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2013年6月28日 |
被害患者の苦しみ 映像で伝える 舞鶴ウイルス性肝炎を考える会 自ら闘病体験語る 国に早急な支援を求める 「舞鶴ウイルス性肝炎を考える会」(三宅あき世話人、会員40人)が、肝炎の治療の苦しさと国からの医療費支援のない実態などを多くの人に知ってもらおうと、昨年の手記集に続いてDVDの製作に取り組んでいる。被害患者の会員4人が、自らの闘病の体験を語る姿を映像に収録した。安心して治療と生活ができる早急な体制づくりを国に求めている。 肝炎患者は全国で約350万人とされ、B型肝炎は集団予防接種での注射針の使い回し、C型肝炎は汚染された血液を使った血液製剤の使用など、大半が不適切な医療行為による感染と言われる。放置しておくと肝硬変や肝がんなどへと進行する。 全国の患者団体が、国のなおざりな感染症対策が原因で感染が広がったとして訴訟を起し、国の肝炎基本法が成立した。が、肝炎ウイルスの無料検査は一部の医療機関で行われるだけで、重症患者への医療費助成はなく、カルテがないため訴訟で救済された原告もわずかしかいない。 2009年に結成した同会は、進行する病と高額な医療費、今もある偏見や差別に苦しむ声を知ってほしいと昨年、手記集500部を作って配布。しかし、すでに7人の会員が亡くなり、肝炎患者の置かれた厳しい現実を一層伝えていこうと、支援会員の阪本みさ子さん(63)=市場=の提案で、映像で訴えることにした。 舞鶴市と与謝野町在住の会員が実名での出演に協力し、阪本さんが撮影した。出産の時に受けた大量の輸血を機に急性肝炎を発症した女性(77)は、肝硬変に移行し仕事も辞めざるをえなくなり、いまは何度も肝がんを再発して大阪に入院して治療を受ける生活を繰り返し、「いまはどう死ぬかを考えるようになった」などと語った。 また、別の女性たちも重症化する病への不安、高額なインターフェロン治療で全身の倦怠感や生きる気力の喪失などの副作用に苦しんだ体験を振り返り、対策を怠った国への静かな怒りと医療費助成を訴えた。 三宅さん(75)は「昨年は手記で患者の苦しみを知っていただきましたが、患者のことが忘れさられないよういろんな手段で伝えていきたい。出演者は勇気をもって語ってくださいました」と話している。試写を行ない会員の意見も取り入れ近く300枚完成の予定で、希望者に無料配布する。 【問い合わせ】電話78・9133、三宅さん 写真=DVDの完成に向け、試写を行った会員たち |
八島商店街 東舞鶴はまっこ夜の市 6月29日から 多様な企画で世代間交流を 協同組合東舞鶴商店街連盟(伊庭八郎代表)主催の2013年東舞鶴・はまっこ夜の市が、6月29日〜7月20日の各土曜日、八島と七条(7月6日のみ)商店街で開かれる。今年も多様な団体と連携し、新たな企画で様々な世代が交流できる市民の縁日になるよう、八島アーケード内の各ステージで様々なイベントが催される。時間は午後6時〜同9時。(八島のイベントは表を参照) ほかにも、アームレスリング大会や、フリースタイル・フットボールショー、幼稚園絵画展などが催される。綾部志賀郷の行列のできる店「竹松うどん」や、串かつ万願寺など、週替わりで各種飲食の出店もある。七条商店街では7月6日のみ、フリーマーケットと手作り市が行われる。出店者を募っている。 【問い合わせ】電話64・4844、同連盟事務局 写真=一昨年のはまっこ夜の市(東舞鶴商店街連盟提供) |
