舞鶴市民新聞社の運営する舞鶴市近郊ローカルニュースサイト
      Web みなと舞鶴    http://www.maipress.co.jp
現在地は?
ホーム>> 過去のトピックス >>2009年2月
2009年2月27日

世界史の授業の工夫と教材の研究に評価
西高から初、足立教諭に文科大臣優秀教員に
 平成20年度の文部科学大臣優秀教員がこのほど発表され、西舞鶴高校の足立尚志(たかし)教諭(45)=福知山市=が、世界史の授業の工夫の学習指導で評価され、西高から初めて受賞した。わかりやすい授業を目指し、当時の歴史背景を知ってもらうためイメージで伝えるなど研究を重ねてきた。世界30カ国を訪ねた体験とそこで得たグッズや、落語部顧問として鍛えた話芸も授業に活かしている。  講師時代、先輩教諭たちから教師は授業で勝負すべきと教わり、他の教師の授業を見たり教材の研究に没頭した。「理解することが楽しさにつながる」と、小学生が教室にいてもわかるような授業を目標に工夫を凝らす。  英国の産業革命時代に登場する「産業資本家」は、「工場の経営者」とかみ砕いて説明。中身を理解した上で覚えてもらおうと、歴史背景を折り込みながら「イメージ世界史」と呼ぶ方法で伝える。1814〜15年のウィーン会議は、「昔を求める王様と自由を求める国民のつなひき」と解説する。  30カ国で文化や宗教に触れた体験を話し、東西ドイツを隔てていたベルリンの壁のかけらなど、現地で得た物も活用し歴史を身近に感じさせている。平成19年には韓国の国際交流財団が日本の教師20人を招き、その1人としてソウル大学で研修を受けた。  前任の加悦谷高と平成7年から勤務の西高で、落語部の創設に関わった。生の高座を見て学び、自らも文化祭などで演じる。「観客を引きつける点は落語と教師も同じ」と、落語から間のとり方などを学んだ。大学入試で戦える力をと傾向と対策の分析にも余念はない。勝者の歴史の陰に、多くの名もない人がいたことも忘れず教える。  足立さんは「歴史は古いものではなく、今を知るために学ぶのだと伝えています。助言を送ってくれた先輩と、一生懸命授業を聴くことで私を育ててくれた生徒たちに感謝しています。世界と日本の架け橋になる人材が、教え子の中から出てくれるのが夢です」と話す。2月28日の卒業式、担任してきた3年生たちを送りだす。

写真=落語部顧問として鍛えた話芸を活かし、扇子を手に教壇に立つ足立教諭
「ミニギャラリー&手織り工房」教室も予定
3月オープン 、福本さん(小倉)利用呼びかけ
 小倉にミニギャラリー&手織り工房「チロル」が、3月からオープンする。長らく飲食店を営みながら、さをり織りで作品づくりをする小倉の福本季子さん(62)が始める。手織り教室で織物の楽しさを伝えるほか、ジャンルを問わず作品展の会場として利用を呼びかけている。  工芸展でさをり織りを見て気に入り、まいづる作業所や京都市内の教室で教わり、10年前から自宅で作品づくりを楽しみ作品展も開いてきた。いつかは織物に専念してギャラリーと工房をとのアイデアを温め続け、小倉の国道27号線沿いに、福本さんが35年間続けていた飲食店に一区切りをつけ、店舗を改装して開設した。  工房内に手織り機2台を置いて自分の作品づくりをするほか、教室を開いて受講者に体験してもらう。また、工房の隣をミニギャラリーのスペースに利用している。福本さんは「織物をしていると無心になることができ、織り上がった時の充実感が魅力です。気軽に利用して下さい」と話す。教室は希望日時の相談に応じる。1回コースは2500円(材料費別)。
【問い合わせ】電話63・3974、チロル。

