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2013年9月27日











台風18号の市内被災地に
連休中のべ960人が支援
新潟や宮津からも駆けつけ

 台風18号によって伊佐津川で洪水が起き、多くの民家が床上浸水などの被害を受けた魚屋地区。近くの日星高校の3年生92人と教員たちが20日、被災した20軒で敷地に流れ込んだ泥のかき出しや濡れたマットなどを運ぶ作業をした。住民たちは「昭和28年の13号台風以来の被害」と水かさに驚いていた。
 住宅のすぐ裏手に伊佐津川が流れる魚屋地区では、川からあふれ出した水で道路が45センチの深さで冠水し、建物は床上5〜10センチまでつかった。床上と床下の浸水被害を合わせると約60軒になる。10人の住民が魚屋公民館に避難した。
 日星高は2004年の台風被害でもボランティア活動をした。舞鶴災害ボランティアセンターに支援を申し出たところ、平日にボランティアが少ないことから、この日、3年生全員が学校近くの魚屋地区に向かった。
 すでに濡れた家財道具などは表に運び出されていたが、水を含んで重い泥のかき出しを担った。土埃が舞う中、マスク姿の生徒たちはスコップを手に、土嚢袋に泥を入れリレーして運んだ。
 自宅と近くで営む薬局が浸水した木戸仁司さん(79)は「9年前の台風よりも被害が大きい。薬局は下の商品は全てだめになった。泥は重くて手に負えなかったので、手伝ってもらってありがたい」、地元自治会長の澤井昇さん(69)は「この地区はお年寄りが多いので助かります」と感謝していた。
 3年生の広瀬純君(17)は「学校に近い場所でこんな被害が大きな住宅があるとは知らなかった。住民のみなさんがいつもの生活に早く戻れるように作業をしました」と話していた。
 同ボランティアセンターによると、9月20日は被災した28世帯で130人のボランティアが作業した。支援の依頼やボランティアの申し込みは同センター(電話78・1021)。受け付け場所は喜多の舞鶴21ビル西側。開設は9月29日までの予定。

写真左=畑から泥を運び出す宮津高の生徒たち
写真右=スコップを寄贈した新潟のボランティア(左)



農作物、施設合わせて
農業被害2億2千万円超に
農地復旧支援ボランティアセンター 9月28日から活動

 台風18号は収穫シーズンの農作物や農業施設にも大きな被害をおよぼした。被災した農家の復旧を支援するまいづる農業災害ボランティアセンターが9月25日に開設され、同28日から活動を始める。
 由良川流域の加佐地区の農地403ヘクタールが冠水し、市内全体での農作物の被害額は稲3750万円、小豆1174万円、万願寺甘とう859万円など総額6031万円。農業施設はビニールハウス約90棟、農機具など1億6448万円にものぼる。
 同センターは市や市農業委員会、京都丹の国農協、NPO法人KYOふるさと加佐で構成。国の災害復旧事業の対象とならない田畑や茶園の土砂、ごみの片付け、用排水路の泥上げなど、依頼のあった農家にボランティアを派遣する。
 活動日は12月までの毎週土・日・祝日の午前9時〜午後4時。被災農家やボランティアの問い合わせは市産業振興部農林課(電話66・1023)。