八島アートポート 週替わりでアーティストら招き 商店街でアートを楽しむ夜 はまっこ夜の市では、昨年と一昨年、「八島アートポート」でアーティストらを招き企画を行った、舞Iを拠点に芸術活動を行う一般社団法人torindo(トリンド)も、「商店街で舞Iを楽しむ、アートを楽しむ」と題して、アーティストや研究者を週替わりで招き、ワークショップなどを行う。 6月29日は、2010年に改装前の赤れんが倉庫で作品を発表した、北海道在住の映像作家、斉藤幹男さん(35)を招き、アニメーションを作るワークショップを行う。 7月6日は、昨年の連合作品展で未来美術家の遠藤一郎さんと市内の全支援学級・校を回り講師を務めた、東京在住の旅する衣装作家、ユキハシトモヒコさん(25)を招き、花びらや葉を使った自然染めのワークショップで手ぬぐいを作る。服の販売も行う。 同13日は「夜の市教室」と題し、1限目は、本紙連載「若狭湾水中散歩」でおなじみの京大舞I水産実験所准教授(魚類心理学)の益田玲爾さんが「海の教室〜舞Iの海の魚たちの素顔」(午後6時〜同7時)を、2限目は、グレイスヴィルまいづるでシリーズ「とつとつ」の講師を務める大阪大学特任教授(看護学・臨床哲学)の西川勝さん(56)が「哲学の教室〜心はどこにあるのか」(午後7時半〜同8時半)をテーマに、それぞれ講義を行う。 同20日は、八島商店街や東舞鶴の昔の写真をスクリーンに映し出すスライドショー「夜市八島幻燈夜会(よるいちやしまげんとうやかい)」を行う。写真の募集も行っている。 また、全週を通して、本紙で航海日誌を連載中の「種は船」のドキュメント映像を、街頭テレビ風に上映する。6月29、7月6日のみ参加費200円。 【問い合わせ】電話080・2411・0790、トリンド 写真=昨年のワークショップ(torindo提供) |
2013年6月25日 |
少年のアジサイが繋いだ絆 城南中から医療センター附属看護学校へ車いす アルミ缶回収で想い届ける 京田の城南中学校(櫻井秀之校長、生徒601人)で6月18日、約1年かけて集められたアルミ缶3万6000個で購入した車いす1台が、行永の舞I医療センター附属看護学校に寄贈された。両校にはアジサイにまつわる交流の歴史があり、同中は同センターとの絆をより深めるため、車いすを贈ることにした。 1988年に、急性骨髄性白血病で同センターに入院していた少年が、同中への入学の夢を叶えられずに亡くなった。少年は、小児科病棟で治療を受ける中、挿し木で増えるアジサイを植えてほしいと看護師長に提案し、アジサイを病室の窓から見守り続け育てていた。 その後、当時の看護師長が同中で講演したのを機に、城南中の門をくぐりたかった少年の夢を叶えたいという思いから、アジサイの挿し木が同中の正門横に植えられ、今では大きく育ち記念碑も立てられている。2010年には、当時の城南中校長がアジサイの里帰りをと株分けし、今では同センターの看護学校校舎前でも花を咲かせ、看護と命の大切さを伝える象徴となっている。 同中では、このアジサイをきっかけに、思いやりの心をもとうと、伊佐津川の河川敷の美化活動などのボランティアを「紫陽花(あじさい)プロジェクト」と名付けて取り組んでいる。その一環として昨年4月から、アルミ缶で車いすを購入するため、生徒や地域住民らが毎週1回持ち寄り、1年かけて目標の3万6000個を達成し、リサイクル業者で現金化して児童用の車いす1台を購入した。 贈呈式には全校生徒が参加し、生徒会長で3年の依田響(いだひびき)さんが、「人の手から人の手へと受け継がれたアジサイは、毎年この時期になると私たちに命の尊さを語りかけてくれます。これからも後輩に伝え、発展していけるように頑張ります」とあいさつを述べ、看護学校長で同センターの法里高(ほうりたかし)院長らに車いすを贈った。 法里院長は「大切に使わせていただきます」とお礼を述べ、依田生徒会長に感謝状を贈った。 写真左=依田生徒会長(左)から車いすを贈られる医療センターの法里院長(中央)ら 写真中=城南中正門横のアジサイと記念碑 写真右=看護学校校舎前のアジサイ |
