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2007年6月29日

ヨットで日本列島巡航一人旅
佐伯さん(北吸)が愛艇「翔鶴」で挑戦
 舞鶴ヨット協会所属の佐伯叔久(よしひさ)さん(63)=北吸=が、愛艇のヨット「翔鶴」に1人乗り組み、日本列島巡航の船旅に挑戦している。これまで3年間かけて九州・四国、北海道、本州の1周を達成、137港に立ち寄って地元のヨットマンや漁師たちから温かい歓迎を受け、旅の思い出を海図に刻んできた。今後は沖縄本島などの旅を計画する。少年時代から船乗りに憧れ、いま第2の青春をヨットとともに楽しんでいる。  愛媛県の海辺で育った佐伯さんは海上自衛隊に入隊した。近視だったため自衛艦の舵を握る仕事ではなく、機関長を勤め定年退職。在職中にウィンドサーフィンなどもしたが、自らの力で操るヨットに乗ろうと53歳で、全長0メートル、重さ3.5トンの中型の中古ヨットを購入し、日本の港を巡る夢を膨らませた。  退官後、舞鶴汽船の定期船の船長を務める傍ら、6年間かけヨットを長距離用に改造。居住性を高めるため船室を畳敷にし、船底の重りの取り付け部を強化するなどした。領土から約32キロ以内を航海できるオール沿海の資格を取得し、船長を退職後、係留する吉田のヨットハーバーから旅立った。  2004年5月〜7月は九州と四国の40カ所に寄港。05年6月〜8月末、54港に寄って北海道を1周、昨年は5月〜8月、本州の43港を巡って一周と、台風シーズンを避け3年間にわたり旅した。10メートルの風で6、7ノットで走り、1日60キロの距離を進む。夕方に寄港地に入り食料を補給、旅費を抑えるため船で自炊した。  潮流が早い潮岬を越える時、操船中に操舵装置が壊れ串本港に戻って修理し、2度目の挑戦で普通なら数時間のところを、26時間かけ徳島へ抜けた。北海道では霧と風に悩まされた。  寄港先で地元のヨットマンから歓待を受けたのは数知れず。昨年出会った石巻のヨットマンが、今年5月に日本一周の途中に舞鶴港に寄港の際、お世話になったお礼にと歓迎した。オホーツク海の元稲府港で嵐を避けて滞在した1週間は、漁師から毎日魚の差し入れを受け、温泉にも連れて行ってくれた。旅の様子はヨット上から携帯電話で航海日誌として、ブログに書き込んできた。  佐伯さんは「一人旅だからこそ、港での一期一会の出会いが楽しみ。北海道の海岸線の美しさなどどこも印象深く、ますます海と船が好きになった。まだまだ行ってみたい小さな港がたくさんあります」と、少年のように目を輝かせていた。今年は隠岐諸島、来年以降に沖縄本島を目指したいとする。

写真=ともに旅してきた愛艇「翔鶴」と佐伯さん
国際的現代美術作家、上前さんの作品展
7月8日まで開廊10周年のサンムーンで
 少年時代を舞鶴で過ごし、国際的な現代美術作家としていまも創作活動をする上前智祐(ちゆう)さん=神戸市=の作品展が、開廊10周年を記念して、浜のギャラリー・サンムーン(佐藤保明代表)で開かれている。緻密な手作業による斬新な色彩とデザインの版画と油彩画の35点が展示されている。7月8日まで。  上前さんは1920年大宮町に生まれ、小学生のころに舞鶴に移った。画家を志して神戸に出て具体美術協会を結成。緻密な点と線の集合の抽象的な油絵などを発表、世界から評価を受け多くの公立美術館で作品が収蔵されている。80代になっても創作意欲は衰えていない。  舞鶴では99年に市政記念館、2003年などにサンムーンで個展が開かれた。佐藤さんは10周年を迎えたのを機に、舞鶴に縁のある上前さんの作品をさらに知ってもらおうと、今回の作品展を企画した。自由な発想のデザインや美しい色の作品が、上前ワールドの魅力を放っている。  姉妹で来場した女性2人は「80代とは思えないおしゃれな作品。色から元気をもらっています。こうした現代アートに触れる場を今後も続けてほしい」と見入っていた。佐藤さんは「作家との出会いの積み重ねで10年を迎えることができ、この節目に上前さんの世界を発信したいと思いました」と話していた。入場無料。火曜休み。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン。
 まいづる智恵蔵で開催中の現代美術展でも、上前さんの作品が特別出品されている。7月22日まで。

