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2010年9月28日

吉原地区 地域の歴史、法要で振り返る
疫病、弾薬処理、海難犠牲者らを供養
住民や漁業関係者らが参列
 江戸期に吉原地区で発生した疫病で亡くなった先祖と、終戦直後の弾薬投棄作業や海難事故で亡くなった人たちを供養する法要が9月23日、下安久の府漁業協同組合舞鶴支所作業倉庫で営まれた。地域の住民や漁業関係者たちが参列し、静かに手を合わせた。また、疫病の犠牲者を悼む石碑に献花するとともに、地域の歴史をあらためて振り返っていた。  1727(享保12)年に田辺城下の大火で、漁民たちが現在の地に移ってきたのが吉原のはじまりとされる。古老の言い伝えによると、当時は湿地帯だったため疫病が流行し、子供たちを中心に多くの住民が亡くなり、匂ヶ崎付近で荼毘にふされたという。  それを裏付けるように、1991年12月、匂ヶ崎公園近くの崖下で土に覆われた四角柱の石碑が見つかった。正面には「南無阿弥陀仏」、側面には1746年にあたる「延亨三丙寅年八月二十九日」「見海寺十世・諦譽順超」などの文字が刻まれていた。犠牲者たちの供養のため石碑を建立したものとみられる。  地元の住民たちが翌年の92年、石碑を元通りに再建したのに合わせ、海で亡くなった地域の人たちをも一緒に追悼する法要を営んだ。旧日本軍の大量の武器弾薬を米軍の指揮下で処分するため、終戦直後の45年11月13日、宇治火薬製造所などから運ばれた弾薬類を和田沖の海域で投棄作業をしていたところ、大爆発が起き、艀(はしけ)と曳船が木っ端みじんとなって沈没し、吉原から手伝いにきていた人を含む33人が死亡した。  また、出漁して操業中に亡くなった地元の漁業者もいる。55年3月には「三光丸」が、91年12月に「方運丸」の漁船がともに丹後沖で遭難し乗組員らが亡くなっている。  この日はあいにくの雨のため、石碑前から倉庫に会場を移し祭壇が設けられ、同寺の中島知之住職の読経の中、法要実行委員会を組織する町内会役員や水産関係者、吉原婦人会らのメンバーが焼香した。  世話人の増山寛一さん(81)は「疫病や海の事故で多くの人が亡くなったことを知らない地元の若い人も増えてきました。法要を続けることで地域の歴史を伝えていければ」と話す。
写真左=再建された石碑(中央)に献花する関係者
写真右=祭壇へ手を合わせる参加者


大庄屋上野家にカフェオープン
限定米粉スイーツなども登場
くつろぎの時間すごせる空間に
 西方寺の交流拠点施設「大庄屋上野家」に、このほどカフェのコーナーがオープンした。カウンター式で6人がけになっており、カフェ限定の米粉スイーツなどをメニューにそろえている。お茶を飲みながら気軽にスタッフとも会話ができる空間になっている。  上野家ではこれまで江戸後期に建てられた茅葺民家の主屋で、米粉うどんの食事やコーヒーなどを提供していたが、新たに長屋の建物の一角を占める売店のスペースにカフェを設けた。農産加工品などを並べていた陳列台などを片付け、壁に向かって板のカウンターを取り付け、丸太の椅子を置いた。  メニューはコーヒー(300円)、舞鶴産の無農薬紅茶(300円)、ハーブティ(350円、土・日曜限定)、米粉シフォンケーキ(350円)、米粉ロールケーキ(350円)、神崎浜で作った塩が入った神崎塩アイス(200円)。利用者たちはちょっとお茶を飲んで一服しながらお土産品を見たり、売店スタッフとの会話を楽しんでいる。  カフェ担当スタッフは「観光施設の休憩スペースをイメージしたコーナーで、少しでも滞在時間を長くしてもらえれば。今後は天気のいい日に、屋根の庇の下でオープンカフェのコーナーもつくりたい」と話す。営業時間は午前10時〜午後4時。水曜休み。
【問い合わせ】電話83・1300、上野家
写真=カウンター式のカフェコーナー

