余江勝彦会長、来賓の斎藤彰市長、在日韓国・朝鮮人の団体らが追悼の辞を読み上げた。韓国から訪れた市民追慕団の金ン老(キム・ヒロ)会長もメッセージを述べた。  京都市内の韓国伝統舞踊家の金一志(キム・イルチ)さんら五人が、歌と演奏に合わせて、慰霊と平和を願って追悼の舞を踊った。また、京都朝鮮中高級学校の生徒九人が追悼歌「はまなすの花さきそめて」を美しい歌声で合唱し犠牲者を慰めた。最後に参加者全員が舞鶴湾に向け献花して手を合わせた。
写真左=追悼の碑前で平和を願って舞う舞踊家ら
写真中=追悼歌を歌う生徒たち
写真右=韓国から訪れた市民たち
南極観測船「しらせ」舞鶴に里帰り寄港へ
歓迎事業実行委員会が9月15日に特別見学会
 ユニバーサル造船舞鶴事業所で建造された南極観測船「しらせ」(基準排水量1万2650トン)が、9月14、15日、舞鶴に里帰り寄港する。これに合わせて、舞鶴市や舞鶴商工会議所などでつくる歓迎事業実行委員会は、歓迎式典や特別見学会を開催する。  南極観測船4代目の「しらせ」は、昨年5月に完成し、防衛省に引き渡された。同年11月に第51次南極観測隊を乗せて母港の海上自衛隊横須賀基地を出航、今年4月に帰港した。今回、全国を周る総合訓練の一環として、舞鶴港に寄港する。  同実行委員会では、9月14日午前10時半から舞鶴西港第二ふ頭で、歓迎式典を開く。一般向けの特別見学会は、同15日午前9時から午後1時に同ふ頭で。希望者は、市企画政策課内の同実行委員会事務局(電話66・1042)まで、住所、氏名、電話番号、年齢を知らせて申し込む。締め切りは、9月10日。

写真=南極観測船「しらせ」
2010年8月24日

「舞鶴・引揚語りの会」戦争のむごさ伝える
会員の古橋さんが父の体験を紙芝居で物語に
 NPO法人舞鶴・引揚語りの会(濱朗夫理事長)は、会員の古橋ふみ子さん(63)=清美が丘=の父、白須茂さんの戦争体験を基にした紙芝居「戦争に行ったボク任(つとむ)のお父ちゃん」を作成した。「立派に死んできます」と戦地に赴いた父が、戦後になって書き残した「否」と言えず苦しんだ本当の胸の内を物語に描いている。戦争のもつむごさを紙芝居が伝えている。  与謝野町石川村で農業を営んでいた白須さんは、1937年7月に招集され、福知山の部隊に入隊して中国の天津や上海などを転戦、南京の中山門で銃撃を受けて大けがを負い、この年の12月に日本に戻った。その後、再び南方の戦地に赴いた。古橋さんは父の背中に大きな傷跡があるのを知っていたが、父から戦争体験を聞くことはなかった。  95年に87歳で父が亡くなった後、整理していた遺品の中に父が残した原稿を見つけた。表題に「昭和13年7月7日 於 石川小学校 戦地より帰還して」とあり、「検問済」の印も押されていた。療養で故郷にいたころ、村長に依頼されて戦地の様子を話すために書いた原稿だった。  読み進めていくと、戦後になって父が書き足した部分があった。召集令状を受け取ったくだりでは、「今だから云える」としてこう書く。  「『立派に死んで来ます』と言わなければならなかったのだ。そう云わなければ非国民と言われ家族に至るまで身の置き所はなかったのだ。(中略)涙をかくし複雑極まる悲壮な心で我が家を後にした」。最後に「殺すか、殺されるかの2つに1つになった時将兵は理性も常識も失うものなのだ。」と結んでいる。  紙芝居は父の体験を踏まえ、本心を織り交ぜながら兄の任さんが語る形にし、古橋さんが物語を創作。絵は京丹後市の吉岡直樹さんに頼み、約1年がかりで完成した。戦争のため学校へ行けない中国の子供たち、家族の顔が浮かび「戦争はいやだ」と叫びながらの突撃などの場面を16枚にまとめた。  古橋さんは「戦争のむごさを父は家族に語ることができなかったのだと思います。戦争のことを子供たちに知ってもらうため上演していきたい」とする。紙芝居を一番に見た孫の古橋育恵さん(9)さん=余内小学校3年生=は「ひいおじいちゃんが生きていてくれてよかった。人が殺しあうのが怖く、悲しかった」と話していた。
写真左=紙芝居を手にする古橋さんと孫の育恵さん
写真右=父の白須茂さん
一条クの男子小学生チームが準優勝
全国ホープス卓球大会で強豪破り過去最高成績
 一条卓球クラブ(小畑喜生代表)の男子小学生チームが、このほど東京体育館で行われた第28回全国ホープス卓球大会で準優勝した。5年ぶりの出場で、過去最高成績のベスト8を上回る好成績を残した。  同チームのメンバーは、千坂達也選手(12)=余内小6年▽内藤雅明選手(11)=新舞鶴小6年▽倉啓太選手(11)=中筋小6年▽西村空我選手(11)=新舞鶴小6年。  同大会は、小学6年生以下の選手による団体戦で、都道府県予選を勝ち抜いた64チームが出場。1ダブルス、4シングルスの三点先取で、予選リーグ、決勝トーナメントで優勝を争った。  一条クは、予選リーグを3戦全勝で通過。決勝トーナメント2回戦では、大会3連覇をめざす城山ひのくにジュニア(熊本)を3―0で破り波に乗った。準々決勝で大森ク(岡山)、準決勝で中里ク(青森)に勝ち、決勝では卓伸ク(愛知)に1―3で敗れた。  小畑代表は「チーム一丸となって、目標だったベスト8を上回ることができた。全員よく頑張ってくれた」と選手の健闘をたたえた。