写真=上前さんの版画と10周年を迎えた佐藤さん
2007年6月26日

昭和10年前後の尋常高等小学校の様子
元教師の寺泉さんの遺族、写真90点中舞鶴小へ
 昭和10(1935)年前後の尋常高等小学校時代の学校の様子を記録した写真約90点が、このほど余部上の中舞鶴小学校(荻野隆三校長)に寄贈された。中舞鶴地区出身で同校の教師を務めた寺泉信二さんが大切に保管していたもので、昭和7年に完成した運動場や当時活躍した陸上部などの写真が含まれている。寺泉さんは今年1月に97歳で亡くなり、遺族が贈った。  同校の卒業生でもある寺泉さんは、同4年に初赴任地として同校で教壇に立ち、15年までいた。その後、24年〜32年には教頭として在籍、41年、福井小学校の校長を最後に退職した。教師生活の約半分を中舞小で過ごしただけでなく、亡くなる2年前まで生まれた中舞鶴に住んでいた。  次男の佑一さん=天台新町=が遺品を整理し、写真アルバムを見つけた。残された写真の多くは昭和10年前後の中舞鶴小時代のもので、役立ててもらえればと寄贈した。明治9(1876)年創立の同校は今年131年を迎えるが、戦前の写真はあまり保管されておらず、今回初めてみる写真も寄せられた。  現在の校舎の位置に昔は運動場があったが、山を削ってこの運動場が完成した昭和7年夏、男子879人と女子818人の全児童が運動場に集まっての記念写真、続いて同年10月の地鎮祭、同九年の運動会の様子が撮影されている。  当時の中舞小は全国少年野球大会に出場したり、陸上部も各大会で優勝するなどし、また寺泉さんも体育の指導に熱心だったことから、海軍記念日の小学校連合運動会で優勝した際の写真、野球部や陸上部の優勝記念の写真もあった。荻野校長は「いただいた写真は、児童たちが郷土の歴史や学校の昔を学ぶことなどに活用していきたい」と話していた。

写真左=昭和7年10月に撮影された運動場の地鎮祭
写真右=大会で優勝した陸上部と寺泉信二さん(前列左端)=昭和7年秋
ピティナ・ピアノコンペティション舞鶴予選
舞鶴市長賞の矢野君ら38人が京都地区本選へ
 社団法人・全日本ピアノ指導者協会=略称ピティナ=舞鶴支部支部(竹内晴代支部長)主催の第31回ピティナ・ピアノコンペティション舞鶴地区予選が6月24日、浜の総合文化会館で行われた。京都地区本選の出場をめざして、ピアノの演奏技能を競い、成績優秀者に特別賞が贈られた。  同コンペティションは、全国で延べ3万8000人以上が参加する世界最大規模のピアノコンクール。全国209地区で地区予選、さらに65地区で地区本選が行われ、全国決勝大会の出場者が決まる。  舞鶴地区予選には、園児から高校生までの98人が参加。年齢別の各カテゴリーに分かれ、課題曲を演奏してピアノの技能を競った。審査の結果、京都地区本選(8月4〜9日、京都市山科区の東部文化会館で開催)に出場する38人と、特別賞の受賞者が決まった。  表彰式では、京都地区本選の出場者を発表、舞鶴市長賞に輝いた矢野将太君(余内小)に斎藤彰市長から賞状とトロフィーが贈られた。このほか、特別賞を受賞したのは次の皆さん。
 舞鶴市教育長賞=杉本優佳(志楽小)▽ピティナ舞鶴支部長賞=佐久間香菜(高浜中)▽JEUGIA賞=黒崎美織(倉梯小)佐谷麻美(三笠小)▽カワイ賞=佐谷裕亮(三笠小)▽検定優秀賞=城谷瑠花(昭光保)