写真=倒れた加佐地区の三日市のビニールハウス



2013年9月24日

魚屋の民家、浸水の被害大
「13号台風以来の被害」 日星高3年生たち泥出し手伝う
お年寄りが多い地区「助かる」

 台風18号によって伊佐津川で洪水が起き、多くの民家が床上浸水などの被害を受けた魚屋地区。近くの日星高校の3年生92人と教員たちが20日、被災した20軒で敷地に流れ込んだ泥のかき出しや濡れたマットなどを運ぶ作業をした。住民たちは「昭和28年の13号台風以来の被害」と水かさに驚いていた。  住宅のすぐ裏手に伊佐津川が流れる魚屋地区では、川からあふれ出した水で道路が45センチの深さで冠水し、建物は床上5〜10センチまでつかった。床上と床下の浸水被害を合わせると約60軒になる。10人の住民が魚屋公民館に避難した。  日星高は2004年の台風被害でもボランティア活動をした。舞鶴災害ボランティアセンターに支援を申し出たところ、平日にボランティアが少ないことから、この日、3年生全員が学校近くの魚屋地区に向かった。  すでに濡れた家財道具などは表に運び出されていたが、水を含んで重い泥のかき出しを担った。土埃が舞う中、マスク姿の生徒たちはスコップを手に、土嚢袋に泥を入れリレーして運んだ。  自宅と近くで営む薬局が浸水した木戸仁司さん(79)は「9年前の台風よりも被害が大きい。薬局は下の商品は全てだめになった。泥は重くて手に負えなかったので、手伝ってもらってありがたい」、地元自治会長の澤井昇さん(69)は「この地区はお年寄りが多いので助かります」と感謝していた。  3年生の広瀬純君(17)は「学校に近い場所でこんな被害が大きな住宅があるとは知らなかった。住民のみなさんがいつもの生活に早く戻れるように作業をしました」と話していた。  同ボランティアセンターによると、9月20日は被災した28世帯で130人のボランティアが作業した。支援の依頼やボランティアの申し込みは同センター(電話78・1021)。受け付け場所は喜多の舞鶴21ビル西側。開設は9月29日までの予定。

写真=伊佐津川から流れ込んだ泥をかき出す生徒たち



夢叶えた コラボ演舞
支援学校和太鼓と西高書道部

 堀の舞I支援学校で9月18日、同校高等部生徒の和太鼓演奏と、西舞鶴高校書道部の書道パフォーマンスの共演が初めて行われた。9月4日の西高文化祭で共演する予定が警報発令のため中止となったが、互いに熱望していたため、両校のスケジュールが合うこの日に、一度はあきらめかけていた初共演が実現した。
 両校は以前から、同じ西地区の府立学校同士で交流を持ちたい考えがあった。今回、西高側から書道パフォーマンスを和太鼓の生演奏で行いたいと申し出があり、交流に至った。支援学校の和太鼓は、総合的な学習の一環として2006年から受け継がれており、現在は高等部の2、3年生11人(うち女子2人)が練習を重ね、同校の体育祭などで披露している。
 8月28日に行ったリハーサル以来の顔合わせとなったこの日のステージは、支援学校生徒11人の威勢の良い掛け声とともに、大小11個の和太鼓が打ち鳴らされる演奏曲「駄々」で始まった。
 2曲目の「三宅太鼓」で初共演が実現。伸び伸びとした5個の和太鼓演奏に合わせ、西高書道部員2年生8人、1年生4人が、縦約4メートル×横約5メートルの紙に、「飛躍」という大きな文字と、詩人・きむさんの「夢を諦めたり 挑戦しなかったり 妥協して行くのが 大人になることじゃない」などとつづられた一遍の詩を書き上げていった。迫力ある見事な演舞に、会場に訪れた保護者や地域住民ら約70人からは惜しみない拍手が送られていた。
 西高書道部員たちは、高校生の元気な姿と、進路を決めて進んで行くこれからの自分たちを「飛躍」という2文字に込め、「夢を叶えるためには 現実を見ることが大切だ」とつづられていく言葉の一つ一つが、今の自分たちに求められている言葉だと共感し、きむさんの詩を選んだという。
 西高書道部部長で2年の森久瑠実(くるみ)さん(17)は「太鼓は凄く迫力があった。一緒に出来る機会を与えてもらって、お互い支えられているなと思った」、支援学校高等部3年の溝井辰巳君(17)は「楽しみにしていたので実現してうれしい。うまく出来るか不安だったけど成功して良かった」と話していた。

