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2013年11月29日

被災地「忘れないで」
ドキュメンタリー映画「うたごころ」 12月15日上映
南三陸町の女子高生追う 榛葉監督の講演も

 東日本大震災で被害を受けた宮城県南三陸町で、自宅を失った女子高生と合唱部の姿を撮影したドキュメンタリー映画「うたごころ」の上映会が12月!5日、余部下の中総合会館で開かれる。震災直後から1年間現地に通った榛葉(しば)健監督の講演もある。主催者は「被災者の『忘れないで』という想いを受け止めてほしい」と来場を呼びかけている。
 倉谷の会社員、浅野幸人さん(57)が、フェイスブックを通じて榛葉監督と知り合い交流し、昨年11月に大阪市内で映画を見た。浅野さん自身も舞鶴などの仲間たちと昨年7月、釜石市などの仮設住宅に支援物資を運んだ。被災地の様子をたんたんと伝え、主人公の女子高生の「忘れないで」との言葉が強く印象に残り、舞鶴での自主上映を仲間たちで取り組むことにした。
 榛葉監督は毎日放送の報道記者時代に、阪神・淡路大震災に関する15本の番組を制作するなど、坂田記念ジャーナリズム賞などを受けた。いまは報道部門から離れているが、個人の立場で南三陸町に1年間通って自費で映画を完成させた。
 映画は大阪のプロシンガー、寺尾仁志さんの歌を聴く気仙沼高校の女子生徒を軸に進む。津波で自宅や親類を失い、仮設住宅に暮らす彼女の家族や歌への想いをはじめ、所属する合唱部の部員の姿、部活動最後のステージで見せつけられた現実を伝える。2011年に撮影され、卒業後を追った2012年版も制作した。今回上映するのは11年版。
 浅野さんは「震災から2年8カ月が経ち被災地への関心が薄れている。もう一度、被災直後の空気を思い出してもらいたい」と話している。収益金の一部は東日本大震災のこども育英募金に寄付する。
 上映は午後1時半から、その後に講演。前売りは一般1,500円、学生1,000円。チケットはミニストップ中舞鶴店、イマヤスハウジングなどで販売中。問い合わせはチーム「うたごころ」舞鶴(電話78・2600、utagokoro@impresslife.jp)。


写真=主人公の女子高生と榛葉監督(右)=撮影・シギー吉田さん



観賞チケットを5人にプレゼント
12月5日までに申し込みを

 主催者の協力で、舞鶴市民新聞社はこの映画に5人を招待する。チケット希望者は郵便番号、住所、氏名、電話番号、市民招待席「うたごころ」係と明記し、12月5日までに申し込みを。
 応募ははがき(あて先〒624―0905福来912―1 舞鶴市民新聞社)、FAX(77・1750)、eメール(maipress@topaz.ocn.ne.jp)で受け付けている。応募者多数の場合は抽選。チケットの発送をもって発表にかえる。




市協会設立 高校総体開催決定
舞鶴のレスリング 第一歩
ちびっ子体験教室に約70人

 2015年8月に舞I市で全国高校総体レスリング競技の開催が決定したのを受け、市内の競技熱を盛り上げようと、舞I市レスリング協会が設立された。協会設立を記念し、子供たちにレスリングに関心をもってもらう体験イベント「レスリングを楽しもう!」が11月24日、上安久の文化公園体育館で行われた。市内の幼児から中学生までの約70人が、日本代表選手らからルールや実技を学び体験した。
 同協会は、京都府レスリング協会副会長でポリテクカレッジ京都職員の佐藤優邦会長(61)と、強豪の京丹後市の網野高と宮津市の海洋高のレスリング部の生みの親で、多くの選手を育てた東舞鶴高指導教諭の三村和人理事長(53)らが中心となり、市内での選手育成を目指して今月設立された。
 イベントには、世界選手権84キロ級日本代表の松本真也選手(29)=警視庁=と、ロンドン五輪74キロ級日本代表の高谷惣亮選手(24)=ALSOK=をゲストに迎え、同協会の指導者、同志社大学レスリング部員、京都海洋ちびっ子レスリング教室の生徒らも参加した。
 子供たちは体験教室で、前転や後転、三点倒立などの様々なマット運動で体を動かし、レスリングに重要な首を鍛える基礎練習のブリッジや、胸で当たって足を掴み相手を倒すタックルの指導などを受けた。
 タックルの練習では、最初は遠慮していた子供たちも、力強くぶつかれるようになってくると、代表選手らを相手に何度も向かって行っては倒し、レスリング競技の醍醐味を味わっていた。初めて体験した志楽小1年の木宮静香さん(7)=田中町=は「タックルで相手を倒すのはすごく楽しかった」と笑顔で話していた。
 三村理事長は「舞Iは、網野や宮津では考えられないほど多くの人が興味を持ってくれていることが分かった。予想を遥かに上回る人が集まってくれたので、今後も教室を継続して開催していきたい」と話していた。