2010年9月24日

舞鶴国際芸術祭プレイベント
北東アジアの歴史と今、映画で特集
市政記念館で10月11日上映会、日・韓・ロの4作品 満蒙開拓団、脱北者問題など
 来年秋に開催予定の舞鶴国際芸術祭のプレイベントとして、日本や韓国、ロシアの監督による北東アジアの歴史や現在を撮った映画を特集した上映会が、10月11日、北吸の市政記念館で開かれる。日本の国策で旧満州に入植し置き去りにされ亡くなった満蒙開拓団を描いたドキュメンタリー、北朝鮮からの脱北者問題に切り込んだ映像、重度の身体障害者と暴力をテーマにし物議を醸した問題作など4本が上映される。来場を呼びかけている。  国民文化祭が来年秋に開かれるのに合わせ、NPO法人赤煉瓦倶楽部舞鶴や美術家らで実行委員会を組織して、北東アジアの現代アートを紹介する舞鶴国際芸術祭を企画。国内外のアーティストたちが、地域に出かけて舞鶴の歴史や風景などを活かし、作品づくりと展示活動を行う。  プレイベントとして、北東アジアの映画の現在を紹介する上映会に取り組む。実行委員会メンバーで、映画製作などを行うシマフィルム代表の志摩敏樹プロデューサーが中心となって準備を進める。映画を観る視点にこだわって選ばれた4作品は、観る者に強い問題意識を呼び起こさせるラインナップになっている。  羽田澄子監督の「嗚呼 満蒙開拓団」(2008年)は、開拓団で生き残った人たちに取材したドキュメンタリー映画。日本政府の国策でつくられた満州国をソ連の攻撃から守る農耕兵士として配置するため、送り込まれた日本人移民は約27万人といわれ、その内約八万数千人が帰国できず亡くなったとされる。  韓国のキム・テギュン監督の「クロッシング」(2008年)は、北朝鮮からの亡命者に取材し、脱北者30人余りが撮影スタッフとして加わり極秘裏に撮影。病気の妻のため中国に渡って薬を得る夫、母を亡くし孤児となって父の帰りを待つ子供を通し、北朝鮮のリアルな日常を伝える。  ロシアの鬼才アレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽 The Sun」(2005年)。ヒトラー、スターリンに次ぐ、20世紀の権力者を描く4部作の3作目。第二次世界大戦終戦直前の東京を舞台に、昭和天皇が平和への道を模索しながら、神格を捨て人間宣言するまでの心の葛藤を重厚に描く。出演はイッセー尾形ら。  「おそいひと」(2004年)は柴田剛監督の作品。脳性麻痺をもつ住田雅清さんが本名のまま出演し、次々と犯罪を犯すショッキングな内容のため日本での一般公開が見送られ、その後海外の映画祭で高い評価を受けたことで、07年から国内で上映が実現した。製作を志摩さんが務めた。  上映時間は「満蒙開拓団」が午前10時、「クロッシング」が午後1時、「太陽」が同3時45分、「おそいひと」が同6時半。上映終了後、志摩さんと住田さんが対談予定。入場料は1作品につき1,000円、4作品共通券は2,700円。
【問い合わせ】電話75・0652、シマフィルム。
写真=ドキュメンタリー映画「嗚呼 満蒙開拓団」の1シーン