東高 英語キャンプで実践 AETらと英会話のみで交流 泉源寺の東舞鶴高校(竹内浩校長)でこのほど、恒例行事の「第4回東高英語キャンプ」が行われた。英語でのコミュニケーション能力の向上と、積極的な態度を育成するための取り組みで、今年で4年目。参加した1〜3年生の29人は、外国人の英語指導助手(AET)ら6人と同校英語教諭ら7人と一緒に、英語のみを使ってワークショップやクッキングなどを行い、1日交流した。 同校は昨年度、「京都グローバルコミュニケーション校」の指定を受けてAETが2人体制になり、実践的英語力を身に付けるための授業に力を入れている。 この日は、同校のAET、オレン・ヒース教諭(27)を中心に、綾部高校や宮津高校などのAETも参加。生徒たちと英語でのゲームやクイズを行った。 オレン教諭の奥さんのジョイ・ヒースさんの指導で、アメリカ料理の「スライダー」と呼ばれるミニハンバーガーを作るクッキング教室も行われた。キャンプの中でも一番人気の企画で、昨年はタコスを作った。生徒たちは英語で書かれたレシピを基に、ジョイさんの説明を聞いて英語で質問しながら、グループで協力し、バンズとハンバーグを焼き、レタスやトマトなどを挟んで、直径約6センチ程のミニハンバーガーを作り、試食した。 また、積極的な発言や友人の手助けなどをすると「東高ドル」が与えられ、集めたドルで教諭らが持ち寄った海外の品を販売する「東高ショップ」で買い物も楽しんだ。最後に、ドルを最も多く獲得した国際文化コース2年の山下茜音さん(16)が表彰を受けた。 英語部で1年の荒木碧海(たまみ)さん(15)は「2年生になったら国際文化コースに行きたいのでチャレンジしました。不安もあったけど楽しかったので、来年も参加したいです」と話していた。 オレン教諭は「普段の授業では英語がなかなか自然に話せない生徒も、共同で作業をすると自然に笑顔で話していて、いつもと違う姿が見られて良かった」と、感想を話していた。 写真=ジョイ・ヒースさん(左)からミニハンバーガーの作り方を教わる生徒たち |
2013年6月21日 |
フィリピンから来日の女性たち 日本語学び 生きる力に シスター原田 天台修道院で教室 ボランティアで25年間指導 仕事や結婚のため来日し、舞鶴に在住するフィリピン出身の女性たちが、上安の聖母訪問会天台修道院で開かれている日本語教室で、語学の勉強を続けている。それを支えているのが同会のシスター(修道女)、原田従子さん。約25年前からボランティアで指導を続けている。言葉を身につけることで女性たちは自信につながり、生きる力になっている。いま漢字検定に挑んでいる。 鎌倉市に本部を置く聖母訪問会は、フィリピンに支部を置き医療援助活動をしてきた。原田さんも何度も現地を訪れたことがあった。赴任した舞鶴市内の教会で英語によるミサが行なわれるようになり、在住するフィリピン女性たちと知り合うようになったが、日本語が話せない人が多いことに気づき、教室を始めることにした。 教室は毎月2回ほど土曜日午後から。日星高校内の修道院で10人でスタートし、2011年から天台修道院に移った。多い日は15〜20人、少ない日は3、4人が通う。小・中学校に通う子供たちも一緒に学ぶ。小学1〜6年で使う漢字を身につけようと、原田さんが問題集を作成する。言葉を学ぶだけでなく、生活の悩みを打ち明けたり、子供たちの進路も原田さんに相談している。 当初は読み書きを中心に学び、学習の成果を試そうと日本語能力検定試験を受験し、最高の1級をはじめ、多くの人が2〜4級に合格。また、フィリピンで取得した車の運転免許を日本で切り替えるための試験や、ホームヘルパー講習の勉強なども原田さんから教わった。次第に語学力が備わり自営業を開業する人、介護職や学校で講師を務める人たちもいる。 昨年から日本漢字能力検定試験に取り組む。日本語能力検定試験は京都市内であるため、交通費がかかり受験料も5,000円と高額。漢字検定は修道院が準会場の認定を受け受験しやすくなった。大学レベルの1級から、小学1年で学ぶレベルの10級まである。 6月にあった検定には6・7級に4人、8・9・10級に大人や日本人を含む小中学生ら10人が受け、問題用紙に向き合った。 