写真=松本選手にタックルする子供



2013年11月26日

自治体や民間の技術者に研修も
老朽化の橋、改修へ人材育成
舞I高専 社会基盤メンテナンス教育センター開設
診断法など維持管理学ぶ

 老朽化した橋の維持管理について専門的に学ぶため、白屋の舞鶴工業高等専門学校(太田泰雄校長)は、「社会基盤メンテナンス教育センター」を開設することになった。傷んだ橋の一部の実物などを使って実践的な教育を行なっていく。学生だけでなく、橋などに関わる自治体の技術職員や地元民間の技術者にも開放し、研修施設の役割も果していく。
 戦後の高度成長時代に建設された橋やトンネルなどの社会インフラの老朽化が進み、時には大きな事故につながっている。しかし、国や自治体による診断や改修には多額の費用がかかり、その対策が全国で問題となっている。舞鶴市内にも、戦前から戦中にかけ造られた古い橋も多いとされる。
 同校の建設システム工学科では、橋のメンテナンス工学を講義し、教員も平のクレインブリッジの維持点検のマニュアル作成の研究をする。また、中丹と丹後の市と町の土木技術者を対象に、橋の維持管理研修も行なってきた。
 そうした蓄積の上に、レベルの高い技術を学び、地域貢献活動の一環にも役立つよう、より実践的な教育システムを構築した同センターを設置する。当初は橋を対象にするが、上下水道や農業、港湾の施設などにも広げていく。
 独立行政法人土木研究所などの協力で、福井県大野市の九頭竜ダム近くに架かっていた橋げたなど、各地から劣化したコンクリートや鋼材を集め、実物を使って目視点検や健全度の診断法、補修法などを学ぶ。
 同校内にセンターの施設を整備する。広さは53平方メートル、レクチャールームや実物の展示スペースを設ける。5年生と専攻科生が学ぶが、行政や民間の技術者にも研修の場として利用を呼びかける。また、各地の高専の学生も受け入れる。来年1月中旬にオープンの予定。
 橋の設計や維持管理を研究する同学科の玉田和也教授は「橋は1つ1つ地域によって特性があり、まず観察が必要だ。維持管理は新しく造ることよりも難しく、センターで人材育成をしたい」と話している。


写真=授業で使う老朽化した橋の一部



関西学院大学同窓会
京都北部支部設立
より深い繋がりを

 関西学院大学同窓会の京都北部支部が11月17日に設立され、円満寺の舞Iグランドホテルで設立総会が行われた。北部支部は舞鶴市、綾部市、福知山市、宮津市、京丹後市、伊根町、与謝野町の5市2町の卒業生在住者、約550人が対象で、設立総会には約70人が出席した。
 昨年11月、東舞鶴高校出身の井上琢智(たくとし)さんの同大学学長就任を祝う席で、北部支部設立案が持ち挙がり、17人の設立準備発起人会によって設立総会が行われる運びとなった。
 総会では、発起人会代表の眞下賢一さんが、同大学の理念であるマスタリー・フォア・サービス奉仕のための練達・社会貢献≠ノ基づく、支部設立の趣旨と目的を発表。支部長に眞下さんが選出され、各役員12人とともに承認された。承認後、同窓会の大橋太朗会長から眞下さんに支部旗の贈呈が行われた。
 また、井上学長の「来年創立125周年を迎える関西学院の理念」をテーマにした講演会や、校歌斉唱、エール交歓も行われ、卒業生たちは新支部設立を祝い、親睦をさらに深めた。