写真=手織り機が置かれた工房「チロル」
2009年2月24日

実行委設立、桜並木の花を見ながら散策!
4月5日「与保呂川さくらウォーキング」参加を
 東地区を流れる与保呂川沿いの桜並木の花を見ながら、多くの市民に散策を楽しんでもらおうと、2月21日、桜の植樹活動を続けてきた特定非営利活動(NPO)法人・舞鶴ドリーム与保呂川を桜の天の川にする会(西村敏弘代表理事)が各種団体に呼びかけ、「与保呂川さくらウォーキング実行委員会」を設立した。桜の開花予想に合わせ、4月5日にウォーキングの開催を決定、市民に参加を呼びかける。  与保呂川の上流から河口までの延長約7キロ沿いに、桜を植樹する活動は、舞鶴市制50周年の平成5年から市民有志や地元自治会などによって結成されたボランティア団体「桜の天の川にする会」によって始められた。浜、行永、与保呂地区に植樹を続け、今では「与保呂の千本桜」として、市民から親しまれている。  「桜の天の川にする会」では、さらに活動を発展させ、桜の維持・管理に取り組み、後世に伝えるため、昨年5月にNPO法人の認証を取得した。これを受けて、平成15年から続けている「さくらウォーキング」に、さらに多くの市民の参加をと、実行委員会の設立を企画した。  設立総会は、森の南公民館で開かれ、呼びかけに賛同した南舞鶴自治連合会、与保呂川沿いの桜を育てる会、新川を美しくする会など18団体の代表者らが出席。実行委員会の設立を承認するとともに、実行委員長に西村代表理事を決めた。  また、ウォーキングは4月5日に開催、与保呂川沿いの各地区で行われる桜イベントも、この日に合わせて開催してもらえるよう要請する。実施要領では、当日午前10時に浜の白糸浜神社に集合して出発、与保呂の桂貯水池まで歩く。  西村実行委員長は「桜の花が咲くころに、多くの人々がふれあって、心を癒し楽しいひとときを過ごせればと思う。桜を愛でながらウォーキングして、広く人と人、地域と地域の交流、活性化を図りたい」と話している。  ウォーキングの問い合わせは、電話64・2566、事務局の細川さん。

写真左=「与保呂の千本桜」として親しまれている桜並木
写真右=ウォーキングの開催について話し合う実行委員会
河原君(和田中)と平尾君・倉さん(城南中)
バスケットボール、念願の府選抜メンバーに
 和田中学校の男子バスケットボール部と、城南中学校の男子・女子バスケ部の3選手が、念願の京都府選抜チームのメンバーに選ばれた。3人は小学生時代に舞鶴ロケッツに所属してプレーした。ともに1年生ながら大きな舞台での活躍が期待される。近畿大会は3月1日、全国大会は同月下旬に開かれる。  和田中の河原圭汰君(13)=余部下=、城南中の平尾大嗣君(同)=伊佐津=、同中の倉香織さん(同)=十倉。希望すれば出場できる中丹や山城など府内の5ブロック対抗の交流戦をし、その結果、選抜チームの男子15人、女子14人が選ばれた。  3人ともミニバスケットボールチーム「舞鶴ロケッツ」で競技を始めた。フォワードの河原君は身長181センチ。ドリブルから切れ込んでのシュートを得意とする。府新人大会の決勝トーナメントでも得点力を発揮し、和田中の準優勝に貢献した。  身長183センチの平尾君はセンターで攻撃の中心を担う。強い気持ちで積極的に向かっていくプレーが持ち味で、交流戦でも攻めるプレーでアピールした。ターンシュートを得意にする。身長159センチの倉さんはチームの司令塔のガードを務める。小柄な体格をスピードと判断力でカバーし、ボールに視線を向けないプレーや物おじしない強さを持つ。  河原君は「小学生のときから選抜に入りたかった。点数を取るだけでなくディフェンスもしっかりやりたい」、平尾君は「走るバスケを大切にし、チームに貢献できるようシュートを決めたい」、倉さんは「他の学校の選手とプレーしてみる機会にと交流戦に出場しました。自分の力を全て出したい」と抱負を話す。  選抜メンバーとの合同練習を重ね、和歌山県内での近畿大会に出場する。その後男女ともに12人にメンバーを絞って、東京都内での全国大会に臨む。