写真=支援学校生徒の和太鼓に合わせ、パフォーマンスする西高書道部



2013年9月20日










台風18号による大雨・由良川洪水
加佐、西商店街など被災
床上浸水、道路や農地が冠水

 台風18号の大雨は9月16日、舞鶴市内でも建物の床上浸水や農地の冠水などをもたらした。特に2004年10月の台風23号で大きな被害を受けた加佐地区では、早めに避難して住民たちは無事だったが、由良川の洪水で保育園や民家などが再び水につかり、やりきれない思いで後片付けに追われた。
 市災害対策本部によると、9月15日からの降り始めからの市内の降雨量は西地区で299ミリ。由良川の大川橋でピーク時の水位は、氾濫注意水位3・50メートルをはるかに超える7・61メートル、伊佐津川二ツ橋では同注意水位2メートルを超える3・19メートルにまで達した。
 国道175号沿いの志高や大川などの地区では、由良川の水が工事中の輪中堤のすき間から流れ込み、道路も不通となり一時孤立状態に。自家用車は早めに高台に移動させ水没を逃れた。志高の岡田と丸田の八雲の両保育園も大きな被害を受け、京都府民間保育園協会と市内の保育園の職員たちが後片付けの応援に駆けつけた。
 岡田保育園は床上150センチまで浸水した。9月17日には電気が復旧していないため発電機が持ち込まれ、約80人が遊具や棚などを外へ運び出し、高圧洗浄器で洗った。04年の洪水後、食育に力を入れようと新しい調理器具などを導入したが、全て水につかり大きな打撃を受けた。
 北川三和子園長(57)は「地域の方が自分の家が被災しているにも関わらず、心配して来てくれました。職員たちと力を合わせてがんばりたい」と話し、9月19日から保育を再開した。
 加佐分室に併設されている図書館では、本棚の下2段部分まで浸水し本が濡れた。志高の国道沿いの建物は軒並み1階の天井近くまで浸水した。食料品店を営む真下和徳さん(66)は「16日朝8時ごろに公民館へ避難した。店の再開のめどは立たない」と肩を落とした。近くの女性は「前回の洪水に比べ、堤防がある分、今回水が引くのに時間がかかった。災害は忘れたころに来るというが、つい9年前のことなのに」とあきれ顔で話した。
 西地区のマナイ商店街のアーケード内も川のように水が流れ、商工振興会で床上約30センチ浸水した。西市民プラザの1階も浸水し、職員たちが床から泥を出した。親と子のひろばはしばらく休止し、9月24日から再開を予定している。

写真(左から1つめ)=大雨で冠水した市場地区の道路(16日)
写真(左から2つめ)=後片付けに追われた岡田保育園(17日)
写真(左から3つめ)=志高の国道沿いでは水に濡れ運び出された家財道具が並んだ(17日)
写真(左から4つめ)=床や備品がふかれた西市民プラザ1階(17日)



志楽小PTA 運動会で
陸前高田の児童支援を
クリアファイルの販売・メッセージ募る
収益金高井さんら通じて高田小へ

 東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の高田小学校を支援しようと、志楽小学校PTA(伊藤清弘会長)は、9月17日に開かれた同校の運動会で、陸前高田の一本松のクリアファイルの販売や応援メッセージの募集に取り組んだ。保護者や児童たちが書き込んだメッセージと収益金は、10月11日に陸前高田を訪れる市民たちに託す。
 高田小は校舎1階が浸水、体育館などが損壊する被害を受けた。児童と教職員は学校裏の高台などに逃げ無事だったが、迎えにきた保護者7人が津波の犠牲となった。しばらくグラウンドに置かれていたがれきも撤去され、復旧した学校に児童たちは通っている。いまも全国から募金や本などが贈られている。
 志楽小4年生たちは、陸前高田の被災者と震災遺児の支援を続ける成生の陶芸家の高井晴美さんから話を聞き、高田小4年生に贈ろうとマグカップづくりをした。来月に再び支援に訪れる高井さんと市民がそのカップを預かり高田小に届ける。
 志楽小PTAでも支援の輪を広げようと、陸前高田で作られたクリアファイルを販売。運動会の本部テントにコーナーを設け協力を呼びかけた。児童たちも次々と「復興を祈っています」「元気を出して」などのメッセージを紙に書き、模造紙に貼り付けた。また、4年生が作ったカップも展示された。
 2011年6月に福島県いわき市で、がれき撤去のボランティア活動をした伊藤会長は「PTAでも震災を風化させず少しでも被災地のお役に立てれば、と取り組みました。収益金は高田小の備品購入に活用していただければ」と話していた。