上映会一作品のチケットを5人に
 同実行委員会の協力で、舞鶴市民新聞社はこの上映会のチケット(1作品のみ)を5人にプレゼントする。 希望者は郵便番号、住所、氏名、電話番号、市民招待席「北東アジア映画」係と明記し、10月1日までに申し込みを。応募ははがき(あて先〒624―0905福来912―1 舞鶴市民新聞社)、FAX(77・1750)、eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)で受け付けている。応募者多数の場合は抽選。チケットの発送をもって発表にかえる。
南舞鶴スポ少設立40周年記念式典
地域あげ青少年健全育成の歩み
指導員へ感謝状 さらなる飛躍を誓う
 南舞鶴スポーツ少年団の設立40周年記念式典が20日、浜のホテル「マーレたかた」で開かれ、青少年健全育成に取り組んだ歩みを振り返るとともに、さらなる飛躍を誓った。  式典には、同団の指導者OBや歴代保護者、スポーツ関係者ら約190人が出席。水上房之本部長が「これからも子供たち、指導員、保護者が一体となって、50年に向け、『大きな声で挨拶できる子』を目標に活動を続けます」とあいさつ。  野球、バレーボール、サッカー部の団員22人が「世界中の友達と力を合わせ平和な世界をつくります」と日本スポーツ少年団の団員綱領を唱和。昭和46年の団設立から現在までの歩みをスライドで上映して紹介した。  また、団設立当初から指導員を務める上ノ山利夫さん、水上宏さん、崎山唯夫さんの三人と指導員歴30年、15年の各2人の計7人に、保護者会の志賀博文会長から感謝状が贈られた。  同団は、倉梯小と倉梯第二小の4、5、6年生が入団、野球部とバレーボール部の2競技でスタートした。その後、平成7年にサッカー部も加わった。現在、団員数は184人、指導員30人。卒団員数は1,500人にのぼっている。
写真=団員綱領を唱和する団員たち

2010年9月21日

城下町の風情残したい
紺屋の山口さん、屋根の庇に鍾馗(しょうき)さま
 疫鬼(えきき)や厄を祓うことで知られ、古い町に多く見られた鍾馗さまの像が、城下町だった紺屋の民家の屋根に設置されている。50年前にこの地に嫁いできた山口至江(よしえ)さん(75)が、すっかり変わった町並みを寂しく思い、少しでも昔の面影を残そうと置いた。昔ながらの町屋の家の屋根から、鍾馗さまが地域の人たちの暮らしを見つめている。  鍾馗は、唐の時代、玄宗皇帝の夢の中に現れ、魔を祓い病気を治したという故事から、疫鬼を退ける神として、屋根の庇に置いて厄払いをする風習が残っている。城下町だった舞鶴の町にも、以前はたくさん見られたという。  山口さん一家は戦時中、東京大空襲ですべてを焼失し、実家の綾部に引っ越してきた。その後長男の結婚を機にいまの家に移った。大工が仕事場兼自宅にしていた木造2階建てで、この当時で約70年は経っていた。細長い町屋ならではの間取りになっている。  手入れをして大切に住んできたが、近隣で空き地などが増え、すっかり町並みが変わった。嫁いできたころ、近所を歩くと屋根に上がる鍾馗像が気になっていたが、いまでは引土に一、西町に二軒見かけるのみに。  この家の購入を決めた母の寿賀(すが)さんが104歳で元気にいてくれており、自宅に愛着を持つ山口さんも昔の面影を残したいとの思いも重なり、1階屋根の修理に合わせて土の焼き物の鍾馗像(高さ30センチ)を置いた。  山口さんは「人とのつながりが希薄になった時代ですが、鍾馗さまを見上げてそこに込められた思いや暮らしを思い出してもらえれば」と話している。市文化財保護委員の加藤晃さんは「鍾馗像は舞鶴でも厄除けのため庇に置かれていた。城下町らしい風情があるので、鍾馗さまが増えればいいですね」とする。
写真=屋根に置かれた鍾馗像
細川幽斎没後400年、田辺籠城図など公開
市郷土資料館で企画展「近世の幕開け」10月17日まで
 田辺城を築城した細川幽斎(藤孝)が1610(慶長15)年に没してから、今年で400年を迎えるのを機に、市郷土資料館で企画展「近世の幕開け」が開かれている。4点の田辺籠城図などを中心に、幽斎の生涯や城下町の成り立ちを紹介している。10月17日まで。  織田信長に仕えていた幽斎は丹後国を平定し、家督を忠興に譲った後に隠居城として田辺城を築き、1600年に徳川方として田辺籠城戦を戦った。その功績で細川家は豊前・豊後に転封となったが、幽斎は京都の自邸で隠居生活を過ごし亡くなった。  田辺籠城図は、城の見取り図に城方の守備と敵方の配置などを書き込んだ絵図。今回は倉谷の大泉寺や個人所蔵などのものが展示された。京都大学大学文書館蔵の絵図には町名も記され、城下町の様子を知ることができる。  このほか、籠城戦で使われた槍、戦いに加わった桂林寺の大渓和尚へ送られた忠興からの感状、古今伝授の松で作られたとされる扁額など約30点が並ぶ。午前9時〜午後5時。入場無料。
【問い合わせ】電話75・8836、同館
写真=展示された田辺籠城図