写真=支部長になった眞下さん(左)に大橋会長から贈呈された支部旗



2013年11月22日

子供たちの笑顔が財産
大学・短大生サークル 「まいづるグループ」結成50周年
舞鶴学園訪れ交流続ける

 泉源寺の児童養護施設「舞鶴学園」(桑原教修園長)で活動する、京都市内の大学生たちでつくるボランティアサークル「まいづるグループ」が、結成から今年で50周年を迎えた。部員数が減り休部の危機を何度も乗り越え、待っていてくれる子供たちの笑顔がかけがえのない財産になっている。元部員や現役部員が11月17日、同園に集まり交流した。
 戦後、舞鶴港に引き揚げてきたものの、身寄りのない戦災孤児らを引き取り養育しようと、1941年に設立の財団法人が学園の始まり。2001年に浜から現在地に移り、7つの住宅からなる小舎制を導入。幼児から高校生までの46人が在籍する。多くは虐待や育児放棄などで親から離れて暮らす。
 同グループは、桑原さんが同志社大生だった63年に発足した。支援に訪れた学園の貧しさを目の当たりにし、教会に集まる学生たちに声をかけ、次第に複数の大学の学生たちが加わった。20数年前から華頂短期大生が中心となって活動する。
 01年に部員が0になり、グループ顧問で当時、同短大准教授の西川由紀子さんが授業で活動の大切さを訴えた。パンフレットで活動を知り、関東などから入学を決めた学生もいた。卒業後、学園の職員や隣接のタンポポハウスで保育士として働く元部員もいる。所属した部員は50年間に300人以上という。
 月1〜2回、学園に通って子供たちと遊び勉強を手伝うほか、園のクリスマス会で劇を演じる。華頂大と同短大の10人が在籍するが、今春学園を卒園し同短大に進学した女子学生も活動している。
 グループの同窓会は20、45周年に開いたが、学園で催すのは初めて。静岡などから40人が駆けつけた。現役部員による手話歌の合唱や、50年間の活動を映像で紹介し、思い出を語り合った。
 73年に同短大を卒業した荒木美千代さん(61)=京都市伏見区=は「バスで帰る時に子供たちが見送ってくれたのが、とてもせつなく思った」と振り返った。グループの会則を作った村上繁樹さん(65)=同市東山区=は「最初に学園の門を入ったときは緊張したが、子供たちの柔らかい眼差しにほっとした。部員にとって、ここでの体験は人生の背骨になっている」と話していた。
 桑原さんは「子供たちは学生たちを身内としていつも楽しみに待っており、活動は学園に欠かせないものになっている。50年の節目に、グループに憧れ華頂短大に入った子がいるのをきょうの集いで報告できうれしい」と、自らが原点となった活動の歩みを語った。


写真=先輩たちを前に手話歌を披露する現役の部員たち



日星高生徒たち ウォーカソン実施
震災被災地の幼稚園再建を
12月に現地訪れ募金届ける

 東日本大震災の被災地支援を続ける日星高校の生徒たちが提案し、教師たちがサポートして11月16日、歩く募金活動と呼ばれるウォーカソンに取り組んだ。市内20キロを歩き、市民や団体から寄付が寄せられた。宮城県名取市の幼稚園再建のために役立てようと、12月13、14日に現地を訪れ届ける。
 ウォーカソンは距離に応じて金額を決め、事前に約束したスポンサーから寄付を受ける募金活動。日星高でも6年前まで行なっていた。今回は吹奏楽部の生徒を中心に、被災地支援の募金をしようと文化祭で呼びかけ、生徒会役員たちも参加した。
 親戚や教師、団体、教会信者たちがスポンサーとして協力し、1キロにつき20円〜500円の寄付を約束した。生徒14人と教師2人が「ウォーカソン東北に愛を」と書いた幟を手に学校をスタート。
 北田辺のカトリック西舞鶴教会で祈りをし、国道27号沿いの歩道を歩き、浜の同東舞鶴教会で折り返し、5時間半かけて学校まで戻り、汗を浮かべてゴールした。
 生徒会長で看護科2年の高原寧子(ねね)さんは「歩き通して足が痛くなりましたが、東北の支援につながる実感と達成感が持てました。多くの人の気持ちのこもった募金を届け、現地の様子を自分の目で見てきたい」と話す。
 27万5,210円の募金が寄せられた。津波で全壊し、園児らが犠牲となった名取市の私立閖上わかば幼稚園の再建資金に使う。

写真=20キロを歩くウォーカソンに挑んだ生徒たち



2013年11月19日

消防団のあり方へ議論始める
団員の減少傾向続く
市が審議会を設置
環境整備、女性消防団などテーマに

 舞鶴市は、消防団のこれからを考える審議会を設立し、委嘱された委員たちが議論を始めた。人口減や少子高齢化、地域に対する意識の希薄化などで消防団員数の減少傾向が続く。これまでの消防団のあり方を見直し、団員確保に向けた環境整備や女性消防団などをテーマに、1〜2年をかけ話し合い多々見良三市長に答申する。
 消防団員は自分の仕事を持ちながら、災害時には消防団員として活動する特別職の地方公務員になる。全国で団員は110万人以上いたが、人口減や会社員の増加など現在は88万人を下回る。
 舞鶴市の消防団でも同様の問題が起きている。団員数は1975(昭和50)年のピーク時には条例定数の1380人いたが、2003(平成15)年以降急激に減少。現在20個団を合わせた実数は1164人(13年10月1日現在)で、充足率は84・4%。中でも東消防団は定数57に対し実数34で充足率59・6%、西消防団は同52に対し同36(同率69・2%)と市街地で団員が少ない課題が浮かぶ。
 綾部市などには女性団員がいるが、舞鶴には自主的な女性消防組織が吉原地区などにあるだけで、女性団員は存在しない。
 団員の平均年齢は05年が40歳だったが、現在は43歳と40代が主力。就業形態の変化に伴って、以前は農林水産業など自営業者が多かったが、いまはサラリーマンが全体の75%を占め、勤務中の昼間の防災力の低下が懸念される。
 審議会は舞鶴高専の太田泰雄校長を会長に、元市消防幹部、婦人消防隊、市民公募らの11人からなる。消防団の管轄エリア、団員の配置、消防機器など5項目について多々見市長から諮問を受け、議論を深める。2回目の会合は12月開催で調整している。  太田校長以外の委員は次の皆さん。(敬称略)
 麻尾肇▽亀井重義▽山本伊三夫▽藤川恵美▽上山勇治▽福田英都子▽松田裕子▽福本清▽柴田信幸▽藤村登