写真=準優勝した一条クの小畑代表と千坂、内藤、倉、西村選手(右から)
2010年8月20日

インターハイ・男子シングルスカルで
東高ボート部青松選手(3年)が3位入賞
 東舞鶴高校ボート部の青松載剛選手(18)=3年=が、全国高校総体(インターハイ)の男子シングルスカルで3位に入賞、銅メダルに輝いた。同部のインターハイでのメダル獲得は、平成元年の女子ナックルフォアの銅メダル以来21年ぶり。OBや学校関係者は快挙をたたえている。  ボート競技は8月7〜10日、沖縄県塩屋湾特設ボート場で行われ、全国各都道府県予選を勝ち抜いた選手たちが、優勝めざして熱戦を繰り広げた。青松選手は、5月の府予選で1位となり、初めてインターハイに出場した。  予選、準決勝を勝ち抜き、決勝レースに進出。過去のレースで勝っていた1、2位の選手に遅れをとり、3位に入った。青松選手は「負けたことは悔いが残るが、全力を出し切れた」と、レースを振り返っている。  同顧問の八木千尋教諭は「いい練習ができ、優勝も視野に入っていただけに残念。攻めのレースは出来たと思う」と話す。  青松選手は、昨年秋からシングルスカルに種目を変更。昨年9月の京都レガッタ、同10月の近畿レガッタで一位となり頭角を現した。今年6月のジュニアオリンピッで八位に入賞して、全国制覇をめざして練習に励んできた。  青松選手は、府選抜クルーとして国体の男子ダブルスカルに出場、インターハイで果たせなかった優勝をめざす。また、大学に進学してボート競技を続けるという。  同校ボート部は、毎年インターハイに出場しており、過去の最高成績は、昭和六十三年の女子ナックルフォアの銀メダル。翌平成元年に同種目で銅メダルを獲得して以来、メダル獲得は途絶えていた。
写真=全国高校総体3位の賞状を手にした青松選手
陶器や木工、服無農薬野菜など出店者・スタッフ募る
手作りの品集まれ、9月から「まいづる廿日の市」
 市民たちが手作りした自慢の品を持ち寄って販売する、「まいづる廿日(はつか)の市」の開催に向け準備を進めている。毎月20日の日に陶器や木工、服、イラスト、無農薬野菜などの品々に出会えるだけでなく、訪れる人たちの交流の場に育てたいとする。9月20日から浜のしおじプラザでスタートする。出店者を募っている。  かづら編みをする永井玲子さんは、市場でぎゃらりー喫茶を営み、またヒトの森のイベント企画を通して、地元で様々な作品づくりを楽しんでいる人がいることを実感するとともに、京都市内などの手作り市に府北部から出品したり、買い物に訪れた人の話題をよく耳にしていた。遠出しなくても身近な地域で作品をつくる人が定期的に集える市をつくろうと、友人たちと実行委員会を組織して運営することにした。  毎月20日に開催することから「廿日の市」と名付け、舞鶴らしく海のそばを会場にしようと、三条から五条付近のしおじプラザで開く。1ブースは2メートル四方で出店料は1000円。布小物や染物、海産物、ドーナツ、帽子、アクセサリーなどの品を予定している。当初は50店を目標に出店へチラシを作って参加を呼びかけている。  市の時間は午前10時〜午後4時。雨天は中止。1、2月は休み。永井さんは「最近では綾部などでも手作り市が始まりました。舞鶴でも多くの手づくりを楽しんでいる人たちの継続的な交流の場ができれば」と話していた。出店の申し込みは永井さん(電話63・0058)へ。スタッフも募っている。