写真=特別賞の受賞者を前に斎藤市長や審査員ら
2007年6月22日

こだわりの「パッチおざぶ」が人気
布団・座布団店「はせ川」(行永東町)
 行永東町の布団・座布団店「はせ川」(長谷川清隆社長)が1枚1枚独自に手作りする座布団が、都市部の人たちに人気となっている。持ち込まれた古い着物をパッチワークのようにし、昭和30年代の懐かしい暮らしをイメージしたデザインの「パッチおざぶ」が話題を集める。大阪や東京などの百貨店からの問い合わせと出店が相次ぎ、京阪神から古布を持参する人も増えたりと、舞鶴からこだわりの座布団を発信している。  昭和57年に開業した長谷川さんは、手仕事の大切さと、母が使っていたころの色や柄の座布団づくりを一貫して守る。持ち込まれた古布や大漁旗を再利用し、化学繊維ではなく綿を入れ、パッチワークのように仕上げる。各地の祭礼や時代衣装などを参考に、「懐かしさと美しさ」を兼ね備えた色合わせとデザインを考案する。パッチおざぶは1枚3200円〜1万6000円程度で販売する。  大手寝具メーカーの大量生産品が主流を占める中、地道なもの作りが、昨年7月に日経流通新聞で取り上げられ、大阪梅田阪急百貨店から問い合わせがあり、続く9月に1週間出店した。多くの来店者から懐かしいと反響を受け、商品が間に合わないほどの売れ行きとなり、今年も東京の東武百貨店、福島のデパート、今月は神戸阪急百貨店と出店が続く。  出店がきっかけとなり、西宮市や大阪市などから舞鶴への来店者が増え、古布を持参し婚礼道具に作り替えてとの注文が入るようになった。交野市の女性からは母親の形見の着物が持ち込まれ、布団にしたが「母の温もりを感じ声が聞こえてきそう」と礼状が届いた。大阪の落語家が訪れ、高座で使いたいとパッチおざぶを購入した。  長谷川さん(58)は「もの作りが好きで、『おばあちゃん家の座布団』にこだわってきた。昔のよさをいまの時代に合った形で伝えていきたい」と話していた。
【問い合わせ】電話62・5710、同店。

写真=地道な手仕事で作られる「パッチおざぶ」
7月14日(土)甲子園球場ナイター観戦ツアー
「阪神vs中日」参加者50人募る!1人8500円
 舞鶴市民新聞社は、7月14日(土曜日)に甲子園球場で開催されるプロ野球公式戦「阪神vs中日」(午後6時プレーボール)ナイター観戦ツアー(日交トラベル福知山営業所主催)の参加者を募集します。2年ぶりのリーグ優勝をめざす阪神を3塁側アルプス席から応援します。家族やグループでプロ野球をお楽しみください。  観戦ツアーの日程は、当日午後1時30分、JR東舞鶴駅(北口)▽同1時40分、中舞鶴バス停(中総合会館前)▽同2時、JR西舞鶴駅(舞鶴グランドホテル前)を大型バスで出発。甲子園球場で試合を観戦して、再び大型バスで舞鶴に帰ります。  募集人数は50人(先着順)で、小学生は保護者、または引率者同伴。参加費は1人8500円(小人も同額、飲み物・お菓子付き)。食事は各自ご用意ください。  申し込みは、はがきに住所、氏名、年齢、電話番号(参加者が複数の場合は全員)、乗車バス停を記入して、〒624―0905、福来912―1、舞鶴市民新聞社「プロ野球観戦ツアー」係まで。FAX77・1750、Eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)でも受け付けます。定員になり次第締め切ります。また、参加者には後日、観戦ツアーの詳細をお知らせします。
【問い合わせ】電話78・2055、舞鶴市民新聞社。