表=舞鶴市の各消防団の現状(2013年10月1日現在)



麒麟稲荷神社に生まれ変わる
キリン舞鶴工場から移設 大森神社で鎮座式

 10月に製造を終えた倉谷のキリンビバレッジ舞鶴工場屋上に置かれていた稲荷神社神殿が、森の彌加宜神社(大森神社)に移設され、11月11日、関係者が出席し鎮座式が行なわれた。新しく麒麟稲荷神社として命名され、今後も11月11日に例祭を続ける。
 舞鶴工場の機能を滋賀県内の新事業所に移すのに伴い、工場は12月10日に閉鎖される。屋上の稲荷神社の移転先を竹重和行・前工場長が彌加宜神社の田中國雄宮司に相談し、今回の移設が実現した。
 稲荷神社は1992年に開設された工場の安全を祈願して安置され、操業日の3月3日に合わせ毎年稲荷祭を催してきた。竹重・前工場長は毎朝、社員の無事故と健康を願って参拝していたという。
 彌加宜神社本殿の左側に移された稲荷神社前で鎮座式が催され、工場の沼田好則総務部長や氏子らが参列し、玉串などを捧げた。
 稲荷神社の奉納を受けた田中宮司は「舞鶴工場の関係者に神社のことを覚えていてもらえるように、来年から11月11日午前11時に例祭を行ないたい」と話す。

写真=大森神社に移された稲荷神社



2013年11月15日

目標に向けまた一歩
日星看護科の小野寺さん 実習認定式
被災地から入学 「母のように信頼される人に」

 上安久の日星高校で11月9日、看護科5年課程の実習認定式があり、2年生35人が式に臨んだ。東日本大震災で被災した宮城県岩沼市から入学した小野寺泰世(たより)さん(16)も、ナース服に身をつつみ、病院実習へ一歩を踏み出した。「多くの人たちから応援してもらっています。被災地に戻って立派な看護師になりたい」と目標に向かって想いを新たにする。
 実習認定式は病院実習の前に、看護者としての心構えを確かめ決意を表明する。生徒たちはキャンドルサービスを受け、「私たちの言葉と行いの全てが、病める人に希望と勇気をもたらすものとなりますように」と看護の祈りを唱和した。
 小野寺さんは地元の私立高校に合格していたが、被災地出身の生徒を支援する制度を作った日星高へ、看護師を目指して入学。寮生活をしながら勉強を続ける中、市民から励ましの声を掛けられている。毎月1度の寮からの一斉帰宅日には、市民の元でホームステイを体験している。
 日星高の生徒たちは被災地でボランティア活動を継続しているが、小野寺さんも今年の夏に南三陸町でがれき撤去を手伝った。被災地の様子を尋ねるクラスメートたちもおり、関心を持ち続けてくれる。
 認定式を終えた小野寺さんは「日星に来てとても充実しています。きょうは看護師になる自覚を改めて感じた。実習で多くの人から学び、母のように信頼される人になりたい」と話し、友人たちと笑顔を交わしていた。
 式に出席した保健師の母、由紀子さん(45)は「たくさんの人の支えがあって、娘はここまでこられたのだと思います。心新たにしてこれからもがんばってほしい」と成長した娘の姿を見つめていた。
 仙台平野に位置する岩沼市は、津波で市域の約50%が浸水し、約200人が亡くなった。現在、集団移転の土地が決まり高台や公営住宅の造成工事中で、来年夏から移転が始まるという。被災した市の病院も今年6月から再開したが、医療スタッフが不足しているため震災前より診療科を減らしている。


写真=認定式を終え友人たちと笑顔で記念撮影をする小野寺さん(中央)



大鍋で元気もりもり!
志摩機械 感謝祭で豚汁振る舞う

 上福井の農機具販売・機械リース会社「志摩機械」(志摩敏樹社長)で11月9、10日、直径3メートルもの大鍋で豚汁が作られ、無料で振る舞われた。大きな鍋で作った料理に元気を味付けし、来場した農家たちが舌鼓をうった。
 顧客への感謝の気持ちを伝える秋の恒例イベントの中で実施。今年は9月の台風18号で多くの農家が被害を受けたことから、志摩社長が元気を出してもらおうと特別な鍋料理を考えた。
 直径3メートル、深さ1メートルのステンレス製の大鍋と台を特注した。機械で台に移動させ、豚肉100キロなどを材料に、女性たちが開催日の前々日から下ごしらえをし、大きなしゃもじでかき混ぜた。来場者は大量に作られ、よく味がしみ込んだ鍋をおいしそうに味わった。
 同社はイベントなどに大鍋を貸し出す。
【問い合わせ】電話75・0652、志摩機械