来日して25年になる倉橋マリネスさん(48)=行永=は漢検6級を受けた。約20年間、ほぼ毎回教室に通い続けている。フィリピンでは大学でマーケティングを学んでいた。 「来日当時は人と出会っても話せず不安だった。いまはぼちぼち日本語ができるまでになりました。教室に来ると集中して楽しく勉強できる。原田さんは頼りになる存在です」と話す。飲食業を営む中で時間を見つけ勉強を続けている。漢検5級が目標だ。 原田さんは「日本語ができるようになったことが自信となり、いろんなことにチャレンジして活き活きしている姿にうれしい。よりよく生きようと努力する彼女たちにとって、少しは何か役に立てたかなと思います」と笑顔で見守っている。 写真=漢字の問題を解くフィリピン出身の女性たちと教える原田さん(中央) |
仲川さんと佐藤さん 木工と写真の2人展 市身障センターで6月30日まで 倉谷の仲川林一さん(80)と西方寺の佐藤喜吉さん(74)の2人展が、余部下の市身体障害者福祉センター・サロンで開かれている。仲川さんがひな人形やこいのぼりなどの木工作品、佐藤さんが自宅周辺の風景や家族を撮影した写真を展示している。6月30日まで。 仲川さんは木工所に勤務していた28歳のころ、交通事故で両膝を曲げることができない障害が残った。当初はドアなどを作る技術職だったが後に渉外を担当。退職後に木工の腕を活かし、母親の古い箪笥をばらして材料に、孫が嫁ぐ日に持っていってほしいと7段のひな人形を製作した。電動ミシンノコギリで作った豚の親子や十二支の人形などを出品した。 佐藤さんは4歳のころに小児麻痺となり、左腕に麻痺が残った。中学3年からカメラを趣味とし、自宅で現像までこなした。長年建設業に従事した。右手だけで撮影できる軽量カメラで、風景や人物を撮る。コスモスや彼岸花などの紅シリーズ、陸上大会に出場した同センターの仲間たちとの集合写真、凧揚げをする孫たちの笑顔の写真が並ぶ。 2人は仕事で知り合いだっただけでなく、舞鶴身体障害者団体連合会の役員として、障害者の福祉向上や同センターの充実に務めてきた。それぞれの趣味の話をしながら、当時の思い出も振り返っていた。 写真=作品を展示した仲川さん(左)と佐藤さん |
2013年6月18日 |
舞鶴赤十字病院 入院患者の早期退院を支援 土・日の休日リハビリを導入 「起きる」「歩く」など日常動作を指導 手術後の入院患者の早期退院を支援するため、倉谷の舞鶴赤十字病院(西田和夫院長)は、休日リハビリを実施している。外来の休診日である土・日曜日に、理学療法士などの専門スタッフが、日常動作などのリハビリメニューを患者に指導している。 急性期や回復期の患者が早期退院できるように、都市部の病院では土・日曜の休日リハビリがすでに導入されているが、スタッフが少ない地方では進んでいない。近隣では福知山市民病院が土曜日のみ、丹後中央病院(京丹後市)が土・日に行なっている。 舞鶴赤十字病院では昨年11月から取り組みだした。主に整形外科の患者たちを対象に、手術から1週間目の急性期の患者には全員に、2週間目に入ると必要に応じて行なっている。また、年末年始など4日以上休日が続く日には、回復期の患者にも対応する。 リハビリテーション科は理学療法士19人、作業療法士6人がいるが、スタッフ1〜2人が休日の1日あたり約10人を担当。寝ていることで体が弱る廃用症候群を防ぐため、患者の病室でベッドから起きて、車いすや歩行器を使ってトイレや食堂などに移動したり、リハビリセンターで器具を利用したリハビリなどの指導をする。 リハビリテーション科の小幡彰一課長は「患者さんたちにアンケートをしましたが、休みにリハビリができて心強いという声をいただきました。スムーズにいい状態で自宅へ戻れるよう、スタッフの理解を得てがんばっていきたい」と話している。 写真=リハビリに取り組む患者とスタッフ |