2007年6月19日

瀬野さん、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌
7月17日まで引揚記念館で歌日誌特別展後編
 舞鶴出身で旧ソ連から引き揚げた瀬野修さんが、シベリア抑留中に白樺の樹皮に短歌を書きつづった歌日誌を展示した特別展の後編が、平の引揚記念館で開かれている。帰りを待つ家族にあてた便りで何を伝えるか言葉に迷ったり、帰国を信じて強く生きようと決意した心の内を、樹皮の表裏に丹念な文字で刻んでいる。来館者はその言葉に、釘付けになったように見入っていた。7月17日まで。  瀬野さんはエトロフ島で終戦を迎え、ハバロフスク付近の収容所を転々と移動する抑留生活を送った。歌日誌は抑留直後の1945年10月から舞鶴港への引き揚げ直前の47年7月までつづられた。縦10センチ、横11センチほどの白樺の樹皮に、ブリキ缶のペンで煤を集めてインク代わりにし、36枚の表裏に約300の短歌と俳句を詠んだ。帰国後、市内の造船所の養成所で所長を務め、95年に87歳で亡くなった。  ソ連軍に見つかれば没収のみならず、再び収容所に送られる危険をおかして瀬野さんは歌日誌を持ち帰り、88年に同記念館に寄贈した。束ねて常設展示され内容は知られずにあったが、NPO法人舞鶴・引揚語りの会のメンバーが解読を進め特別展を企画。拡大して読みやすくするなどして展示し、2月〜4月に前編を開いた。  後編は46年11月〜帰国直前までの18点を紹介。無料往復はがきが配布され、自分の安否を気づかう家族にはがきが到着した時のことを想像するだけでたまらない気持ちになり、「許されて初の便りぞ家族らに告げむ言葉に惑ひぬるかな」と詠んだ。46年の暮れから帰国が近づくにつれ、いつ帰れるかといった噂や、帰国の希望を詠んだ歌が増える。「恃む帰環の暁は祖国の再建目指さなむ」と前向きな気持ちを持ち続けた。  来館した京都市の女性(83)は「芯のしっかりした人で、日本人の誇りを失わなかったことが伝わり感激しました。私も終戦後、日赤救護班の看護婦として『高砂丸』に乗っていたので、ご苦労がよくわかります」と、当時を思い出し涙をぬぐっていた。

写真=白樺の樹皮に書きつづられた短歌が並ぶ
紙の現代アートと赤煉瓦の競演
6月26〜7月22日に「まいづる智恵蔵」
 現代アートシーンで活躍する作家たちの作品を集めた「KamiSAMA[紙様] アジアの誘惑・現代美術展」が、6月26日から北吸のまいづる智恵蔵で始まる。NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴の主催で、自主企画の第1弾。府北部などの作家9人が、紙を使った平面作品や立体作品を展示し、赤煉瓦と競演する。舞鶴にゆかりのある上前智祐さん(神戸市)も特別出品する。  地方都市では現代美術に親しむ機会が少ないことから企画した。現代アートが盛んな福井県鯖江市の現代美術センターで活動する作家の協力で、複数の現代美術作家が舞鶴に集う初の作品展が実現した。  出品者は八田豊さん(福井県越前市)▽朝倉俊輔さん(同南越前町)▽山下フエサさん(同越前市)▽シマカワヤスヒロさん(同鯖江市)▽内藤絹子さん(兵庫県朝来市)▽ドロン・エリアさん(イスラエル)▽三宅賢三さん(京丹後市)▽ハタノワタルさん(綾部市)▽岩村伸一さん(長岡京市)。6月27日から上前さんの個展を開く浜のギャラリー・サンムーンの協力で、上前さんの作品も展示する。  同倶楽部舞鶴は「赤煉瓦と作品のコラボレーションで、空間をこんなふうにも楽しむことができるというのを見てほしい」とする。入場無料。午前9時〜午後5時。7月22日まで。  関連企画として作家と語る会を7月1日午後2時から、シマカワさんの作品づくりを見学し、一緒に制作体験できるワークショップを同22日午後2時から智恵蔵で開く。参加無料。
【問い合わせ】電話66・1035、智恵蔵。

写真=文字を書き連ねた内藤絹子さんの作品「祈りの言葉」
2007年6月15日

障害者、ボランティアら力合わせ陶板レリーフづくり
市身障害センター開設25周年記念事業
 市身体障害者福祉センター(太田朝和所長)の開設25周年を記念し、センターの利用者やボランティアたちが陶板レリーフの共同制作に取り組んでいる。「人間ってすばらしい」をテーマに、センターの愛称のひまわりと、身体・知的・精神の三つの障害が力を合わせる図案をデザインした。利用者たちは2人の陶芸家の指導を受けながら、今月までに彫りあげる作業を終える。10月には玄関前の壁面に飾り、記念式典で披露する。  1982年に余部下に開設した同センターは、障害者を対象に福祉・医療相談、機能訓練、交流行事、書道などの教室の地域活動支援事業、ボランティア活動の支援など障害に関わる幅広い活動の拠点となり、今年で25周年を迎えた。  その記念事業として陶板レリーフづくりを企画。4月にテーマに沿ったデザインを市民から応募し、利用者を含めた七点の作品を総合して図案を決定した。3つの障害を表す三人の人物が重なって、力を合わせる姿を表現し、背景にひまわりの花が広がっている。  レリーフは縦80センチ、横140センチ。それを20センチ四方の28枚に分割し作業を分担する。同センターの陶芸教室に通う肢体不自由者と難聴者の11人が、同教室講師の陶芸家の高井晴美さんと鉄尾伸介さんの指導で、5月に土で厚さ4センチの板を作り、そこに下絵を描き、6月13日から職員も加わり、かきべらを使って粗削りを始めた。参加者らは動く腕を使い休憩時間も忘れて没頭する。  車椅子に乗って制作する主婦の六田純子さん(47)は「削りすぎないようにとこわごわしていますが、どんなものが出来上がるか楽しみ」と話していた。7、8月に自然乾燥を経て九月に焼成して完成させる。10月13日の式典で披露する。