写真=応援メッセージを書く児童たち



2013年9月17日

沖縄のいま問いかける
映画「ひまわり」上映会
9月28日、総合文化会館
米軍機墜落事故を題材に

 沖縄で起きた米軍戦闘機の墜落事故を題材に、沖縄の現状を問いかける映画「ひまわり〜沖縄は忘れないあの日の空を〜」(及川善弘監督)の上映会が9月28日、浜の総合文化会館小ホールで開かれる。主催は新日本婦人の会舞鶴支部(橋本みはる代表)。来場を呼びかけている。
 県民の4人に1人が犠牲となった沖縄戦を経て、戦後米軍基地が駐留し墜落事故などが後を絶たず、いまも県民の強い反対を押し切ってオスプレイの配備に揺れる沖縄を、全国に知ってもらおうと県民が協力して昨年撮影が行なわれた。
 1959年6月30日、沖縄県石川市(現うるま市)の住宅街へ、米軍のジェット戦闘機が墜落し、宮森小学校の教室にも突っ込んだ。住民6人と児童11人が死亡し、200人以上が重軽傷を負った大惨事となった。また、04年8月13日には米軍大型輸送ヘリが沖縄国際大学に墜落した。
 映画はこれらの事故をモチーフにしている。沖縄国際大学の学生たちが宮森小への墜落事件を再検証するレポートをつくる中で、事故当事者の元を訪ね、いまも心を苦しめ真相を語れないでいることを知る。
 出演は長塚京三、須賀健太、「あまちゃん」のヒロインで人気の能年玲奈、福田沙紀ら。上映時間は@午前10時半A午後1時半B同4時C同7時。前売りは大人1,000円(当日は300円増し)、障害者・高校生以下800円。同館と市民会館にチケットを置いている。
【問い合わせ】電話76・8304、舞鶴地労協事務所(平日午前9時〜午後1時)

写真=映画の1シーン



とれとれセンター
秋の魚 召し上がれ
ノドグロなど店頭に並ぶ

 今月から「秋漁」と呼ばれている底引き網漁が解禁となり、下福井の「道の駅舞I港とれとれセンター」の海鮮市場の店頭には、底引き網漁で上がったノドグロやオキギス、ササガレイなどや、定置網漁で上がったアオリイカやツバスなどが並び、京阪神などから訪れた観光客が土産として買い求めたり、その場で刺し身にしてもらうなどして新鮮な秋の魚を味わっている。
 日本海を代表する高級魚のノドグロは、世間のグルメ指向も追い風となり人気で、秋漁の主流の魚となっている。白身で油ののりが良く、濃厚な味わいが特徴。5月まで獲れるが、11月〜1月末まではズワイガニ漁が底引き網で行われるため、秋が旬の魚となっている。現在の値段は昨年並で、1匹1,300円程で店頭に並べられている。
 大学のサークル仲間2人と訪れた同志社大2年の村田暁さん(20)=彦根市=は、ノドグロとアオリイカの刺し身を食し、「イカはすごく甘味があって、臭みが無く飽きのこない味。ノドグロは初めて食べたが、さっぱりとした甘さで美味しかった」と、秋の海の幸を満足そうに味わっていた。