写真=「廿日の市」の幟を持つ永井さん(左)ら
2010年8月17日

浮島丸事件、犠牲者の思い 語り伝える
元小学校・養護学校教諭の余江さんが紙芝居に
 浮島丸殉難者を追悼する会の会員で、元小学校・養護学校教諭の余江美穂子さん(65)=白浜台=が、浮島丸事件を題材にした紙芝居を完成させ、上演に取り組んでいる。事件とその背景となった歴史、青森での強制労働の様子なども描き、日本の戦争の犠牲となった朝鮮人労働者たちの望郷や無念の思いを伝えている。子供たちに事件を知ってもらうきっかけになればと紙芝居を使って事件の語り部を果たす。  浮島丸との関わりは、1957年に学校教諭らが中心になって殉難者追悼の碑の像づくりに夫の勝彦さんとともに加わり、事件を初めて知ったことから始まる。それ以来、同会会長を務める夫と一緒に毎年8月24日の追悼集会の運営を支え、退職後は碑のある公園の草取りを欠かさない。  事件のことを意外と知らない人が多く、手話サークルの活動で知り合ったろうあ者にもわかりやすく事件を知ってほしいと、紙芝居の制作を考えた。到着するはずだった韓国釜山の方角を見つめる碑を何度も見るたびに、帰れなかった人たちの思いが心に募り、絵筆を握る後押しにもなった。  昨年10月、朝鮮人たちが過酷な労働をさせられ、「浮島丸」が出港した青森県下北半島を取材。下北浮島丸の会会長の斎藤作治さんらの案内を受けた。戦争末期、日本は本土決戦に備えて下北を北の守りの拠点にするため、朝鮮半島から多くの労働者を強制連行し、鉄道の陸橋やトンネルの建設現場跡で多くの人が亡くなった話を聞き取りスケッチした。  遭難者を救助した佐波賀でも地元の人たちから話を聞き、今年1〜4月に事件発生時や青森での状況、その背景を文章にまとめた。その後、爆沈場面などシーンごとのイメージを膨らませ、3カ月かけて顔彩絵の具で四つ切りの厚手の紙に28枚の絵を仕上げた。  すでに舞鶴と京都市での戦争展などで上演し、追悼集会に参加したいと感想をもらった。余江さんは「私たちの悲しみを無駄にしないでという犠牲者たちの思いが募ったことで書けたと思います。小・中学校や佐波賀、下北でも上演できれば」と話す。  事件から65年目の今夏、追悼集会は24日午前11時から下佐波賀の碑公園で開かれる。今年は釜山から約20人が参加する。
浮島丸事件《戦時中、青森県で働いていた朝鮮人労働者と家族らを乗せた海軍特設輸送艦「浮島丸」が、1945年8月22日に大湊港を出港し、釜山へ向かう途中に寄航した舞鶴湾内で謎の爆発・沈没をし、朝鮮人524人と乗組員25人が亡くなった》