写真左=城南中の倉選手(左)と平尾選手
写真右=和田中の河原選手
2009年2月20日

全国水産加工たべもの展で「嶋七」と「丸海食品」
舞鶴ねり製品「かまぼこ&ちくわ 」に大阪府知事賞
 大阪市内で開催中の第58回全国水産加工たべもの展(同実行委員会主催)で、舞鶴から初めて出品した2社のかまぼことちくわの製品が、水産ねり製品部門の大阪府知事賞を受賞した。舞鶴の特産品であるかまぼこなどのねり製品のおいしさが、全国の水産加工業者が集まるコンテストでも高く評価された。  水産加工品のよさを知ってもらおうと、全国水産加工業協同組合連合会などで組織する実行委員会が開催。水産ねり製品▽水産物つくだ煮▽加工昆布▽節類の4分野で展示と品評会がある。今年は総数1039点が出品され、2月14日に学識経験者らによる最終審査が行われた。  舞鶴からは、「嶋七」(北田辺、嶋田克己代表)の「御蒲鉾(おんかまぼこ)(紅白)」、「丸海食品」(魚屋、若村和重代表)の「鰺入り竹チクワ三本入り」が、第3位にあたる大阪府知事賞を受けた。「御蒲鉾(紅白)」は、近海の白グチなどの新鮮な生魚から作るすり身をふんだんに使った1品。「鰺入り竹チクワ三本入り」は、生のアジを骨ごとミンチにして使用した味わい豊かな製品。2社とも同展に初めて挑戦した。  舞鶴蒲鉾協同組合(高野真一組合長)は「全国規模の品評会で、2品が一度に受賞でき光栄に思います。舞鶴のねり製品の質の高さを知っていただきうれしい」としている。3月24日に大阪市内で表彰式が開かれる。

写真左=新鮮な生魚のすり身を多く使った「嶋七」の「御蒲鉾(紅白)」
写真右=生のアジを骨ごとミンチにして作る「丸海食品」の「鰺入り竹チクワ」
大浦小6年生がふるさとのよさ版画で表現
共同作品が完成、指導の田主さん招き除幕式
 大浦小学校(木下きく枝校長)の6年生21人が、ふるさとのよさを版画に表現した共同作品が完成し、2月16日、指導を受けた舞鶴出身の版画家の田主誠さん(66)=茨木市=を招いて除幕式をした。海や祭り、オオミズナギドリなど、大浦の自然や行事を生き生きとした作品に仕上げた。  文化庁の学校への芸術家派遣事業で、田主さんは昨年から大浦小に来校し、「見つめよう、ふるさと」をテーマに一年間勉強する6年生たちに、オオミズナギドリのモビールづくりなどを指導。10月からは児童がそれぞれ選んだ故郷を題材に版画の制作を開始。手間のかかる面ぼりで彫り進めた。2006年には岡田下小学校でも版画制作を指導した。  1点の版画はB4判の大きさ。これを21点と題字を合わせて縦1.3メートル、横2.4メートルの共同作品にした。大山の祭り、クレインブリッジ、瀬崎の海など思い出のあるふるさとの風景などが伸び伸びと描かれている。アジを彫った安野ほの香さんは「目を丸くするのが難しかった。これからも版画にした景色が残ってほしい」と話す。  田主さんは「版画は集中力と観察力を養います。『一意専心』の心で黙々と打ち込み、みんなすばらしい作品になっています」と感想を述べた。版画は学校に展示される。