引揚記念館 駐留米兵、引揚を記録 寄贈写真を初公開 貴重なカラーも 終戦直後に、舞鶴に駐留した日系2世の米陸軍兵士による引揚者や引揚船の様子を撮影した貴重な写真10点が、平の舞鶴引揚記念館で展示されている。当時としては珍しいカラー写真もあり、初めて公開した。6月30日まで。 撮影者は現在、米国オハイオ州シンシナティ市在住のウォルター・オカ氏(85)。1946年に米陸軍に入隊し日本に赴任。47年4月、舞鶴に配属され49年1月まで滞在した。この間、引揚船内や引揚援護局の様子、舞鶴のまちなどを個人的に撮影し、その数は79枚。内カラー写真は9枚だった。同記念館の存在を友人から知り、写真を寄贈した。 展示されたカラー写真は3枚。援護局内で待機する復員兵たち、五条桟橋で引揚者を待っている米軍兵士たちが写る。白黒では、北桟橋とみられる場所へ降りる復員兵、引揚船の船底で復員兵たちが規則正しく置いた荷物、引揚船内で復員兵の服装をチェックする援護局職員と米軍兵士たちの姿がある。 同記念館は「米軍人が職務ではなく個人的に援護局内を撮影したものは、現時点では確認されておらずとても貴重だ。オカ氏から寄贈された他の写真の公開も検討したい」とする。 今回の企画展には、寄贈されたシベリア抑留などの資料も展示した。モンゴル抑留中に作成された段ボール製の花札、麻袋を作り直し援護局で配布されたリュックなどが紹介されている。 【問い合わせ】電話68・0836、同館 写真左=引揚援護局内で待機する復員兵をとらえたカラー写真 写真右=引揚船内で服装のチェックをする米兵ら |
2013年6月14日 |
励ましの思い 土に込める 志楽小4年生 陸前高田の小学生へマグカップづくり 10月、高井さんら現地に届ける 東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市の小学生たちに届けようと、小倉の志楽小学校(高島和夫校長)の4年生71人が10日、マグカップづくりに取り組んだ。同市の被災者の支援を続ける成生の陶芸家、高井晴美さん(48)が被災地の様子を説明し、作り方を指導した。児童たちは励ましの気持ちを粘土に込めていた。 子供たちに文化・芸術の体験を提供する府の事業として、志楽小が陶芸教室を開催。講師として高井さんが招かれ、3回目の最後の授業に被災地に贈る作品づくりを学校側に提案した。高井さんはこれまでにも自身の陶芸教室の生徒と一緒に貯金箱づくりや、チャリティー作品展などをして、陸前高田市を訪れ震災遺児たちに義援金を届けるなどしている。 4年生たちは巨大津波の被害にあった映像などを見て、被災地の様子を事前に学習した。この日は同市の高田小学校の児童たちが津波とその後の体験を綴り、昨年4月に発行した文集の中から、高井さんが4年生の作文を紹介した。 震災後、児童は欲しい物があっても、物を大切にして最後まで使う気持ちに変り、「震災があったから自分は成長できた。一本松のように私も強く生きたい」と結んでいた。高田小では10人の児童が両親を亡くしている。 児童たちは約2時間でマグカップを完成させ、カップの外側には「元気でいてね」「東北がんばれ」と言葉を刻んだ。4年生の田端紗歩さんは「カップを手にした人に幸せになってほしいと思ったので、『幸せ』と書きました」と話していた。 高井さんは「子供たちに作ってもらったものを、陸前高田に届ける機会ができうれしい。この体験を通して被災地のことを忘れずにいてほしい」と手ほどきをした。焼成をした後、10月10日に高田小を訪れ届ける。 写真=高井さんから教わりマグカップをつくる4年生たち |