写真=完成した紙芝居と余江さん
箏の新しい魅力、20回目斗為巾コンサート
バリトンサックスの宮本さん迎え8月28日に市民会館で
 箏アンサンブル斗為巾(といきん)(立道明美さん主宰)のコンサート活動が今年で20回目を迎える。毎回、様々なジャンルの一流演奏家を招き競演し、箏の新しい魅力を広げることに積極的に取り組んでいる。今回は熱帯JAZZ楽団のバリトンサックス奏者、宮本大路(だいろう)さんが出演し、8月28日午後6時半から北田辺の市民会館で開かれる。  沢井筝曲院師範の立道さんが指導する小学生から大人までの30人がメンバー。生徒たちの晴れの舞台になっているだけでなく、箏を聴いたことのない人にも来場してもらおうと、箏とは異なる分野のプロ奏者をゲストに迎える。昨年のクロマチック・アコーディオン奏者のかとうかなこさんはじめ、チェロやケーナ、和太鼓の鼓童メンバーらと競演した。  宮本さんは日野皓正ブルース・トラッド・バンド、山下洋輔KANZO BANDなどで活動し、パワフルで楽しい演奏で魅了している。アイドルグループ「嵐」の曲のメドレー、ジャズやラテンの曲をアレンジして斗為巾メンバーと演奏する。また、立道さんが授業で指導している白糸中学校の生徒も初めて出演し奏でる。前売りは1000円(当日300円増し)。
【問い合わせ】電話090・3997・8477、立道さん

写真左=出演する子供たちのメンバー
写真右=ゲストの宮本さん
2010年8月10日

舞鶴の風景、歴史を写真で伝える、ふるさと収めた集大成
丸山中町の村尾さんがフォト歳時記を自費出版
 丸山中町の村尾幸作さん(70)が、舞鶴の四季の風景を撮影したフォト歳時記「ふるさとの光 まいづる100物語」(126ページ)を自費出版した。なにげない野の草花にもレンズを向け、地域の民話の舞台や神社など隠れた名所、医療センター前の桜並木の1年などを紹介している。いつもカメラをそばに地域を歩いてきた村尾さんにとって、大好きなふるさと舞鶴を収めた集大成になっている。  舞鶴共済病院事務部長の退職時、写真集を自費出版した。その後、民生児童委員などの活動をしながら、フィルムカメラにこだわり撮影を続け、本紙に「ふる里みてある記」と題して地域の歴史や文化を写真と文章で紹介。前作から10年を経過し古希の記念もあわせ、フォト歳時記の出版に取り組んだ。  大きさは縦24センチ、横25センチ。約200点のカラー写真を掲載。第1章に、下東のソバの花畑、住宅地から眺めた建部山、朝来地区の桜並木、杉山に完成した水車など、最近できた新しい建造物や名所、見慣れた風景の中に再発見した魅力などを収録する。  第2章は、「ふる里みてある記」を元に、昔は海に浮かんでいた浮島の嶋満神社、泉源寺の阿弥陀堂、成生の舟屋「シチケンブン」、800歳まで生きた比丘尼(びくに)の伝説が残る鹿原の逆さ杉など100ヵ所を紹介した。3章には、与保呂川沿いの桜並木の満開や新緑など四季を記録した。  1400部作成し、この内1100部を事前に予約を受けて配布中。村尾さんは「ファインダーを通して見てきた舞鶴の風景や出会った方たちからいただいた感動を、写真と文章で残し、多くの方と共有できて満足しています。舞鶴を離れる孫に贈りたいとの声も聞き、活用していただければうれしい」と話す。  1冊2500円。若干部数残っている。申し込みは〒625―0065丸山中町39―1、電話62・3439、FAX62・3272、村尾幸作さん。