写真=完成した共同作品を見る児童たちと田主さん
2009年2月17日

舞鶴山城研究会 、踏査の成果を1冊の資料集に
戦国時代の舞鶴とその周辺の山城調査
 中世の戦国時代の舞鶴とその周辺の山城を踏査する「舞鶴山城研究会」(廣瀬邦彦会長)が、山城の図面(縄張図)の作成などの調査をほぼ終え、その成果を1冊の資料集にしようと、約1年がかりで作業に取り組んでいる。小高い山の上に築かれた山城の視点から、舞鶴の中世を知ろうと会員たちは登ってきた。志楽や由良川沿いなど335カ所の山城の図面や解説などを掲載する。3月末までに発刊の予定だ。  防御の目的などで造られた山城は、戦国時代に最も発達した。そのころ加佐郡と呼ばれた舞鶴では、丹後の一色氏と若狭の武田氏が武力衝突していたため、近隣の有力荘園農民らが自力で山城を築いた。山城と疑わしいものも含めると約160カ所あり、近隣の市町村と比べると群を抜いて多いという。古文書の少ない中世を知る上で、大きな手掛かりになる。  2004年に市教委主催の溝尻城見学会に参加した有志らで同好会である研究会を結成。高槻市在住の山城研究家で、舞鶴周辺も調査する高橋成計さんの案内を受けて活動を開始し、この3年間に6、7人のメンバーが毎月、市内の山城を歩き図面描きや城域の調査などをした。  調査に一区切りがつき、府地域力再生プロジェクトの補助金を得て資料集を出版する。図面は高橋さんが描き、メンバー八人が写真や文章などを役割分担、大浦や田辺など8地区に分けて個々の山城の特徴、踏査の感想などの原稿を書いた。北田辺の市郷土資料館学芸員室に集まり、今月は最終稿をチェックする確認作業をした。  廣瀬会長(49)は「戦国時代の山城がいつも見慣れている裏山にあることを知ってびっくりした。山城を入口に地域の全体へと歴史の調査が広がり、まるで中世にタイムスリップしたようで楽しい作業です」と話している。350部作成し、有料で販売もする予定。

写真=最終稿のチェック作業をするメンバーたち
池内老人会・合唱サークルが活動10年
2月18日の演芸大会で力合わせハーモニー奏でる
 池内老人会(大谷良一会長)の会員たちが、合唱サークルの活動を10年間熱心に取り組んでいる。次第に団員も増えて現在は56人が、力を合わせてハーモニーを奏でている。2月18日正午から北田辺の市民会館で開かれる演芸大会(市老人クラブ連合会主催)で、練習の成果を披露する。  池内の布敷や今田など六集落の地域の老人会からなる池内老人会で、歌を楽しもうと合唱サークルができた。当初は約20人でスタートしたが、その楽しさが広がり、また団結力のある地域性も重なって団員も増えてきた。  いまでは歌声が健康の元になるほどの活動になり、男性の団員も18人、最年長は91歳の女性。会員で元小学校教諭の岸本美佐枝さん(78)のほか、学校関係者も協力し指導にあたる。  18日の発表に向けて昨年12月から池内公民館で練習を重ね、息もピッタリ合うまで歌い込んでいる。「待ちぼうけ」「鞠と殿さま」など3曲を歌う。大谷会長(74)=今田=は「楽しいサークルなので自然と団員が増えてきました。発表では息の合ったハーモニーを響かせたい」と話している。