由良川小3年生 旅するチョウ観察会 神崎海岸にアサギマダラ マーキングで飛来地と交流 丸田の由良川小学校(山口正裕校長)の3年生児童6人がこのほど、東神崎の海岸で、南西諸島などから日本へ北上し、約2000キロ以上を旅するチョウ「アサギマダラ」の観察会を行った。保護や生態の解明に取り組む「舞I市アサギマダラの会」(55人)の世話役、村上貴是さん(65)が同行し、捕獲したチョウ8匹の羽根にマーキングをして放した。 昨年のこの時期、神崎海岸に自生するスナビキソウに、北上中のアサギマダラの雄が樹液を吸うため多く飛来している姿が確認された。生態があまり解明されていない珍しいチョウであるため、地域の財産として市民に広く知ってもらおうと、舞I・神崎フライトエリア同好会が、同会を設立した。 アサギマダラは一時を過ごすとさらに本州を北上し、産卵を終えて秋に再び南下してくる。舞Iでは9月頃に咲くフジバカマに集まる姿が確認されており、秋は街中でも見ることができる。 児童たちは村上さんのアドバイスを受け、林の中や砂浜に飛んでいるアサギマダラを虫取り網で追いかけた。捕獲すると、鱗粉が少ない羽根に油性のサインペンで日付と校名、同校の電話番号をマーキングして放した。全国の飛来地の小学校などでも観察会が行われ、捕まえた人同士が交流することで、飛ぶルートや速さなどの生態解明につなげている。 この日、4匹を捕まえた岸本雅(みやび)さん(9)は「本物は写真で見るより、模様の形や色がきれいだった。捕まえた人から電話がかかってきて、友達が増えたらうれしい」と話していた。 写真左=「舞鶴市アサギマダラの会」の村上さん(左)から説明を受ける児童たち 写真右=スナビキソウで羽休めする「由ら小」などとマーキングされたアサギマダラ |
2013年6月11日 |
竹の子の里へ力借してネ! 京極マリア祈りの里 泉源寺の竹林整備へ 6月29日作業開始 ボランティア募る 泉源寺の地域づくりに取り組むNPO法人京極マリア祈りの里(増田憲嶺理事長)が、地区の里山で増殖する竹林の整備に取り組むことにした。京都府の中丹ふるさと再生推進事業の助成を受け、ボランティアの協力を呼びかけて、6月29日に第1回目の伐採や粉砕化の作業をする。荒れる竹林に手を入れ、竹の子の里を目指す。 キリシタンの京極マリア(1542〜1618)は、戦国武将・浅井長政の姉で、次男の丹後藩主・京極高知の領地である泉源寺に晩年移り住み、此御堂と呼ばれる庵で静かに信仰生活を送った。村人たちも「泉源寺さま」と慕い、位牌を作って堂に祀って守ってきた。 自分の信仰を貫いた生き方を後世に伝え、地域づくりに活かそうと、位牌を安置する泉源寺の智性院の増田住職や住民たちが、2010年にNPO法人を設立。マリア像を建立したほか、浅井家ゆかりの長浜市を訪れたり、酒米を生産して日本酒をつくる企画も立てた。 農家の高齢化などにしたがい、山裾にある泉源寺は人里に近い竹林に人が入らず竹が雑木林にまで広がり、サルなどの隠れ場所にもなっている。そのためボランティアの力を借りて竹林の整備に乗り出すことにした。 熊野神社や御霊神社、元此御堂があった周辺など計4カ所で、竹林を順次伐採する。今年は6、9、11月を計画している。来年春には筍の収穫体験と試食会も行なう予定。同法人理事の椋本和明さんは「農家が高齢化し非農家が増え、山を手入れする人が減っている。ボランティアの力を借してください」と話している。 初回の6月29日はチェーンソーを使っての伐採と搬出、粉砕機を使って粉にする。地元産のもち米で餅つきをして食べる。竹粉は発酵させて、農作物の肥料に活用する。午前9時〜午後1時まで。智性院駐車場に集合。定員30人程度。無料。 申し込みは氏名、年齢、住所、連絡先、可能な作業内容を明記し、同法人理事の椋本さん(電話・FAX62・2005)へ。締め切りは6月23日。 写真=生い茂る熊野神社近くの竹林 |