写真=豚汁が作られた直径3メートルの大鍋



2013年11月12日












水泳個人メドレーで日本新7回
舞鶴スイミングクラブ 亀井さん(80)今年のマスターズで
「85歳で世界新記録狙いたい」

 泉源寺の舞Iスイミングクラブに通う、亀井美尚(よしなお)さん(80)=上福井=が、今年行われたマスターズの80歳〜84歳のクラスで、個人メドレー200メートルと400メートルの2種目の短水路(25メートルプール)と長水路(50メートル)の2コースで、合計7回の日本新記録を樹立した。同クラブの成人会員たちが祝賀会を開き、約30人が亀井さんの地道な努力と大きな功績を讃えた。
 亀井さんは会社員時代に腰痛予防のため、41歳から水泳を始めた。全国各地を転勤しながらプール通いを続け、定年後に舞Iに帰郷し、同クラブの会員となった。
 自由形を続けていたが、70歳から健康のためにと4種目を泳ぐ個人メドレーを始め、75歳から本格的に大会に出場。2008年にはオーストラリアで行われた世界マスターズの400メートル個人メドレー(75歳〜79歳)で3位となり、日本マスターズの新記録も樹立し、京都府スポーツ賞を受賞している。
 今年から80歳〜84歳のクラスとなり、出場するたびに記録を伸ばした。現在の最高タイムは、5月に出した短水路の200メートル・3分32秒79と、400メートル・7分57秒44、10月に出した長水路の200メートル・3分33秒56と、400メートル・8分11秒74。
 200メートルは短、長水路ともに、日本新記録を更新し続けて現在の最高タイムとなったため、新記録を計7回樹立した。今シーズンを終え、来年2月末には4つの記録が日本新記録として認定されることがほぼ確定している。
 亀井さんは週5日クラブに通い、1時間半で約2・5キロを泳ぐ練習を続けている。大会でのライバルが試合前しか休まないと聞き、練習する日数を増やしたという。食事の栄養バランスを考え、毎朝のラジオ体操や腕立て伏せなども欠かさない。
 浜の飲食店「卑弥呼」で行われた祝賀会では、会員たちから花束と激励の言葉の数々が送られた。同クラブの奥東俊彦主任コーチ(35)は「亀井さんを自分に置き換えると、オリンピックに出場するようなもの。継続は力なりの人で、謙虚でひたむきな姿勢が、我々にとっても勉強になり、目標です」と話していた。
 亀井さんは、「85歳になったら200メートルで世界新記録を狙いたい」と、穏やかな笑顔で掲げた目標を力強く語っていた。


写真左=個人メドレー200メートルと400メートルの長水路と短水路の記録認定証と、偉業を成し遂げた亀井さん
写真右=花束を持った亀井さんと、功績を讃え祝賀会を開いた成人会員たち



由良川小と福井小合同で
福島へ松ぼっくり送ろう
クリスマスツリーなどの工作に

 丸田の由良川小学校(山口正裕校長)の2年生11人と、下福井の福井小学校(品田正明校長)の1、2年生42人が合同で11月7日、神崎海岸で松ぼっくりを拾い集めた。原発事故の影響で自然の植物を使った学習が制約されている、福島県の小学校の児童たちに送り、クリスマスツリーづくりなどの工作に活用してもらう。
 由良川小は昨年も、段ボール5箱分のドングリや木の葉を、提供を呼び掛けている「福島っこみどりの宅配便」を使って同県の小学校に送り、お礼の手紙とドングリなどを使った工作や楽しんでいる児童の写真が届けられた。
 今年は、校区が隣同士の福井小に山口校長が呼び掛け、合同での取り組みが行われた。福島県の子供たちが楽しい活動ができないことを山口校長から聞いた児童たちは、クリスマスツリーづくりに使えそうな、かさが開いているきれいな形の松ぼっくりを探し、松林の中を歩き回って拾い集めた。
 集まった約3000個は、砂を落とすなどして乾燥させた後、今月中に福島県いわき市立平第二小学校と同第六小学校に送ることにしている。