写真=発表に向けて練習に励む団員たち
2009年2月13日

村づくりの応援団「We Love 長谷!」
「ゆずの里」づくりに取り組む中から発足
 過疎と高齢化が進む岡田地区の長谷(ながたに)の村で、地元の人や若手農業者、草刈りなどを手伝うボランティア、行政マンが「ゆずの里」づくりに取り組む中から、自主的な応援団組織「We Love 長谷!」(神内正代表)が発足した。自然豊かな長谷をもっと満喫したいという思いが生まれたり、新規就農者が移り住むなど変化も見られる。長谷の生産物などに付け、地域をアピールするシンボルマークのロゴとキャラクターを募集している。  長谷は、地名の示すごとく細長い谷に開けた、隠れ里のような佇まいを残す小さな集落。日を限って願をかけ、御利益の高いことで知られる「長谷日限(ひぎり)地蔵」があり、全国からの参拝者が絶えない。しかし、離村者の増加や高齢化の進展で一時は9戸14人にまで減少し、その内、10人が70歳以上を占めた。  そんな村を守ろうと、岡田地区などの若手農業者でつくる「若い衆でやろかい」が遊休農地で小豆栽培を開始。続いて同グループと地元住民、市、府が協力し、「ゆずの里」構想を立て、2006年から08年まで計6回、ふるさとボランティア活動(さとボラ)の参加を呼びかけ、市内や京都市の市民らがユズの苗木植えや草刈り、水路整備などに取り組んだ。来年以降にユズの収穫も期待できる。  この間、さとボラに関わる人らでワークショップを定期的に開き、村づくりへ意見を積み重ねた。また、さとボラの参加者が自主的に草刈りに通うなど交流が生まれたり、新規就農者と四人家族が移住し、11戸20人に増えている。そんな中から活動の常連参加者たちを中心に、約30人で長谷を応援する組織を設立した。  募集しているシンボルマークは長谷がイメージでき、親しみやすいロゴやマスコットキャラクターで、イベントや農産物などに使用する。1人何点でも応募できる。応募用紙に記入し、メールか郵送で送付。最優秀作品1点を選び、長谷などの農産物など5万円相当を贈る。応募締め切りは2月28日まで。表彰式は3月下旬の予定。  メールアドレスはwelovenagatani2009@yahoo.co.jp 郵送先は〒625―0036 浜2020 京都府中丹広域振興局農林商工部農林整備室農林整備担当。
【問い合わせ】電話62・2505、同整備担当

写真=さとボラ活動でユズの苗木を植える参加者たち
府中学生新人大会で初の準優勝
男子の部・和田中バスケットボール部
 和田中学校(渡辺弘校長)のバスケットボール部が、第11回京都府中学生バスケットボール新人大会・男子の部の決勝に進出し、同部で初めてとなる準優勝を飾った。京都府南部に強豪校が占める中で、北部の中学校が決勝にまで勝ち上がる健闘を見せた。  部員12人の同校バスケ部は、中丹地区の大会で優勝し府大会に進んだ。ベスト4を決める試合では、過去に練習試合で負けている大枝中(京都市)と対戦。試合時間残り1分30秒で4点差で負けていたが、フリースローやシュートを決め43―41と逆転勝利した。  準決勝では京都市1位の樫原中だったが、終始リードを保ち56―47で勝った。2月8日に京都市内で行われた決勝は詳徳中(亀岡市)との顔合わせ。前半は6点リードしていたが後半にリズムが崩れてシュートが決まらず、44―50と惜敗した。  今年のチームはディフェンスを固めた守りのチーム。その中で身長180センチ以上のセンターの2選手を中心に攻める。キャプテンの佐藤賢選手(2年)は「準優勝はうれしいですが、六点差で負けて悔しい。次は京都府で1番になりたい」と練習に励む。  顧問の岡田哲也教諭は「京都南部の学校が強いので、これまで中丹から決勝に進出できなかった。今年はチャンスなので、これを弾みに優勝を目指してがんばってほしい」と話していた。