写真=底引き網漁で水揚げされた魚などが並ぶ「道の駅舞鶴港とれとれセンター」



2013年9月13日

大江山に魅せられた男の集大成
82歳の一瀬肇さん 写真展
夫婦で各地の山々歩き撮影
9月22日〜24日、市政記念館で開催

 写真と山登りを趣味とする引土の一瀬肇さん(82)が、集大成となる山の写真展の準備に取り組んでいる。いまでも夫婦で冬の大江山や昨秋には白山に登るほど、山が生活の中心になっている。父のふるさとにある大江山の雪が見せる冬の造形美、北海道などの美しい山々の姿を写真で紹介する。9月22日〜24日、北吸の市政記念館で開催する。
 若いころからスキーと山登りを楽しみ、20代後半から山の写真を撮り始めた。日本報道写真連盟の舞鶴支部を立ち上げ、幹事を務めた。40代のころに所属団体を離れ、人物や風景など様々なテーマで撮影したが、50歳から好きな山に絞って写真を撮っている。妻の幸子さん(73)も登山が趣味であるため、時には荷物運びのアシスタントを務める。
 大江町が父の出身地で、標高833メートルの大江山には幼いころから親しみ、これまでに1000回以上は登ってきた。撮影を始めたのは20年前から。特に厳冬期、雪が作り出す庇、風によってできる模様など純白の山の姿に魅せられている。
 13キロのカメラ機材などを担ぎ、冬は登りで4時間、帰りは暗くなってヘッドランプの灯りをたよりに下山する。吹雪の時には熊笹の間に入って避難したり、熊に出会うこともしばしば。シャッターチャンスを待つため雪の中に4、5時間立ち続けても、1枚も撮らずに下りることもあるが、「撮れなくても、気持ちがいいほど満足感がある」という。
 2人で好きな北海道の知床連山など山をはしごして登ってきた。兵庫や福井など周辺の低山もほとんど登り、今年は和知など近辺の登山道の整備をボランティアで行なっている。
 8年前に初の個展を開いたが、写真仲間たちから再度勧められ、ここ20年間に撮った写真を展示する。大江山に関する27点、10月で83歳になることから夫婦合わせて156歳までの山歩きのコーナーに33点を出品する。長年の撮影技術や経験を凝縮された写真を選んだ。
 一瀬さんは「いつのまにか生きることが山に登ることになりました。大自然から受けた感動を少しでも写真で伝えられれば。これからも生涯現役で登り続けたい」と話している。写真展は午前9時〜午後6時(最終日は午後5時)。入場無料。

写真=出品する写真と一瀬さん



東高文化祭で
「生命のメッセージ展」 遺族の声
同世代の事故・犯罪犠牲者から学ぶ

 泉源寺の東舞鶴高校で9月6、7日に行われた文化祭で、交通事故や集団暴行、体罰などにより、理不尽にかけがえのない命を奪われた若者たちの人生を伝える「生命(いのち)のメッセージ展」が開かれた。展示された3〜26歳までの30人の犠牲者の等身大パネルは遺族が製作し、写真と思い出の品、事故や犯罪への怒りやメッセージ、足元には愛用していた靴が飾られた。様々な事例を生徒たちは熱心に長時間鑑賞し、涙を流す女子生徒も多く見られた。
 同校は今年6月、スタントマンを招いた交通安全教室を行っており、生徒たちに命の大切さを継続して学んでもらおうと、同展を文化祭で開催した。同展は全国の遺族でつくるNPO法人「いのちのミュージアム」=東京都=が2001年から始め、現在、遺族が製作したパネルは160人分を数え、全国各地で展示が行われている。
 昨年から府内の高校の文化祭でも開かれるようになり、同校は4校目。生徒会とボランティア部の生徒計10人と、展示されている昨年4月の無免許運転の少年らによる亀岡集団登校事故の犠牲者遺族も訪れ、展示の準備を行った。
 等身大パネルには、飲酒や無免許の運転による多くの交通事故、部活動の指導での体罰、無抵抗な障害者への複数人による暴行などの詳細が書かれ、命を奪われた若者たちが夢や希望に満ちていた頃の写真と、遺族の「会いたい」「生まれ変わったら今度は長く一緒にいてね」「未来を取り上げた加害者を絶対に許さない」といった願いや怒りの声が、繰り返されてはならないことを強く訴えかけていた。
 生徒たちは「いつ何が起こるか分からない」「自分たちが知らないだけで、こんなにたくさんの犠牲者がいることを初めて知った」などと話し、娘が同校に通う母親は「人ごとではない。車の事故は全て運転手の責任。みんなもう一度、自分の運転を見直してほしい」と話していた。
 生徒会副会長で3年の松田正樹君(17)は「幼い子が犠牲になっているのを見て、自分は高校生まで生きられているのだと思うと、事故を起こさない訴えを、自分もしていきたいと思った」と話していた。