市制施行70周年 赤れんがハーフマラソン 10月20日号砲 自衛隊施設もコースに 舞鶴市は、市制施行70周年を記念し、舞鶴赤れんがハーフマラソンを、10月20日に開催する。赤れんがパークを主会場に、自衛隊北吸桟橋、自衛隊航空基地、舞鶴湾沿いなどもコースに取り入れた。 種目は朝来地区を折り返しとするハーフ(高校生以上、定員2000人)、3キロ(小学3年生以上、300人)、ペア2・1キロ(小学生以上、100組)。ハーフと3キロは男女・年齢の部門別。午前9時半から順次スタートする。 ゲストランナーには、シドニーオリンピック女子マラソン代表の市橋有里さんを迎える。参加費はハーフ3,500円、3キロ一般1,500円、小中学生1,000円、ペア2,000円。申し込みは先着順で9月10日までにインターネットなどで。 問い合わせは実行委員会事務局(市教委スポーツ振興課内、電話66・1058)。大会ホームページでも詳細を紹介している。 写真=ハーフマラソンの案内リーフレット |
2013年6月7日 |
いち押しの作品★持ち込んで 市民グループ 平野屋の「宰嘉庵」でマンガ喫茶ひらく 7月まで月2回限定 6月は15、16日に営業 マンガ好きの市民たちでつくるグループ「ぼくの本棚」(石山一光代表)が、平野屋の貸しスペース「舞鶴町屋『宰嘉庵』」で、「まんが喫茶」を始めた。7月までの毎月2日間限定の試み。メンバーたちがメジャーからマイナーまでのいち押しの作品を持ち込み、本棚に並べている。来場だけでなく、お勧めのマンガの提供も歓迎している。 7月27日に開催する万願寺まつりの実行委員会や、舞鶴へのIターン移住者たちの発案。マンガ好きなメンバーが多いが、お気に入りの作品について紹介し合ったり、都市部のようにマンガ喫茶がないことから、集まる場をつくろうと企画した。 5月から土・日曜日の2日間限定で宰嘉庵を貸し切り、メンバーたちが所蔵するマンガを持ち寄った。「ピアノの森」「風の谷のナウシカ」「そどむ」「スキップ・ビート」「ワンピース」「カノジョは嘘を愛しすぎてる」「巨悪学園」など、8人が約1200冊を置いた。青年、少年、少女マンガなど、人気作品からマニアックなものまで多彩なタイトルが並ぶ。 開設初日は口コミやネットで知ったマンガファンたちが、さっそく来場しお気に入りの作品を読みふけっていた。メンバーの重松さおりさん(24)は「マンガ好きの人と話をする機会が少ない。『ストロボ・エッジ』などを持ち込みました」、矢野麻衣子さん(33)は「『進撃の巨人』を読んでみたい。子供たちや中高生にも来てほしい」と話している。 6月の開業日は15、16日、7月は13、14日。時間は午前9時〜午後9時。料金は最初の1時間300円、30分ごとに150円。フリータイム1,000円。8月以降の開催は未定。会場では万願寺まつりの写真展も開催している。問い合わせは石山さん(Ikkoudou@softbank.ne.jp)。 写真=お気に入りのマンガを並べた本棚 |
豊作をよぶ!? 村尾さんの田んぼで… ホウネンエビ泳ぐ 小型の甲殻類で生きた化石ともいわれるホウネンエビが、女布の村尾哲男さん(66)の田んぼで泳いでいる。 ホウネンエビは体長1〜2センチ。6月ごろ、きれいな淡水の水田に生息し、昔から豊作をよぶエビとも言われてきた。 村尾さんが高野由里でつくる田んぼは農薬を使用していない。昨年初めてホウネンエビを見つけ、その年は例年になく収穫が多かった。今年も多くのエビが泳いでいる。 村尾さんは「長いこと田んぼを作っているが、見かけるようになったのは昨年から。今年も豊作が期待できます」と話す。 写真=田んぼで見つかったホウネンエビ(6月4日) |
2013年6月4日 |
暖流域のカニ 日本海初記録を報告 甲殻類研究会ミニシンポ 6月8日、舞鶴水産実験所で 20人の研究者 幅広い成果を発表 日本海に生息するエビやカニ類の分布・生態調査などに取り組む「日本海甲殻類研究会」(事務局・富山県滑川市、本尾洋会長)の第12回研究発表会が、初めて舞鶴で開かれる。近年、日本海で初記録された暖流域に生息するカニ類などを報告する。6月8日午後1時〜同5時半、長浜の京大舞鶴水産実験所で。だれでも来場できる。 同研究会は2000年に発足し、生態調査などの生物学の視点だけでなく、漁獲量と資源保護などの漁業、食文化など幅広く研究を行い、毎年各地で発表会をしている。会員は52人。 