写真左=完成したフォト歳時記
写真右=村尾幸作さん
仏国際公募展入賞作など水彩画・油絵、水墨画並ぶ
瀬野清さんと義父の勇さん、9月20日まで二人展
 元中学校教諭の瀬野清さん(61)=白浜台=と義父の勇さん(84)=和田=の二人展が、円満寺のマナイ商店街内、メガネの和諧堂多目的スペースで開かれている。清さんはフランスの国際公募展でロワリエ賞を受けた水彩画など、勇さんは長年暮らす和田地区の懐かしい風景の水墨画を展示している。入場無料。  清さんは美術教師として青葉中、城南中、城北中で昨年退職するまで37年間勤務。退職後、農業のかたわら絵筆を握り、昨年のフランスの公募展で息子をモチーフにした作品「おむつ替え」の入賞に続き、今年は日本フランス現代美術世界展に入選した。  勇さんは造船所の退職を機会に水墨画を独学し、総合水墨画展で入選などした。昔の和田村の海辺や長江寺などの様子を聞き取るなどして絵にとどめてきた。最近は体調を悪くして創作活動はしていないが、勇さんに誘われ二人展を初めて開いた。  会場には、清さんが家族をテーマに描き、パリ国際サロンに出品する油絵、ホームレスの自立支援をする雑誌に掲載する作品など、勇さんの青葉山など約30点が並ぶ。勇さんは「絵をかきたい気持ちはあるが手が動かない。二人展ができ感謝しています」と話す。  展示は9月20日まで。毎週火曜とお盆の8月13日〜17日は休み。9月から作品を入れ替える。
【問い合わせ】電話75・1208、同店

写真=作品を背に瀬野清さん(右)と勇さん
2010年8月6日

必要な経験とノウハウ、海外の企業で就業体験へ
舞鶴高専が初のインターンシップ制度導入
 白屋の舞鶴高専が、学生たちに海外の企業で就業体験の機会を提供しようと、初のインターンシップを実施する。応募した5年生と専攻科生の計6人が、中国・上海やマレーシアなど4ヵ国の企業で、8月9日から同29日まで現地の技術者と働き、海外で仕事をするために必要な経験とノウハウを学ぶ。  日本企業の海外進出、特にアジアに支社を置くケースが増えていることから、語学をはじめ、現地の人たちとの接し方や文化などをどう学んでいくか、学生時から体験してもらうのが狙いだ。これまで4年生全員を対象に台湾などに3泊4日の研修旅行、提携するタイなどの大学へ短期派遣してきたが、さらにインターンシップ制度を設けることにした。  日本に本社を置き現地に工場を持つ機械部品やプラント製造、電気関連の企業に依頼し、ベトナム・ハノイや韓国・プサンなど6ヵ国10社が受け入れ先となった。対象となる学生は本科5年生と専攻科生。3月にはベトナムなどに2週間の日程で2人が試験的にインターンシップを体験し、英語の学習の必要を実感した。  校内の選考を経て6人が韓国、タイなどの企業へ派遣される。すでに国内の事業所で事前研修を受けた学生もいる。帰国後には発表会を行う予定。担当教官の機械工学科講師、野毛宏文さんは「現地に行かなければ分からないことも多いので、交流を持ち何でも吸収してきてほしい」と話している。

写真=研修先の中国・上海の企業(同校提供)
舞鶴少年剣道ク「やったぞ!」初優勝飾る
府警の大会・団体戦に府内から19チーム
 第23回京都府警察少年柔道・剣道大会(府警本部主催)が8月3日、京都市の武道センターで開かれ、舞鶴少年剣道クラブ(舞鶴署)が念願の初優勝を果たした。  剣道大会の団体戦には府内の19チームが出場。舞鶴からは舞鶴剣道教室と西道場に通う小船井奈緒さん(中筋小6年)を先鋒に、川口皓平君(明倫小6年)を次鋒、古川雅平君(倉梯第二小6年)を中堅、長山信也君(白糸中2年)を副将、乾隼鷹君(同)を大将に試合に臨んだ。  3回戦で4連覇を狙う京都尚武館(八幡署)を破るなど強豪を倒して勝ち進んだ。乾君は「小5のときにあと一歩で優勝できなかったのでうれしい。今回はみんな気持ちで相手に勝っていた」と喜ぶ。監督の山口正行さんは「自分の役割を果たしバランスのいいチームになった。勝つたびに勢いがでた」と話す。  舞鶴署で開かれた祝勝会で猪飼勝之署長は「1回戦から試合を見ていましたが、みんな実力があり気持ちも乗っていました。署員の励みになります」と優勝を祝った。