写真=陶芸家の指導を受け陶板を彫る参加者たち
多田さん夫妻の美容室改装したギャラリーで
6月20日まで嵯峨根さんと長谷さんの書作品展
 美容室を改装して作品の展示スペースを作った魚屋の「ビューティー・ルーム マスミ&ギャラリー」で、公文名の嵯峨根素鶴さんと京月町の長谷水石さんが書作品を展示している。木をふんだんに使った落ちついた雰囲気のギャラリーは、作品を通して地域の交流の場づくりに役立っている。  美容師の多田満寿美さん(74)が1959年に美容室を開業した。西公民館長を務めた夫の明さん(同)とともに、65歳になったら仕事を止めようと話し合い、美容室は指導する若手美容師に貸した。2004年、台風23号で床上浸水する被害を受け補修して再開。が、借りていた美容師が昨年独立し空き室となった。  明さんと満寿美さんは絵と書を趣味とすることから、お世話になる地域の人たちの憩いの場も兼ねギャラリーにと考えた。また、満寿美さんの長年のお客からは「美容師も続けて」との声が寄せられ、3分の2をギャラリーに、残りを美容師の仕事場にした。天井には白い漆喰を塗り、壁と床は木目の美しい杉板を使った。テーブルも1枚板の杉で仕上げた。  4月に絵画展を開催したところ、「ギャラリーとして地域に開放していることに感激」と書家の長谷さんが、嵯峨根さんを誘って書展を開いた。嵯峨根さんがかな文字、長谷さんが白居易の「唐詩」などの書を展示した。来場者は木の香りのする中で書を見た後、テーブルでお茶を飲みながら談笑する。6月20日まで。午前10時〜午後6時。  明さんは「今後も市民の作品の展示の場として利用してもらえれば」と話す。ギャラリーは木曜、日曜は休み。
【問い合わせ】電話75・1077、マスミ。

写真=書を展示した長谷さんとくつろぐ多田明さん(右)
2007年6月12日
















市展賞に平野さん(工芸美術)ら
6月13〜17日に総文、市政記念館、智恵蔵で展示
 第39回舞鶴市展(市、市教委主催)の入賞者がこのほど決まった。今年は286点の応募があり、工芸美術部門の市展賞には陶芸作品「Doux〜穏やかな〜」を制作した平野貴子さん(34)=倉谷=が選ばれた。今年は初めて北吸の市政記念館とまいづる智恵蔵でも展示される。期間は6月13日〜同17日。入場無料。  5部門で日展会員や日本写真家協会会員らが審査をした。最高の市展賞には日本画で「残りしもの」を描いた小谷信子さん(72)=溝尻中町=、洋画で「風景」を描いた河田晋さん(54)=福知山市=、書作品「静夜吟」を書いた淡路香月さん(38)=倉梯町=、朝霧高原から富士山を撮影した写真「気分は最高」の有本隆司さん(59)=高野由里=、1年がかりで陶芸作品を仕上げたパン・ケーキ製造業の平野さんが選ばれた。  浜の総合文化会館では日本画・書・工芸美術、市政記念館では写真、まいづる智恵蔵では洋画を展示する。午前10時〜午後6時。表彰式は17日午後3時から智恵蔵である。その後、各会場で審査員による講評が行われる。
 市展賞以外の各賞の受賞者は次の通り。
 【特選】洋画=金森陽子(京月町)久田博基(綾部市)▽日本画=野瀬緑瀬(引土)▽書=村尾彌生(公文名)新宮文葉(万願寺)▽写真=井上敏和(宮津市)大内昌男(福知山市)荻野美千代(同)▽工芸美術=河田昭子(安岡)  【奨励賞】洋画=芦田ミス子(行永東町)土手道代(浜)椿恒雄(行永)▽日本画=小林美佐子(溝尻町)泉靖子(行永)▽書=碓井雀園(竹屋)引野恵美子(福知山市)▽写真=安達秀敏(綾部市)亀井文男(堀)西田眞弘(福知山市)荻野裕(丹波市)有本桂子(高野由里)真田義永(豊岡市)▽工芸美術=谷口一郎(福知山市)濱條ひさ子(愛宕中町)  【委嘱作家賞】洋画=佐藤栄一(倉梯町)▽書=高橋知園(北田辺)