2010年9月17日

子育て中の母親ら中心のグループ
「舞鶴ママズアンサンブル」
9月23日、中総合会館で秋のほんわか音楽会
 子育て中の母親たちを中心にした音楽グループ「舞鶴ママズアンサンブル」(小野範子代表)が、9月23日午前10時半から余部下の中総合会館で、秋のほんわか音楽会を開く。子供連れでも気軽に来場できる。入場無料。  中・高校時代などに吹奏楽や楽器演奏をしていた女性たちが、出産や育児で音楽活動を断念していたが再開しようと2007年に結成。メンバーも次第に増え、市内外の子育て中の母親、独身女性ら21人が、チェロやトランペット、ソプラノ歌手などで構成する。練習は外出しやすい平日の午前中に行い、子供たちが会場で遊んだりと全員で見守っている。  これまでの演奏会も子供たちも一緒に楽しめるプログラムを入れてきた。今回は「山の音楽家」「ディズニー・セレクション」などを演奏する。授乳室も準備している。
問い合わせは同アンサンブル(maizuru_mamas_ensemble@yahoo.co.jp)
写真=練習に励むメンバーたち
9月26日、野外ライブ
「MUSIC CAMP in大野辺緑地vol4」
アマチュアバンドら出演、DJショーや露店並ぶ
 市内外のアマチュアバンドらが出演する「MUSIC CAMP in大野辺緑地vol4」(同実行委員会主催)が、9月26日正午から日没まで下福井の西港大野辺緑地で開かれる。ライブ演奏やDJショーのほか、飲食などの露店も並ぶ。バーベキューをしながらステージを楽しむこともできる。  市内のアマチュア音楽家らが、秋の一日、野外で家族や友人らと音楽を楽しんでもらおうと企画。近隣の演奏家たちの発表の機会にもしている。市内の企業なども支援する。出演するのはロックのへりこぷたー、赤野バンド、ラヂオペンチ、ブルースのB.bなど。入場無料。雨天の場合は中止。
【問い合わせ】電話76・2141、ブルース・バー「ドッカリー・ファームス」
写真=ライブのポスター