写真=会場となった教室で涙を拭いながら等身大パネルの内容を読む生徒たち



2013年9月10日










泉源寺の高宮八郎さん76歳
青葉山登頂1000回迎える
71歳から年200回のペース 山仲間が祝福
「これからもボチボチ登りたい」

 青葉山の西峰山頂(692メートル)への登山を続けている泉源寺の高宮八郎さん(76)が、このほど登頂1000回を迎えた。71歳から登山の魅力に目覚め、年200回ほどのペースで歩いている。節目を山仲間たちが祝ってくれた高宮さんは「1000回目は通過点。健康なうちは登りたい」と意欲と健脚は衰えていない。
 青葉山に最初に登ったのは海上自衛隊舞鶴教育隊に入隊した1961年。訓練の一環として登ったが、「しんどくてもう登りたくないと思った」と苦しい思い出しかなかった。その後も訓練で行った以外、30〜60代に登ったことはなかった。
 仕事から離れた71歳の時。特に趣味を持たず時間を持て余していたが、たまたま人に誘われ青葉山に登った。若いころと違ってマイペースで登り、山頂にたどり着くと達成感で満たされ、山好きの人と知り合うことができたことで、やみつきになった。
 それから冬場を除いて2日に1度のペースで登り続ける。忘れ物をして1日に2度登ったこともある。高浜町今寺まで車で行き、今寺ルートで歩く。登りは約1時間半、下りは約40分。グラウンドゴルフを終えた後の午前11時ごろから登り始め、パンなどを食べながら歩き、疲れると立ったまま少し休んでまた進む。昨年は50日間入院する大病を経て再開した。元旦登山は2000年から続ける。
 平日でも数人と山頂で出会い、土・日曜には他府県から来た30〜40人の登山者がいることもある。春にはハルリンドウなど多くの花を見ながら歩くのも楽しみに。今寺集落の住民たちとの交流も深まり、登山道の整備や補修も手伝う。地元の山以外にも、北アルプスや富士山などに山仲間と出かけた。
 高宮さんは「山で出会う人たちの表情はとてもよく、すぐ仲良くなれる。いまでは登らないと体調が悪いくらい。これからもボチボチと登りたい」と話していた。(写真は高宮さん提供)

写真左=1000回を達成した高宮さん
写真右=高浜町側から見た青葉山



ミツウマスポーツクラブ
シニアのソフトボール全国大会へ
府代表で5回目の出場

 舞鶴や福知山、宮津などの市民でつくるソフトボールチーム「ミツウマスポーツクラブ」(柴田政善監督)が、10月5日〜7日に鳥取県米子市などで開かれる第27回全日本シニアソフトボール大会に、京都府代表として出場する。結成6年目で5回目の出場となり、全国制覇を目標に練習に励んでいる。
 シニアの大会は60歳以上の選手でのぞむ。同クラブはチームの平均年齢64歳。舞鶴からは監督と選手の12人がメンバーとなっている。投手を中心にした守りのチームができた。
 京都府予選会の初戦で京都クラブシニアに6―1、準決勝は舞鶴GREATSに4―0と快勝。決勝は宮津シニアと対戦し、8―1と打ち勝った。
 柴田監督(74)=寺内=は「予選会で目標とした優勝ができてよかった。全国大会を制覇できるようがんばりたい」と意欲をみせている。
 舞鶴から出場する選手は次の皆さん。
 志馬義高(愛宕浜町)、井澤明生(公文名)、植田和男(同)、藤本進(七日市)、藤山豊一(喜多)、生田勝美(竹屋)、鈴木敏行(行永東町)、埜村房生(白浜台)、桜井良(余部上)、長沢節夫(余部下)、岩崎孝志(高野台)