写真=左から【市展賞】淡路さんの書「静夜吟」、平野さんの陶芸作品「Doux〜穏やかな〜」、小谷さんの日本画「残りしもの」、有本さんの写真「気分は最高」
7月中旬、京都北部私学フェアに来場を
舞鶴など3市で初の合同入試相談会
 府北部の私学が一堂に会した合同入試相談会「2007京都北部私学フェア」(京都府私学連合会北部支部主催)が、7月中旬に舞鶴など3市で開催される。府北部の私学では初めての取り組みで、来場を呼びかけている。  参加校は舞鶴市の日星高校、福知山市の京都共栄学園中学・高校、福知山淑徳高校、福知山女子高校、福知山成美高校、宮津市の京都暁星高校。また、資料配布のみの参加校は南丹市の京都聖カタリナ高校、京都美山高校。  相談会では、学校別相談コーナーとして、学校ごとに個別相談ブースを設け、各校の担当者が常駐して、個別に質問や相談に応じる。また、資料配布コーナーでは、学校案内、入学案内などを入手できるほか、映像コーナーでは、各校の学校紹介ビデオを上映する。また、制服展示コーナーでは、抽選で図書券が当たる「どこの制服か?制服当てクイズ」もある。  相談日と会場は、7月14日が宮津会場「ミップル」、同15日が舞鶴会場「西駅交流センター」、同16日が福知山会場「マリアージュFUKUCHIYAMA」。時間はいずれも午前10時〜午後5時。

写真=初めて開く「京都北部私学フェア」
2007年6月8日

「丹後のカニ博士」切り絵作家の軌跡たどる
6月23日、篠田さん偲び講演会と遺作展
 京都府立海洋センターの前所長で、「丹後のカニ博士」と呼ばれ、後年は切り絵作家として創作に打ち込みながら、昨年9月に69歳で急逝した篠田正俊さん(行永東町)を偲ぼうと、講演会と切り絵の遺作展が6月23日、北吸の市政記念館で開かれる。会長を務めた市民団体の若狭湾生物同好会(瓜生勝郎会長)の主催。同センター所長の桑原昭彦さんが語り、6年間に数百点の切り絵を残した作家活動の歩みを作品で紹介する。来場を呼びかけている。  篠田さんは当時中舞鶴長浜にあった京都大学水産学科で学び、同大学院を修了した。千葉大学理学部生物学科助教授などを経て、1981年から同センターに勤務し、88年から所長を務め99年に退職。この間、日本海のズワイガニの資源保護に尽力し、世界的なカニ博士として知られるようになった。  切り絵は61歳から始めた。関西総合環境センター(宮津市)に務めながら、丹後の漁業や風景などを描き作品展も開催。魚の絵と漢字を合わせて遊ぶカード「魚魚(とと)あわせ」を制作、丹後版など10シリーズが発売された。缶詰などのパッケージにも使われ、美しい色と洗練されたデザインが人気を集める。  若狭湾生物同好会の会長とし、地域の自然を愛するアマチュア研究者たちのまとめ役や指導にも尽くし、気さくな人柄で多くの人と接した。そんな篠田さんの研究と作家活動の軌跡を市民に紹介しようと、同会が講演と切り絵展を企画した。  同環境センターが保管する「魚魚あわせ」の原画と、妻の秀實さんの手元に残る約30点の中から合わせて4、50点を展示する。丹後の漁業の初期作をはじめ、文楽の頭の連作、秀實さんが入院した際に回復を祈って作った仏像、最後のシリーズとなった能など、様々なテーマにその才能を奮った作品を並べる。  篠田さん夫妻と家族ぐるみの付き合いのある同会会員の青海典子さんは「研究者と作家の2つの人生を生き、いまも作品を通して篠田さんは生きておられます」と話す。秀實さんは「座ったら朝から晩まで作品づくりにのめり込んでいました」と振り返る。  23日は午後1時から同会の総会、同2時から講演。展示は同1時〜同5時。入場無料。
【問い合わせ】電話62・1371、佐藤さん。