写真=神崎海岸の松林で松ぼっくりを拾い集める児童たち



2013年11月8日

ろうあ者と手話サークルメンバーたち
感謝の想い捧げる手話劇
聴覚障害者運動先駆者 故高倉さんの半生演じる
11月10日、両丹コンクールで披露

 聾学校舞鶴分校の開設や手話サークルの結成など、府北部で聴覚障害者運動の先頭に立ち、9月14日に98歳で亡くなったろうあ者の高倉正次(しょうじ)さんの半生を、舞鶴の聴覚障害者と手話サークルのメンバーたちが、11月10日に京丹後市大宮町で開かれる第35回両丹手話劇コンクールで披露する。父のような存在だった高倉さんへ、出演者たちは感謝の想いを込め演じる。
 舞鶴市溝尻町出身の高倉さんは、生まれた時から耳が聞こえなかった。地域の学校には行けなかったが、9歳の時に京都市の聾学校に入学し、小・中学部と11年間学んだ。
 戦後、聴覚障害者は仕事もないなど社会から取り残されている現実を変えようと、1946(昭和21)年にろうあ協会を設立。耳の不自由な子供たちの教育の場を北部につくろうと、まだまだ閉じこもりがちだった聴覚障害者に呼びかけ、自転車で走り回り署名活動をし、52(同27)年に聾学校舞鶴分校開設に大きな役割を果した。
 その後も市に働きかけ手話通訳ができる職員の配置、手話教室の開講、綾部市内に聴覚障害者の福祉施設「いこいの村」の建設へ尽くした。自身も9年前に同村に移ったが、車椅子に乗り集会などに出掛け話をした。周囲から「ちゃん」と呼ばれ慕われた。
 聴覚障害者協会舞鶴支部と手話サークル「つたの会」は、14年前にも高倉さんの半生を脚本にした「人として」を手話劇で演じたが、元気なうちにもう一度見てほしいと再演を決め、8月から練習を開始。しかし、高倉さんは体調を崩し訃報が届いた。一旦は上演するか悩んだが、追悼の気持ちを表そうと練習に励んだ。
 大道具など総勢50人が、学校に行けなかった少年時代など常に社会から排除された孤独感や悔しさ、戦後に学校づくりに取り組む高倉さんを描く。
 同協会支部長の冨永安雄さん(65)は「お元気でいてほしいと思っていただけに、亡くなられてとても残念です。高倉さんへのお礼や追悼の想いを込め演じたい」、つたの会会長の竹内由美さん(56)は「手話を学ぶ者たちは高倉さんを尊敬していました。熱い想いを胸に秘めた高倉さんの遺志を引き継いでいきたい」と話している。


写真=高倉さんの写真を手に舞台稽古をする出演者たち



→時間旅行博物館(タイムトラベルミュージアム)→再び→
11月10日、赤れんが配水池で

 北吸の海自隊つつじヶ丘宿舎東側の高台にある、赤れんが配水池(旧北吸浄水場第1配水池)特別一般公開に合わせたイベント、「時間旅行博物館(タイムトラベルミュージアム)」が、11月10日午前10時〜午後4時に開催される。一般社団法人torindo(トリンド・森真理子代表)、市、市教育委員会主催。
 国の重要文化財に指定されている旧海軍が整備した配水池内の高さ5・6メートルの導水壁に、1900年からの過去の写真や民具、子供たちや市民らが描いた2014年〜3000年までの未来の絵日記と映像が展示され、歩きながら過去・現在・未来の時間旅行が楽しめる空間として公開される。現代美術家・北澤潤さん(25)=東京都=の発案。会場では、未来の絵日記や1万年後の地球を描くワークショップも行われる。無料。
【問い合わせ】電話080・2411・0790、トリンド

写真=10月27日に行われた展示の様子(北澤潤八雲事務所提供 撮影:伊藤友二)



2013年11月5日

真倉の歴史日記でたどる
迫田さんが残した33年分 嵯峨根さん10年以上かけ編集
農業、行事、真倉駅など記録

 1921(大正10)年から53(昭和28)年の33年間、日記を書き続け、92(平成4)年に89歳で亡くなった真倉の迫田繁蔵さんの残した日記18冊を、抜粋して編集した地域誌が完成した。真倉の郷土史家、嵯峨根一正さん(72)が10年以上をかけてまとめた。いまは絶えた行事、養蚕や紙漉きの仕事、住民たちが労働を負担した真倉駅など、地域の歴史を知る貴重な記録になっている。
 迫田さんは1904年に生まれ、家業の農業などに従事し、中筋村役場で中筋村耕地整理の専従事務、舞鶴海軍工廠で記録工として勤務した。戦争には行かなかったが、戦地に出征した村人全員に手紙を書き送った。戦後は中筋農協などで働いた。青年団活動も熱心に取り組み、会報づくりを担当。活字に親しみ、新聞記事の切り抜き帳もつくった。
 真倉の郷土史づくりをした嵯峨根さんは、生前の迫田さんから昔の村の生活などを聞き、村を離れず真倉のために尽くした人柄に接した。亡くなって数年後、地域の貴重な記録が残っていないか遺族を訪ねたところ、33年間毎日つけた日記18冊が見つかり借りた。村の歴史の史料として残そうと、遺族の了解を得て関心のむくままに抜粋しまとめた。
 地域誌「サコダ シゲゾウと郷土」はA4版、289ページ。青年団の団員たちと夕食を終え氏神に参拝し、籠堂に集まり雑談にふけったこと(1922・大正11年7月1日)、24(大正13)年6月20日は父母らと田に出掛けた時のことを記す。「あたりの緑の若葉がなまぬるい風にゆれる。青葉の影に身をかくしてさえずる小鳥の声がたのしそ〜だ。こうした周囲の楽園にはたらくものの幸福よ!」
 27(昭和2)年1月10日は、「この私に歩むべき道は必ずある。『われこの村のために生まれたり』」と、自らの使命と郷土を愛する想いを綴った。31(同6)年4月26日は、念願だった青年団の会館落成の喜びを述べる。
 真倉駅着工までの住民たちの決断を、「昨夜ノ集会ハツイニ夜明ケマデ続行、六時頃ニナリ、ヨウヤク区民全力ヲツクシテ乗降駅舎完成ヘ邁進スルコトニ一決シタ」(49・同24年2月2日)と記し、その後も労働や資材などを住民が負担した様子を伝える。
 嵯峨根さんは「初めて日記を読んだ時、村の動きがもれなく書かれ、釘づけになった。迫田さんは温顔愛語で人に接し、地域のために尽くす信念で生涯を過ごされたことを、日記から強く感じました」と話している。
 5部作成し、東・西図書館、市郷土資料館に寄贈した。