写真=「ミツウマスポーツクラブ」の選手たち



2013年9月6日

震災遺児支援へ多くの力を
高井さんと市民たち23人 10月11日陸前高田市へ
マグカップとマフラー、温かい想いと共に届ける

 東日本大震災によって岩手県内で最大の被害を受けた陸前高田市の被災者支援を続ける成生の陶芸家、高井晴美さん(49)と市民たちの23人が、10月11日に同市を訪れる準備を進めている。仮設住宅で暮らす人たちに贈ろうと、マグカップとマフラーづくりに協力の輪が広がっている。両親を亡くした震災遺児36人を支援する義援金も届ける。募金の協力を呼びかけている。
 自宅のすぐ前に海が広がる漁村で暮らす高井さんは、津波で壊滅状態となった陸前高田の子供たちの力になりたいと、2011年にチャリティー陶展を開き収益金130万円を被災した小・中・高校の楽器購入に役立てた。その後、自身の陶芸教室の生徒や市民たちも募金や支援活動に協力し、昨年10月には25人で訪れた。
 陸前高田市役所を通して震災遺児へ送った義援金は、計3回の102万5千円になる。子供たちから「ノートや辞典を買いました」「受験に向けてがんばっています」とお礼の手紙が届いた。
 松並木が波にさらわれたため風が強く、寒い仮設住宅で暖かく過ごしてもらおうと、昨年12月から市民たちとマグカップづくりを始めた。マフラーも贈ることにすると、市身体障害者福祉センターを利用する障害者や職員、市民へと編んでくれる人の輪が広がった。
 こうした協力者たちと矢作(やはぎ)地区などの仮設住宅を回り、400人分のマグカップとマフラー、農家から寄せられたお米などを届ける予定だ。再開した土産物店などで買い物もして、商店主たちを励ますことにしている。また、志楽小学校4年生71人が手作りしたマグカップも、同市の高田小学校に届ける。
 震災遺児への支援も今回取り組もうと、口座を開設した。舞鶴つつじまつり協賛会(光田英明会長)から青葉中学校生徒も協力した募金約8万円や、市民からの募金が高井さんに託された。
 高井さんは「町は復興しても、子供たちは大きな傷を背負ったまま生きていかねばなりません。震災時、一番小さな小学1年だった遺児が18歳になるまで支援ができれば。皆さんの温かい想いを届けたい」と話している。
市政記念館内のカフェ 「jazz」に募金箱を置いている。郵便局からでも受け付けている。ゆうちょ銀行「店番448 普通預金 口座番号4056294 加入者名 井晴美。
【問い合わせ】電話67・0326、高井さん

写真=市民たちと一緒に作ったマグカップと高井さん



献血協力で厚労大臣感謝状
舞鶴ライオンズク前アシスタント
小森さん 42年で152回
奉仕活動に充実した日々

 今年6月まで42年間、舞鶴ライオンズクラブのアシスタントを務めた小森津枝子さん(67)=森本町=が、献血運動の推進への功績で、このほど厚生労働大臣の感謝状を受けた。クラブの事務局入り後から152回の献血をした。
 1971年の入局当時は、まだ手術で血液を要する患者の家族が、不足する血液を集めていた。同クラブは献血カードをつくり、不足分をクラブ員たちが協力しており、この時から小森さんも献血を始めた。
 その後、全国に先駆けて同クラブは命を守る奉仕事業として献血に取り組もうと、82年に舞鶴献血友の会を結成。血液採取の年齢制限改定の検討にあたって、クラブ員たちがデータ採取に被験者として協力し、厚生省が上限を64歳から69歳に引き上げるのに貢献した。12年度の舞鶴市での献血実績は、献血車一台あたり平均72人と全国でもトップクラスを誇る。
 市内で行なわれる献血には、クラブ員たちが仕事の都合で行けない場合でも小森さんは参加を続け、啓発事業でも協力を呼びかけてきた。
 「数字を意識して献血してきたわけではないので、こんな回数になっていてびっくりしました。個性豊かな会員の皆さんから学ぶことも多く、献血をはじめいろんな奉仕活動のお手伝いができ、42年間は充実していました」と話していた。
 クラブ員だった安屋敷正雄さんの「感激を忘れてはいけない」の言葉を胸に、奉仕することの喜びをかみしめる日々を送った。