写真左=妻の秀實さんの手元に残る切り絵作品
写真右=ありし日の篠田正俊さん
若葉カップ府予選会で男女そろって優勝
舞鶴ジュニアバドミントンチーム
 舞鶴ジュニアバドミントンチームが6月3日、八木町の口丹波勤労者福祉会館で行われた第23回若葉カップ小学生バドミントン大会京都府予選会(府小学生バドミントン連盟主催)で、男女そろって優勝した。  男子チームは、準決勝でピスコムジュニア(宇治市)を5―0、決勝でゴードーチーム(京都市)を5―0で破り優勝した。女子チームは、予選リーグ2勝で決勝に進出、パンプキン(八幡市)を3―1で破った。
 男子、女子チームの監督、コーチ、選手は次の通り。
 【男子】監督=岡本春美▽コーチ=常塚修▽選手=清水智彦(新舞鶴小)小谷翔、岡本徹矢(以上岡田下小)松村凌平(神崎小)常塚光、冨田健矢(以上高野小)柏原瞬(吉原小)
 【女子】監督=佐藤勉▽コーチ=古池昭宏▽選手=宮崎育子、山内佑美、五戸砂季、岡野彩夏(以上高野小)高本悦子、山下萌加、千歳真央(以上吉原小)迫田彩有里(八雲小)浅野陽南(志楽小)

写真=舞鶴ジュニアバドミントンチーム
2007年6月5日

自然なお産をサポートします!
舞鶴医療センターが院内助産所開設
 産科医の不足で同科が休止となっている行永の舞鶴医療センター(平野伸二院長)はこのほど、リスクの低い正常な分娩が可能な妊産婦を対象に、同センターの助産師が出産とその前後のケアを行う院内助産所を開設した。また、従来の居室型分娩室(LDR)を畳敷きの部屋に改装し、分娩台を使わずに楽な姿勢でお産ができるようにした。本来備わる「産む力」と「生まれる力」を発揮できるよう、母子を主体としたお産をサポートする。  同センターの産科は、年間200件強の出産を扱っていた。中でも、極小未熟児など母子の命のリスクの高いお産に対応するNICU(新生児集中治療室)を備える母子医療センターを持ち、年間50例を扱うなど府北部で周産期医療の中心的な役割を担ってきた。  が、昨年3月末に産科医3人全員が退職し、休診状態となった。そのため助産師10人が専門性を活かそうと、続く5月から助産師外来を始め、来院する妊産婦への保健指導や訪問ケアなどを実施。一方、医師が立ち会わずに、医療介入を抑えた自然なお産が院内でできる助産所の準備も進め、府内で初の開設にこぎつけた。  希望する妊婦に対して、嘱託の産科医が正常な分娩が可能か診察した上で、助産師が検診などをする。その後の医師の診察で異常が見つかったり、分娩時に急変した場合に備え、バックアップとして舞鶴共済病院が対応する。分娩には昼夜を問わず、必ず助産師2人があたる。  LDRには畳4枚を敷き、自宅の居間に近い雰囲気を作った。家族とともに過ごせるだけでなく、妊婦が楽な姿勢を選んで産むことができる。助産師の吉田美和子さんは「この1年間、まだここで出産はできないのですかという声をいただきました。いいお産の思い出を家族に作ってもらえるよう手伝いたい」と話す。5月末までに6人の妊婦の予約が入り、7月末に1番目の出産を扱う予定。  平野院長は「助産師たちが想いを持ちつづけたからこそ実現できた。地域の産科医不足の緩和の一助になるよう助産所を軌道に乗せ、リスクの高い母子に対応するため産科を再開させ、助産所と産科を併設させたい」と話していた。電話62・2680、同センター。