写真=完成した地域誌を手にする嵯峨根さんと迫田さんの日記



田中町
小中学生が5年に一度
鈴鹿神社で伝統芸能奉納

 田中町の鈴鹿神社で10月27日、5年に一度の大祭が営まれ、境内の仮設舞台で志楽小児童7人と白糸中生徒2人が、伝統芸能を奉納した。演目は、4つの舞から成る「田中の三番(さんば)叟」、女子3人が演じる「姫三社の舞」、祝いの歌詞に合わせて背の高い男子が舞い踊る「徳若萬歳」。地域の安全や豊作を祈る演舞に多くの住民が訪れ、おひねりを投げたり、ビデオカメラで撮影するなどして見入っていた。
 同神社祭礼保存会(田端一男会長)が、中断されていた「田中の三番叟」と「徳若萬歳」を1974(昭和49)年に17年ぶりに、「姫三社の舞」を1989(平成元)年に32年ぶりに奉納し、1997(平成9)年に府登録無形民俗文化財に登録された。5年ごとに奉納され、今年は9人の子供たちが週3日、2カ月間練習を重ね、披露した。
 千歳、翁、扇、鈴の舞の順に奉納された「田中の三番叟」では、江戸末期から伝承されていると言われる翁の面などを着けた男子が、拍子木や鼓、笛などに合わせ舞を披露した。「姫三社の舞」では、女子3人が神々のにぎわいをリズミカルに表現し、「徳若萬歳」では男子2人が鼓と扇子を持って賑やかに舞い踊った。
 各演目を奉納したのは、次の皆さん。
 【田中の三番叟】一番叟・千歳の舞=福島希空(志楽小3年)、二番叟・翁の舞=成田了彗(同6年)、三番叟・扇の舞=櫻井大樹(同)、同・鈴の舞=七宝大翔(同)
 【姫三社の舞】安達日和(志楽小6年)、山本菜月(同)、山本佳奈(同)
 【徳若萬歳】植田智貴(白糸中3年)、馬場喜大(同2年)