今回は舞鶴水産実験所助教の上野正博さんが世話人となり、舞鶴で開催が決まった。約20人の研究者が集まる。一部は「近年の日本海の温暖化傾向と出現甲殻類」をテーマにしたミニシンポジウムで、日本海流などを研究する上野さんが「日本海は長期的には温暖化していない」ことを述べる。 続いて京都府海洋センターでも研究活動をした本尾さん=石川県白山市=が、1997年〜2013年に日本海から初めて記録された16科39種の暖流系カニ類について発表。本来、相模湾から九州の太平洋側やフィリピンなどに生息するオウギガニ科のベニホシマンジュウガニが、山口県沖で2007年に採集された。 本尾さんは「近年の採集努力やわずかとは言え、対馬暖流の上昇傾向などが、日本海での初記録の要因に考えられます」と話す。 このほか、同実験所に在籍した西海区水産研究所(長崎県)の八谷三和さんが、由良川と伊佐津川の淡水エビ類の生活史、神奈川県立生命の星・地球館の村岡健作さんが、元大蔵大臣で漁業史を研究した渋沢敬三の没後50年を記念した展示会の報告などをする。 入場無料。当日受け付ける。 【問い合わせ】電話076・475・7804、事務局 写真=2007年、山口県で初めて記録されたベニホシマンジュウガニ(本尾洋さん提供) |
赤れんがパーク アセアンファッションウイーク 規模縮小、変更相次ぎ閉幕 イベントの責任 問われる 「アセアンファッションウイーク2013」が5月28〜31日の4日間、北吸の赤れんがパークを主会場に開催された。アジアのファッション関係者でつくる組織委員会の主催で、舞I市と府北部4市町、府、外務省などが後援。ミャンマー、モンゴル、日本などの計8ヵ国のデザイナー17人が作品を発表した。 5号棟のメーンステージでは、「グラマー」「エキゾチック」などをテーマに、日替わりで4日間、作品が発表された。舞I市民を含む日本人を中心に、モンゴル、オーストラリアなどのモデルが各国の特色を活かした衣装に身を包み、旧海軍の引き込み線レールに沿って約30メートルを往復した。KTR天橋立駅でも、停車した列車内で「エコ」をテーマに作品数点が披露された。 また、同じ5号棟で、市民向けに無料で2日間行われたショーと閉会式は、用意された約180席が満席の日もあった。フリースタイルフットボールチーム「ALEG―Re(アレッグ)」のパフォーマンスや、ミャンマー、キルギスタン、インドネシア、スウェーデンの衣装が披露され、多くの人が拍手と歓声をあげて写真撮影をしていた。 来場者からは「見たことない国の衣装が舞鶴で見られて良かった」、「土日にも開催してもっと盛り上げてほしかった」、「宣伝があまりされていなくて時間が分からず問い合わせた」などの声があった。 当初はASEAN加盟国など23ヵ国・地域から約100人の服飾デザイナーが参加し、3000人規模のイベントを予定していたが、デザイナーやバイヤーなどが集まらず規模が縮小。同ウィークのアーウィン・シャーマ会長は、心臓の治療で入院するためマレーシアに帰国し、期間中再来日できなかった。 メーンステージは急遽、関係者のみを変更して、有料(1日4500円)で一般公開されたが、モデル不足やデザイナーの入国遅れなどで、全参加国のショーを一度に全て見られたのは1日のみ。他の日はショーの間の待ち時間が長すぎたり、作品が間に合わず時間短縮もされた。また、天橋立駅でのショーは2日間中止になり、市民向けのショーで発表されるなど、イベント中も大幅な予定変更が連日相次いだ。主催者側の発表では、4日間での参加人数は約1300人。 市は運営支援の1,400万円の予算を約560万円に減額する方針。無料で来場した市民からは賞賛の声もある一方、有料でのショーには不満や悪評も聞かれ、市の関連事業としては大きな課題と余波を残した。 写真=満席の日もあった市民向けの無料のショー |
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