写真=準優勝した和田中バスケットボール部の選手たち
2009年2月10日

引揚記念館に初の修学旅行生
語りの会が千葉県の木更津総合高2年生にガイド
 1988年に開館された平の舞鶴引揚記念館に、初めて修学旅行生が訪れ見学した。千葉県木更津市の私立木更津総合高校(真板益夫校長)の2年生たちが2月9日、記念館で舞鶴・引揚語りの会のガイドを受けながら展示品を見たり、記念の植樹にも参加した。同11日にも残る2年生の一行が来館する。  舞鶴港は45年から13年間に、旧ソ連などから約66万人の引揚者を受け入れ、史実を伝えようと、記念館で引揚者から寄せられた衣服や水筒、手帳などの品を展示している。語りの会のメンバーたちがガイドを務める。  同高の修学旅行は和歌山などを訪れていたが、旅行代理店から記念館見学の提案を受け、真板校長も2年前記念館に立ち寄り生徒に学んでほしいと思い、丹後や京都などの旅行のコースの中に入れることにした。2年生約500人が2つのグループに分かれ行われた。  初の訪問に市が歓迎式典を開催し、斉藤彰市長が「日本の戦後の出発点となった引き揚げ港の舞鶴を知っていただき、今後語り継いでください」とあいさつ。続いて学校側が寄贈した八重桜を、真板校長、生徒代表の宮嶋健太郎君らが記念公園に植樹した。  見学を終えた浅井香津希さん(17)は「展示品がとてもリアルで、教科書では習わなかった当時の抑留生活を詳しく話していただき、平和を考える機会になりました」と話していた。また、市民たちが肉じゃがを振る舞い生徒を歓迎した。

写真=語りの会の説明を聞く生徒たち
講座修了者7人ら1年間の成果披露
2月15日まで智恵蔵でろうけつ染め作品展
 まいづる智恵蔵主催のろうけつ染め講座を修了した受講生たちが出品した作品展が、2月15日まで北吸の智恵蔵で開かれている。1年をかけて学んだ7人が、様々な図柄の暖簾や風呂敷などの作品11点でその成果を披露している。指導した大津市の染色家、岡田明彦さんの新作など4点も並ぶ。  日展などに入選し作家として活躍する岡田さんの個展が昨年1月に開かれ、ろうけつ染めが体験できるワークショップが好評だったため、智恵蔵が講座を企画。昨年4月から計13回の教室が開かれ、課題に沿ったモチーフを染めたり、自由課題に取り組んだ。  ろうけつ染めは広い場所や材料の確保などが難しく、個人で趣味として取り組む人は少なく、同じ理由で教室もほとんど開かれていないという。今回は赤煉瓦倶楽部舞鶴の協力で智恵蔵や隣接する2号倉庫を会場に実現した。受講生らはろうけつ染めを完成させるまでの工程を肌で覚え、花やチョウなどの図柄を取り入れた暖簾や風呂敷、ストールなどを仕上げて展示している。  岡田さんは「途中で修正がきかないろうけつ染めを、1年間の短期間でここまでできるようになったのはすごいことです。この基礎の上に創作が広がるので今後も継続してほしい」と話していた。期間中、染色グッズも販売している。  ろうけつ染め講座は4月からも新しく開講する。初心者向きの初級コース、今年度修了した人を対象とした中級コース。受講料は1回4000円。講座は全12回。
【問い合わせ】電話66・1035、智恵蔵。