写真=初優勝した小・中学生の選手ら
2010年8月3日













米軍機による空撮写真は雁又地区へと続く
1945.7.30、機関実験部を詳細に写す
 米軍機による空撮写真は雁又地区へと続く。写真4はシイ崎の山を越え、中央に大きな2つの工場が並ぶ。舞鶴海軍工廠の機関実験部だ。1945年7月30日、吉田金雄さん(87)=浜=はここにいた。空襲警報を聞くと、雁又トンネルのすぐ脇にある防空壕にすぐさま入った。  38年に設置された機関実験部は、艦艇のボイラーの開発のため、品質の悪い重油でも効率的に燃焼させる研究・実験を業務としていた。舞鶴中学校を卒業した吉田さんは、海軍の船に乗り込んだ一時期を除き、40年から製図工として勤務した。父も工廠の水雷工場で働いていたがこの日は休みだった。  五条海岸から出る船で通勤し、実験部前の桟橋に着く。徴用された朝鮮人労働者も多く船に乗りごったがえしていた。写真5に写る実験部施設の内、「海岸そばに各型式燃焼缶実験場、その隣に機械工場と400トンの水タンクがあった」と説明する。写真下の空き地には資材などが置かれていた。  「昭和18年か19年ごろからは燃料の油も不足し、職員も陸軍に招集されて少なくなり、実験ができない休業状態だった」と振り返る。当時、工廠は魚雷などの生産で1万人以上が働いていたとみられるが、部署によっては状況が大きく違っていた。  写真6の大きな屋根の建物は造船部雁又工場。小型の船を主に造っていた。海に突き出す3つの口は船の進水台と思われる。  一度は防空壕に避難した吉田さんだが、少し外をのぞいてみた。上空に双発の爆撃機が3、4機、戦闘機数十機が見えたと思ったら、機銃掃射や爆撃、対空砲火のすさまじい音が響く。「小さなナスビの形をした爆弾が降ってきた。飛行機は白い煙を引きながら西へ飛び去った」と記憶をたどる。  静かになり外へ出て海上を見ると、海防艦が半分沈みかけていた。貨物船「寿丸」のブリッジから火と煙が上がり、平の沖合まで曳航され消火活動が行われた。帰路の船の上からは海岸に沿って5〜10メートルの幅で白い帯が続く。爆撃の衝撃で白い腹を見せて浮かんでいた無数の魚たちだった。「30日の空襲のことは脳裏に焼きつき生涯忘れられません」と話す。  (写真はすべて米国立公文書館所蔵、福林徹さん提供)

写真=左から写真4。写真5。写真6。
写真右端=地図、撮影された位置
8月7・8日、赤煉瓦倉庫群特設会場で20回目の節目
真夏の夜にジャズが響く、山下洋輔さんらが出演
 舞鶴赤煉瓦ジャズ祭2010が8月7、8日、北吸の赤煉瓦倉庫群特設会場で開かれる。20回目の節目を迎える今夏は、山下洋輔や沖至、アリソン・アダムス・タッカーらが出演する。  赤煉瓦の町・舞鶴の夏をジャズの演奏で盛り上げようと1991年からスタートし、すっかり舞鶴の夏のイベントとして定着した。7日は、パリを拠点に活動するトランペットの沖至、ピアノのチャンゴダイらによる沖至クインテット、クラリネットなどの花岡詠二、日本ジャズヴォーカル賞新人賞を受けたYOKOらが出演する。  8日は、舞鶴市にも在住したことのあるヴォーカルのアリソン・アダムス・タッカー、テレビCMなどにも出演するサックスの太田剣、ジャズ以外でも活躍する山下洋輔、サックスの米田裕也らが登場する。  両日とも開演は午後6時から。両日共通の1日券は3500円(当日は500円増し)。チケットは市内の市政記念館、市民会館などで発売中。
【問い合わせ】電話0772・22・4147、実行委員会事務局

写真=出演者たち
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