2010年9月14日

瀬野勇さん、生まれ育った和田村描き初公開
9月20日まで展示、昭和7年・20年の俯瞰絵図
和田の瀬野勇さん(84)が、生まれ育った和田村の1932(昭和7)年と45(同20)年当時の様子を詳細に記録した俯瞰絵図を、円満寺のメガネの和諧堂(マナイ商店街内)で展示している。山と海の恵みを得たのどかな暮らしから一転して、海軍によって農地が強制買収され、女子挺身隊宿舎など海軍関連施設が立ち並んだ集落の変貌ぶりが一目でわかる。戦争が村の生活を翻弄した歴史を絵で残そうと21年前に完成させ、今回初めて公開することができた。  国鉄勤務後、海軍の滋賀航空隊で訓練を受けている時、肺結核を患い、和田村に戻って療養しながら父の農作業を手伝っていた。和田村は41(同16)年12月、海軍の施設拡張のため約3分の2の農地、2分の1の山林を強制買収によって奪われた。  現在の和田中学校の場所に海軍工廠見習い工員宿舎、海岸近くに海軍軍需部倉庫などが次々に建設された。村からは海外へ出兵した16人の内8人が亡くなった。兄の石男さんも25歳で沖縄戦で戦死したが場所は長らく分からず、5年前現地を訪ねて特定できた。  戦後、施設は取り壊されて農地に戻った。一部コンクリートの土台が残るだけで戦時中の面影がすっかり消えたため、当時の村の姿を絵で伝えようと造船所を退職後に創作を開始した。  建物を何度も下書きし直し、古老に見てもらって確認する作業を経て彩色して、数年がかりで45年の村の絵(縦62センチメートル、横186センチメートル)を89年に完成させた。朝鮮人飯場や弾薬庫、各家の名前なども記す。その後は30年と32年の村の田畑や民家などを描いた絵(縦34センチメートル、横136センチメートル)を仕上げた。  32年の絵には当時の暮らしを書き添える。戸数32戸、タケノコの市が開かれ、海は吉原の漁師たちのイワシの地引き網の好漁場であり、浜辺に打ち寄せられたエビや雑魚を村人たちが食材や肥料に使った。子供のころに見た民家一軒一軒の向き、屋根の形まで覚えているずば抜けた記憶力で、絵の中に再現した。  娘婿の清さん(61)=白浜台=に誘われ、2人展で出品する機会ができた。舞鶴空襲があった45年7月29日、上空に黒い煙が昇るのを畑から目撃した様子を描いた水墨画も並ぶ。  瀬野さんは「戦争は私たちの生活を奪ってしまう。知っていることを描きとめようと思ったがまだまだ足りない。1人でも多くの人に見ていただき、地域を愛する気持ちを持っていただければ」と話す。入場無料。20日まで。
【問い合わせ】電話75・1208、同店
写真1=軍による強制買収前の村の絵図と瀬野さん
写真2=女子挺身隊宿舎などが並んだ1945年の村の絵図
細川幽斎のイメージキャラ決まる
舞鶴高専・菅野さんの「ゆうさい くん」
 舞鶴商工会議所青年部(清水勝司会長)が、市民から公募した地元ゆかりの戦国武将・細川幽斎のイメージキャラクターが決まった。行永東町の舞鶴高専2年、菅野綾夏さん(16)の作品をもとにした「ゆうさい くん」=写真=で、11月にはキャラクターの着ぐるみをつくりお披露目する。  細川幽斎(1534〜1610)は、戦国時代に丹後国を治め、田辺城を築城した初代城主で、歌人としても知られる。今年没後400年を迎えることから、同青年部が創立30周年記念事業「まちおこしプロジェクト」として、舞鶴の城下町としてのイメージを発信することなどを目的に、キャラクターを公募した。  作品は4歳から86歳の205人から230点の応募があった。選考の結果、菅野さんの作品が、「親しまれやすく愛嬌がありながら、城下町の開拓者のイメージや歌人として活躍された文化人としてのイメージを合わせ持っているデザイン」と評価され、最優秀作品に選ばれた。  歌人をアピールするため筆を持たせるなど、一部手を加えた「ゆうさい  くん」は、坊主頭に家紋の入った羽織を着た姿になっている。  応募作品は9月18日、北田辺の市民会館で開催される細川幽斎公没後400年記念事業「細川佳代子講演会」の会場に展示される。