写真=講座を修了した受講生たちが制作した暖簾の作品
2009年2月6日

ブリ大敷網などの変遷記録
田井漁協55年の歩みを記念誌に
 平成18年に舞鶴市漁業協同組合と合併した田井漁業協同組合の歴史を記録した記念誌「田井漁業55年の軌跡」(A4判、185ページ)が、このほど発刊された。ブリ大敷で知られる基幹産業の大型定置網や年度ごとの組合事業の移り変わり、組合員や女性たちが座談会で網づくりや操業の苦労、地域の将来などを語り合っている。漁業者自らが漁業で暮らす田井地区の歩みをまとめた。  若狭湾に面する田井地区では、宮崎の日高亀市氏によって発明されたブリ大敷網(大型定置網)が明治39年に導入され、一気に漁獲高が増えブリ景気に沸き、家屋の新築ブームが起きた。ピーク時には5統の網を入れていた。その後、ブリ景気は長続きしなかったが、いまも2統の網を敷設し主な産業になっている。  昭和24年に設立された田井漁業協同組合が、合併で名前が消えるのを機会に、先人の歩みを見直そうと、合併前の水上隆夫組合長と漁業者らが編集委員会を組織し記念誌の完成に取り組んだ。各年度ごとに施設改修や資源管理などの事業概要、漁獲高を掲載、大型定置網や延縄、採貝藻などの漁法を写真や図を使って解説。また、地域の年中行事も記した。  座談会のコーナーでは、集まった組合役員、漁業者、婦人会、青年団のメンバーの発言を収録している。ある年の末、赤字の決算見込みで頭を痛めていた朝、1万本もの思わぬブリの大漁でいい新年を迎えることができた思い出、海が時化た時は波の中にブリッジが突っ込み、度胸がないと操船できなかったエピソード、昔の大敷網の設置までには網の仕立てや資材運びなど、子供や女性たちも関わる多くの仕事があり、地域と漁業のつながりが深かったなどを話した。  一方、近年は若者が外に出たり、漁業以外の仕事に就く人も増え、横のつながりが希薄になっており、住民の交流を図るため秋祭りや区民運動会の開催の願いや、若者や後継者の定着のための環境整備の要望も盛り込んだ。現在、大型定置網事業は住民たちが出資する有限会社(丸山好社長)が運営。従業員23人の内、5人は元会社員や大阪市から移住したり、市内から通勤している。  58年間漁業を続け、編集委員長を務めた竹本嘉壽男さん(75)は「何らかの形で田井の漁業の歴史を残したいと思った。若い人も少しは増えてきたので、仕事を覚えてがんばってほしい」と話していた。150部発行し、関係機関や図書館などに配布した。若干部数残っている。
【問い合わせ】電話67・0704、田井支所

写真=ブリ大敷網の様子を収めた写真のページ
サムライ、観光ガイドのジョー・岡田さん
80歳を前に大きなチャレンジ中東のドバイへ
 サムライショーで知られる観光ガイドのジョー・岡田さん(79)=余部下=が、通訳の仕事で2月9日から中東のドバイへ渡る。砂漠の地に出現した摩天楼のそびえる都市で、約1カ月間、各国から集まる人たちとのプロジェクトに、岡田さんは「80歳を前にして大きなチャレンジ」と意気込んでいる。  京都を訪れる外国人観光客や海外での公演で、真剣を使ったサムライショーを演じたり、最近は空中リンゴ切りのギネス記録会を開くなどする。また、英語を使った通訳の仕事でも、観光案内や企業、国際会議での通訳をする。  東京ドームの天井テントを開発した国内トップの大阪市内のテントメーカーが、アラブ首長国連邦のアブダビに事務所を開設しており、ドバイでの仕事に必要な英語の通訳者の紹介の依頼を受けた全日本通訳案内士連盟が、会員の岡田さんを推薦、1月末の面接で45年間仕事を休んだことがない、体の頑健さをアピールし採用が決まった。  アラビア半島に位置するドバイは、アラブ首長国連邦を構成する首長国の一つ。高層ビルが林立する首都ドバイは人口220万人で、中東における貿易・商業の中心地。観光にも力を入れており、昨年に世界最大規模のショッピングモールが完成、世界一の高層ビルのブルジュ・ドバイの建設も進む。  岡田さんは「中東での長期滞在の仕事は初めて。これまでの人生の集大成のような経験になるだろう。ぜひ世界一高いビルを建設中のクレーンの操縦者に会ってきたい」と話している。