写真=感謝状を贈られた小森さん



2013年9月3日

近畿ジュニア体操大会へ
ディナモ舞鶴の石原さんと藤井さん
繊細さとパワーがそれぞれの魅力
京都大会ではエレガント賞も

 ディナモ舞鶴スポーツクラブの石原夕莉選手(11)=中筋小学校6年=と藤井夏未選手(12)=同=が、9月14、15日に京都市内で開かれる第30回近畿ジュニア体操競技選手権大会(12歳以下)に出場する。予選を兼ねた京都大会で2人は上位入賞し出場権を得た。石原さんは床の演技でエレガント賞を初受賞した。
 2人は京都ジュニアカップ体操大会の9級(小学高学年〜中学生)個人の部で4種目の演技をした。石原さんは平均台が3位、段違い平行棒6位などで総合7位。藤井さんは段違い平行棒5位、跳馬7位などで総合9位。上位に入った中学生を除くとそれぞれ4位、5位となり、上位6人までに与えられる近畿ジュニアの切符を獲得した。石原さんは2年連続の出場。
 また、石原さんは床の順位が9位だったが、最も音楽に合わせて美しく、芸術的な演技をした選手に贈られるエレガント賞を受けた。「平均台はよくできたと思いますが床のエレンガント賞にはびっくりしました。近畿でもいい試合をしたい」という。藤井さんは「練習したことが出せ、全てノーミスで演技ができよかった。次は跳馬で違う技を入れたい」と話す。
 同クラブ代表の千頭一郎代表は「石原選手は繊細さを、藤井選手はパワーを持ち味にしている。互いに競いあって伸びてほしい」とエールを送る。

写真=近畿ジュニアへの切符をつかんだ藤井選手と石原選手(右)



中谷さん招き地産地消セミナー
「生産者と飲食店 繋がりを」
舞鶴産品の魅力を再発見

 農林水産業関係の生産者と飲食店関係者が繋がりを持つことを目的に、地域雇用創造推進事業の地産地消セミナー「地場産の魅力、再発見!!」が8月27日、瀬崎のふるるファームで初めて開催された。奈良県五條市で地場産野菜のみを使った創作料理を提供する「五條源兵衛」の料理長、中谷曉人さん(32)が講演を行い、舞Iの特産品を使った創作料理を参加者たちと一緒に調理し、試食した。
 市と市ふるさと地域づくり協議会が主催し、生産者と飲食店関係者約20人が参加した。生産者から特産品の特徴や製法の自己紹介を聞いた後、中谷さんが講演を行った。
 中谷さんは、地域活性化のために地元出資で町家を改装したレストランで、海のない奈良県の特色を出すために、魚料理などはメニューに入れず、奈良県南部を力強くアピールする五條野菜のみを使ったフルコース料理を提供し、人気となった。
 観光客に地元産の良さを知り喜んでもらうには、飲食店と生産者が触れ合い、食材の良さを知ることが重要と説明。「生産者と繋がっている食材には説得力があり、こだわりや自慢話を聞くと、飲食店はそれをお客さんに伝えることができる。地元の人が知っている宝と、よそから来た人が気付く宝とがあり、生産者と飲食店が繋がって発信することで、まだ見えていない宝も発見できる」と話した。
 講演後、舞I産品の素材の良さを知り、新たな魅力を発見しようと、6品の創作料理を参加者たちと調理し、試食した。
 かねと食品の「舞わかめ」を瀬崎の甘夏で香り付けした、舞Iならではの海と山を合わせた料理や、あけぼのフェニックスの「減塩みそ」に、「まんがんたまご 有性卵」の卵黄と「舞I五老ヶ岳ハニー」を加え、西方寺のナスと赤ジャガイモを付けて食べる田楽など、舞I産品同士を組み合わせ、料理をつくった。
 また、万願寺甘とう本来の味を知るため、焼かずに切ってそのまま「万願寺ジャム」に付けて食べたり、新たな試みとして、かねと食品の試作品「とり貝の煮汁」で炊いた御飯や、平のトマトを真空調理で凍らせハチミツを入れたデザートなどもあり、参加者たちは熱心にメモを取るなどし、味わっていた。

写真=中谷さん(中央)考案の舞鶴産品ばかりを使った創作料理を味わう参加者



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