2010年9月10日

アームレスリング京都大会で8人が上位入賞
旋風巻き起こした「鉄腕舞鶴」4人が全国大会へ
 アームレスリングチームの「鉄腕舞鶴」のメンバー8人が、第四回京都府アームレスリング選手権の体重別男子個人戦で上位入賞し、鉄腕舞鶴の旋風を巻き起こした。9月19日に東京都内で開かれる全国大会に、舞鶴から4人が出場する。  濱野隆之さん(38)が90キロ超級の右で3位、左で1位▽浜崎康成さん(26)が80キロの右と左で1位、90キロの右で3位▽重村敦司さん(33)が65キロの右で2位、左で1位▽大塚匡さん(30)が75キロの左で3位▽檜山和之さん(33)が70キロの右で2位▽田村純一さん(34)が70キロの左で2位▽平田隆さん(39)が90キロ級の左で1位▽宮本哲雄さん(30)が55キロの左で2位。  昨年は4人が上位入賞し、この内1人だけが優勝したが、今大会は8人の内4人が優勝する結果となり、全体的にレベルアップしている。大阪などの強豪チームの元に出稽古に出かけて技術を吸収し、チーム内での実践練習で競い合い、個人でも筋力アップの練習に励んだ成果が表れた。  濱野さんは「昨年の府大会は3位と悔しい思いをしたので今年こそ優勝しようと練習に取り組んできた。全国大会でも自分の力を試したい」と意欲をみせる。  「鉄腕舞鶴」からはこの8人のほか、関西オープン大会で準優勝した古川修吾さん(33)も、全国大会への出場権を獲得しているが、この内4人が全国への出場を決めている。
写真=京都府大会で上位入賞したメンバーたち
来年の国民文化祭へ舞鶴選抜楽団結団式
作曲者・小西さんが指揮、110人がPR曲初演奏
 来年舞鶴で開催される国民文化祭の吹奏楽ポップスとジャズの祭典に出演する舞鶴選抜楽団の結団式が4日、浜の総合文化会館であった。中学生から社会人まででつくる楽団は、PR曲「『まいづる』マイ・タウン」を作曲者の小西龍也さん(62)=上安久=の指揮で初演奏し、本番に向けて決意を新たにした。  舞鶴選抜楽団は公募した市内の吹奏楽愛好者の中からオーディションで選ばれた中・高校・高専生の80人、社会人30人の110人で成る。結団式では、実行委員会会長の斎藤彰市長が「音楽は人生をつくり上げるのに大きな力になり、結成された楽団に市民も期待しています」とあいさつ。団員を代表して城南中三年の村上佳穂さん(14)が「感動的な舞台になるよう誓います」と決意を述べた。  元海上自衛隊音楽隊副隊長を務め、退官後も編曲家として活動する小西さんは、自宅近くの伊佐津川の散歩中、その風景や近くの中学生たちのクラブ活動などからイメージしてPR曲を作った。団員たちは見事な演奏を披露し、小西さんも「イメージ通りの音が出ていて気持ちよくタクトを振らしてもらいました」と話していた。  楽団は今年11月20日のプレ大会に出演する。
写真=小西さんの指揮で演奏する団員ら

2010年9月7日

鹿原の田んぼに巨大ヘイケボタル!稲穂で描き出す
やぐら台も設置し見学呼びかけ、9月12日には稲刈り
 「鹿原の田んぼに巨大なヘイケボタルが出現!」 地域の農地・水・環境保全向上対策に取り組む鹿原地区活動組織が、5月に植えた古代米などの稲が実り、田んぼをキャンバスに黒色と黄色の稲穂で大きなヘイケボタルが描き出されている。現地には高所から眺めることができるやぐら台も設置されており、見学を呼びかけている。9月12日にホタルの部分を残して稲刈りをする。  地域の環境と農地保全への関心を高めようと、各地でニュースになっている田んぼアートに初めて挑戦した。図案は、鹿原に飛び交うゲンジボタルなどは模型にしたことから、残るヘイケボタルを採用。企画した同組織の竹内保人さんが所持する古代米のアクネもちとカグラもちの種から苗を育てた。  休耕田だった10アールの田に、竹の棒とテープを使って実物の千倍の大きさとなる長さ約10メートル、幅約3メートルのヘイケボタルを形作り、地元の小学生らが図形に添って2種類の苗を植えた。穂が色づきだすと、カグラもちの黄色い穂が目と周囲を形作り、アクネもちの背の高い黒色の穂が胴体と脚、触覚、ホタルを囲む線を浮かびあがらせた。農道に設置した高さ約2メートルのやぐら台に子供たちも登って見学している。  竹内さんは「暑さのおかげで順調に穂が出て実りました。初めてにしては上出来だと思います」と話す。12日午前10時からカグラもちを刈る。黒い穂のアクネもちは10月に入ってから稲刈りをするため、しばらくはホタルを見ることができる。もち米は11月の収穫祭でもちをついて食べる。
写真=黒と黄色の稲穂で描かれたヘイケボタル
本社など後援「市長旗全舞鶴少年野球」学童下級の部
余内が10年ぶり2回目の優勝、池内の2連覇阻む
 第21回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)は9月5日、伊佐津の西運動広場で、学童下級の部の準決勝、決勝が行われ、余内少年野球クラブが10年ぶり2回目の優勝を果たした。  決勝は余内少年野球クと池内少年野球クが対戦。余内は初回に先制した後、中盤に着実に得点を重ねた。池内も大量失点にかかわらず反撃したが及ばず、2連覇を果たせなかった。  表彰式では、舞鶴野球連盟の倉橋貢会長が、余内に市長旗と舞鶴市民新聞社杯、池内に準優勝盾を贈り、「しっかり練習して、来年は上級生として大会に臨んでほしい」と話し、両チームの健闘をたたえた。
 結果は次の通り。
▽ 準決勝=池内少年野球ク5―0中筋少年野球ク、余内少年野球ク5―1南舞鶴スポ少▽決勝=余内少年野球ク10―3池内少年野球ク
写真=10年ぶりに優勝した余内少年野球ク