写真=分娩台を置かず、畳敷きの部屋で出産ができる院内助産所
岩がきと丹後とり貝の店マップ作成
舞鶴観光協会や天橋立観光協会など
 夏の味覚である岩がきと丹後とり貝の地元消費を増やそうと、舞鶴観光協会と天橋立観光協会などはこのほど、それらを食べることができる舞鶴と宮津の店舗を掲載したマップを作成した。  舞鶴や宮津の湾内で育成される岩がきと丹後とり貝は、高級食材として東京や京阪神などに出回ることが多かったが、地産地消を進めようと、舞鶴市と宮津市が連携して、地元の店に料理の提供を働きかけ、マップを作った。  マップはA2版じゃばら折りで両面カラー。8万部作った。舞鶴では岩がき丼が8店、岩がき料理は11店、丹後とり貝料理は十店が提供し、マップに位置と料金などを掲載している。それぞれの料理法なども紹介した。JR東・西駅観光案内所や市役所などに置いている。経費は約百万円。
【問い合わせ】電話66・1024、舞鶴観光協会事務局。

写真=岩がきと丹後とり貝を食べることができる舞鶴と宮津の店舗を掲載したマップ
2007年6月1日

在日3世韓国伝統舞踊家・李さん(大阪市)
生まれ育った舞鶴の田辺城まつりに舞う
 5月27日の第16回田辺城まつりで、美しい民族衣装に身を包み、特別な想いでステージに立った女性がいる。在日コリアン3世の韓国伝統舞踊家、李綾子(イ・ヌンジャ)さん(41)=大阪市東成区=がその人だ。舞鶴で生まれ育った18年間は日本名を名乗り、韓国人であることを肯定できずに生きてきた。20歳で伝統舞踊に出会って自分を取り戻し、その道を歩んできたが、「いつかは故郷で踊りたい」との願いを抱き続けていた。  李さんにとって舞鶴市民に披露した初の舞台。舞鶴公園のステージで、「扇の舞」を踊る李さんに観客は「花のようにきれい」と見ほれる。舞踊仲間3人とによる「三鼓舞(サンゴム)」の太鼓演奏では、華麗でリズミカルな動きと音に、大きな拍手が贈られた。「舞鶴で踊る日が来るなんて不思議な気分。きょうはとても感動しました」と、踊り終え晴々とした笑顔で話す。  和田中や東高の少女時代は「福島綾子(りょうこ)」として育ち、母親からは「韓国人は就職が大変だから勉強をしっかりしなさい」と教えられた。在日であることに次第に生きずらさを感じるようになり、韓国の話題を聞くだけで耳を塞ぎたくなる自分がいた。「誰にも相談できず、韓国人であることが負担だった」と振り返る。  転機は20歳。大阪市内で就職した保育園で名前の韓国読みを教わり、同僚に誘われ生野民族文化祭でチマチョゴリを着て踊った。踊り終えると涙が止めどなく流れる。それまで自分をさらけ出せずにいたが、全てを見てほしいと思えた。「あの時のことを思い出すと、いまでも気持ちが高ぶり涙が出ます」。胸を張って「イ・ヌンジャ」と名乗るようになった。  踊りが自分の生きていく証となり、本格的に習ってみようと思った。28歳で韓国へ1年間の語学留学をした際、韓国舞踊の人間国宝、李梅芳(イ・メバン)さんに踊りへの想いを伝え、入門を認められ毎日教室に通った。帰国後も何度も訪韓し指導を受け、関西在住者で初の「僧踊」の履修者の資格を得た。  その後はソウルでの発表会をはじめ、日本でもソロ公演など舞台に立っている。神戸などの小・中・高校でも、日本と在日コリアンの子供たちに伝統舞踊の素晴らしさを伝える活動を続ける。そしていつしか故郷で踊りたいとの想いを募らせた。  「今後も韓国と日本の文化交流のため、舞鶴で踊る機会があればうれしい。踊る姿を見てもらって、以前の私と同じ悩みを抱える子たちにも力になれれば」。その願いが叶ったいまも、特別な想いは冷めることはない。

写真=特別な想いで「扇の舞」を踊る李さん
大浦小クリーン作戦で児童112人
海岸沿いや工場周辺道路のごみ拾い
 平の大浦小学校で5月28日、クリーン作戦が実施された。児童112人が6班に分かれて、地域の海岸沿いや工場周辺の道路で、清掃活動に取り組んだ。  美化活動を通して地域への愛着を育てようと、毎年5月と11月の2回行っている。児童と教諭らのほか、大浦子育て支援協議会と民生児童委員の市民も参加した。  児童たちは黄色のゼッケンを着用し、手に火箸を持って分担場所に向かった。平の海岸では漂着したビニール袋など、府道沿いの溝ではポイ捨てされた空き缶などを分別して回収。最後は学校に持ち帰り、市が処分した。

写真=海岸でごみを拾う児童たち
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