写真=「田中の三番叟」を奉納する児童



2013年11月1日

特別連載・陸前高田へ
先祖の地 ここで生きたい
79歳の佐藤さん 木伐り自宅再建、米作りも
ドキュメンタリー映画の主人公に

 気仙川をさかのぼった津波でほとんどの家が流され、16人が犠牲となった陸前高田市気仙町荒町地区。ここに木の香りがする新しい家がある。この地で生まれ育ち農林業を営む佐藤直志さん(79)が、自分で伐り出した木で再建した家だ。元の自宅は2階まで浸水し、消防団員だった長男の昇一さん(当時47)が、老人を背負って避難の途中に波にさらわれ亡くなった。絶望の中、前を向き続けた。
 そんな佐藤さんが映画の主人公になっている。中国残留日本兵の悲劇を描いた「蟻の兵隊」で知られる池谷薫監督が、昨年8月に自宅が完成するまでの姿を追いかけ、ドキュメンタリー映画「先祖になる」を完成させ、各地で上映されている。仮設住宅に入らず、食料確保のため米作りも始めた頑固ぶりを紹介した新聞記事を読み、気になる存在だった。
 舞鶴からの一行の先導役を務めた同市矢作町の製材所代表の村上富夫さん(65)が、佐藤さんの話題を口にした。「親分」と呼ぶ親しい間柄だと分かり、10月12日出発前の朝6時に隣町に住む佐藤さん宅に、朝日を見ながら軽トラックで案内してくれた。早朝の押しかけ訪問に少し驚きつつ、気持ちよく自宅に招いてもらった。
 浸水地域から立ち退き、避難所や仮設住宅に入ることを市から求められたが、「先祖から住むこの土地を離れることはできない。ここに家を建て直し、生まれたところから旅立ちたかった」と、妻と娘と別居してでも電気も水道もない自宅にとどまった。
 震災後の4月。何もなくなったけれど桜の花はいつものように咲き、亡くなった人の供養と元気を出そうと花見をした。まだまだうちしおれる人が多い時期に、池谷監督が花見に驚き撮影を始めた。
 食料を自分で確保しようと、休耕田で米を作りだした。地区を離れる人が相次ぎ町内会の解散話が出て紛糾する住民集会で、元の場所に家を建て直すと宣言する。津波で枯れた被災木を伐り倒し、家の材料を準備した。被災の自宅を解体後は近くの納屋で冬を過ごし、再建費用を稼ぐため山仕事を続けた。
 「何も特別なことじゃない。当たり前のことを素直な気持ちでやっただけ」と、自分が映画になったことを不思議がる。映画はベルリン国際映画祭で特別賞を受賞し、今年の田植えにはドイツから16人が手伝いに来た。
 村上さんが電話で近くに住む菅野剛(たけし)さん(64)を呼び出した。いつも佐藤さんを支え続ける、静かながらとても大きな存在感のある人だ。菅野さんも自宅を再建した。佐藤さんらのこうした姿に背を押されるように、元の場所に住みたいと自宅を再建する人たちが増えてきた。
 今年、佐藤さんは菅野さんら仲間4人と組合を作り、酒造会社と契約して酒米の栽培を始めた。「震災でゼロになったけれど悲壮感はない。いまは楽しく過ごしているよ」と、無邪気な笑顔で話してくれた。真っ直ぐな心と優しい目がすがすがしい。震災の地に誇らしげに立つ家をあとにした。(青木信明)

写真=再建した自宅を前に「あたり前のことをしただけ」と話す佐藤さん(左)とその活動を支える菅野さん














団体戦3チーム 府で上位に
11月24日にクラブ対抗の近畿大会へ
ソフトテニス ひまわりクラブ

 ソフトテニスクラブの舞Iひまわりクラブ(南部照一代表)の3チームがこのほど、丹波自然運動公園で行われた「平成25年度京都府小学生ソフトテニス団体対抗大会」で上位の成績を修めた。男子、女子ともにAチームが優勝、女子Bチームが3位となり、24日に山城総合運動公園で行われる、クラブ対抗の近畿大会「第2回内田杯小学生ソフトテニス大会」に出場する。
 同クラブは月に10日ほど上安久の文化公園体育館で練習を行っている。クラブ員は小学1〜6年の65人(男子18人、女子47人)で、経験者8人が指導にあたる。
 団体戦はダブルス2、シングルス1の計3ゲームで勝利数を競う。同大会は男子15、女子28のチームがトーナメントで優勝を争った。
 コーチも務める南部代表(70)は、「チームがまとまり大きな声で声援を送っていたので、選手は力を発揮できたと思う。攻める時には攻めて粘り強くボールを繋ぎ、相手を見て戦法を工夫し、自分のプレーができるようになった」と大会の感想を話していた。
 各チームのメンバーと試合結果は次の通り。
 【男子Aチーム】波多野倫(ともき)(高野小6年)▽山本蓮(れん)(同)▽加藤光貴(みつき)(三笠小6年)▽川上敢(いさむ)(高野小5年)▽八木祐壮(よしたか)(宮津小5年)
 2回戦=亀岡ジュニアに3―0で勝ち▽準決勝=宇治ジュニアに2―1で勝ち▽決勝=朱三クAに2―1で勝ち
 【女子Aチーム】梅原未来(みらい)(明倫小6年)▽谷口虹波(ななは)(高野小6年)▽松本里紗(りさ)(同)▽島田理沙(りさ)(倉梯小6年)▽前穂乃花(ほのか)(三笠小6年)▽本条由芽(ゆめ)(中舞鶴小6年)
 2回戦=亀岡ジュニアBに3―0で勝ち▽3回戦=八幡スポ小に2―1で勝ち▽準決勝=亀岡スポ少Aに2―0で勝ち▽決勝=福知山ジュニアAに2―0で勝ち
 【同Bチーム】武藤和果奈(わかな)(倉梯小6年)▽市川葉瑠菜(はるな)(明倫小6年)▽大島夏帆(かほ)(新舞鶴小5年)▽長宗悠羽(ゆう)(中筋小5年)▽井川葵(あおい)(同)▽前明花(はるか)(三笠小5年)
 準決勝で福知山ジュニアAに2―1で負け3位

写真左=優勝した男子Aチーム
写真中=優勝した女子Aチーム
写真右=3位の女子Bチーム



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