2010年9月3日

9月20日にオーケストラライブシネマ
京都市交響楽団の生演奏でチャップリンの「黄金狂時代」
 京都市交響楽団の生演奏に乗せて映画を上映するオーケストラ・ライブシネマが、9月20日午後3時半から浜の総合文化会館で開かれる。映画はチャップリンの「黄金狂時代」で、オリジナルサイレント版の日本初演。映像と音楽が一体となって名作を鑑賞できる。開演前には指揮者の齊藤一郎さんによる解説もある。主催の京都府教職員互助組合は来場を呼びかけている。  スクリーンの前に配置したオーケストラが、映画の音楽と効果音を生演奏する。京都市交響楽団がチャップリンの無声映画で2005年から続けている人気シリーズになっている。映画の音楽はチャップリンがすべて作曲した。  指揮を担当するのは、N響や関西フィルなどでもタクトをふった齊藤一郎さん。自身も大の映画好きで学生時代には約千本の映画を見て、8ミリで作品づくりもした。09年からセントラル愛知響常任指揮者に就任した。  チャップリン映画に合わせオーケストラが生演奏をする公演は、欧米で約10年前から行われてきたが、日本では京響が初めて取り組んだ。団員たちはスクリーンに背を向けているため、齊藤さんの指揮だけを頼りに物語の進行に合わせて演奏する。「キッド」で少年がガラスを割るシーンでは、実際にステージでガラスを割ったり、様々な楽器を使って効果音を工夫した。  シリーズ6作目の今回は1925年に制作された最長作品の「黄金狂時代」(100分)に挑戦する。チャップリンが黄金と飢えに翻弄される人々の姿を描いた抱腹絶倒の傑作コメディだ。日本語字幕付き。  入場料は1500円。全席指定。購入は1人6枚まで。未就学児の入場は不可。チケットは同館などで扱っている。
【問い合わせ】電話075・771・6188、同組合
写真=「街の灯」(CITY LIGHTS(c)Roy Export S.A.S)を上映するスクリーンを背に演奏する団員たち
発展途上国の子供たちにポリオワクチンを届けよう!
三笠小放課後児童クラブ、エコキャップ運動に協力
 三笠小校区地域放課後児童クラブが、アジアなどの発展途上国の子供たちにポリオワクチンを届けようと、エコキャップ運動に協力した。小学生たちが夏休み中に飲んだペットボトル飲料のキャップを持ち寄り、近く京都市内のリサイクル業者に発送する。  ポリオはウイルスによる感染症で、急速に足や腕が麻痺して動かなくなる。日本は1961年からの予防接種で80年に自然感染のポリオは根絶されたが、インドなどでは現在も常在し、世界保健機関(WHO)が根絶を目指す。  NPO法人「世界の子どもにワクチンを日本委員会」がエコキャップ運動を展開する。キャップ800個で20円になり、ワクチン1人分に相当する。キャップはリサイクル業者に売却し、その収益金がNPO法人「エコキャップ推進協会」を通して同委員会に送られる。  同クラブの指導員が、夏休み中の小学生たちに社会貢献活動の機会をつくろうと、子供たちと保護者に呼びかけた。同クラブには現在30人が在籍し、夏休みも通って少しずつキャップを持ち寄り約15キロを集めた。  三笠小4年生の臼井優吏君は「今年は暑かったのでたくさんのキャップを集めることができました。世界の子供たちに役立てられればうれしい」と話していた。
写真=夏休みにペットボトルのキャップ約15キロを集めた児童と指導者たち


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