写真=ドバイで建設中の世界一高いビルの写真を手にする岡田さん
2009年2月3日

東高出身、元教諭の新宮さん(府中市 )
獨協大から70代で博士号 取得
 東舞鶴高校出身で、元獨協(どっきょう)中学・高校教諭の新宮讓治さん(78)=東京都府中市=が、獨協学園草創期の歴史を捉え直した論文『獨逸(どいつ)学協会学校の研究』で、獨協大学(埼玉県草加市)からドイツ文化研究の博士号をこのほど取得した。「半世紀務めた学校の歴史を研究し博士号をいただき、とてもうれしい」と語る。現在も引き続き未公開の史料を調べ執筆活動を続ける。  新宮さんは8歳ごろ、両親の故郷の舞鶴に移り、地元の小学校・中学校を経て東高で学んだ。明治大学に進学し、学校法人獨協学園の中学・高校などで社会科教諭として勤務。2000年から同じ系列の獨協大学の歴史学の非常勤講師を務め、現在も全学総合講座「獨協学」の外来講師として教壇に立つ。  00年に「獨協学園史」が出版されたが、いつか自分の考え方で学園史を書いてみようと思っていた。そこに新史料発見の偶然が結びつく。高校在任中から戦争碑を研究しており、その史料を探していた国会図書館で、獨逸学協会学校専修科の第1回卒業生で、内務官僚の有松英義の未公開の文書などを発掘した。  獨協学園の前身である同専修科は1883(明治16)年に創設された。薩長藩閥政府のもとで手厚い保護を受け、高級官僚養成の法律学校として異彩を放つが、国会開設以後は財政援助も廃止され、学校経営の危機に陥った。そんな中、獨協後援会会長だった有松の文書からは、これまで記されていなかった危機の状況や心の揺れを知ることができ、記録を書き留めておこうと70歳から執筆を開始した。  明治の草創期から第二次大戦までの歴史を、数年がかりで原稿用紙約五百枚に完成させた。当初は論文にするだけと思っていたが、教え子の大学教員から博士号の取得を勧められた。論文審査では「『正史』と異なる視点から学園を取り巻く政治・社会的状況と関連させて、学園の創設・変遷の様相を記述したユニークな論考」と高い評価を受けた。論文は校倉書房から出版された。  新宮さんは「新しい発見がたくさんあり、面白かったので継続できた。今後は戦時中に軍部に抵抗し、戦後、中学・高校の校長を務めた天野貞祐氏の人間尊重の思想に、現代的意味を探るため光を当てたい」と話していた。

写真左=獨協学園の草創期をまとめた論文
写真右=新宮さん
新商品「肉じゃが風ドーナツ」販売
市民グループと企業が共同開発
 舞鶴が発祥の地とされる肉じゃがを使ってまちづくりを進める市民グループ「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」(伊庭節子会長)は、倉谷のケンコーマヨネーズ西日本工場と山崎製パン(東京)と協力し、新商品「肉じゃが風ドーナツ」を開発した。2月1日から関西地区の山崎ショップなどで販売している。  旧海軍舞鶴鎮守府の初代司令長官だった東郷平八郎が、青年時代に留学中の英国で食べたビーフシチューの味が忘れられず、日本の調味料で作らせたのが肉じゃがの始めとされ、そのレシピが残っていた。実行委員会がイベントなどで肉じゃがの発祥の地・舞鶴をアピールする活動に取り組み、これまで肉じゃがコロッケを大手コロッケメーカーと共同開発し、ヒットしている。  ケンコーマヨネーズ西日本工場が舞鶴市内に完成したのを機に、同社に肉じゃがの新商品の開発を提案し、何度も試作品を作って試行錯誤を重ねてパンの具材を作り上げた。それを山崎製パンに持ち込み、肉じゃが風ドーナツの商品化に至った。  1個137円(希望小売価格、税込み)。まずは関西地区の山崎製パンのショップ、同社チェーンのコンビニエンスストアで発売されている。
【問い合わせ】電話0774・23・5813、山崎製パン京都工場。

写真=肉じゃがの入ったドーナツ(舞鶴市提供)
サイトマップお問い合わせメールマガジンお申込み
当サイトに掲載されている情報・画像を、無断で転用・複製することを禁じます。
Copyright © maizurushiminshinbun all rights reserved.