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2012年8月31日

金色に輝く厨子 町の宝
神奈川大学院の近石さん 地蔵盆を調査
珍しい行事 舞鶴のPRに

 旧城下町の西地区の各町内会で8月23日に行われた地蔵盆を調査するため、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科の研究員、近石(ちかいし)哲さんが訪れ、金色に輝く厨子などを見て回り、地元の人から聞き取りをした。豪華な厨子を飾る舞鶴の地蔵盆は、他市ではほとんど見られない珍しい行事と指摘する。  近石さんは2010年から京都、若狭・小浜、舞鶴、宮津の地蔵盆の行事内容を比較する研究のため、飾り付けや伝承の仕方などを調査している。地蔵盆に関する民俗行事は文書がほとんど残っておらず、口承で伝えられているため研究は進んでいない。昨年、舞鶴西地区で地蔵盆に関して、いつごろ始めたのか▽厨子の管理・維持などを問うアンケート調査に取り組んだ。  この日は田辺城ガイドの会の伊賀原政子さん=京口=の案内で、竹屋町や平野屋の地蔵盆を巡り、地蔵菩薩を安置した金箔づくりの厨子を調査。竹屋町の芦田畳店に設置された厨子は、安政3(1856)年に作られたとされ、蓮の花の形の台に載る珍しい形態になっている。地元の女性が「昔は怖いおっちゃんがいてお地蔵を守っていたり、この日は男の子は買い物帳を持って自由に買い物が出来た」と説明した。  近石さんは「地蔵盆で金箔の厨子がメーンとなった飾りは、京都や小浜ではほとんど見られず、珍しいものです。マップなどを作って舞鶴の地蔵盆をもっとPRしては」と話していた。近く論文にまとめ発表する予定。

写真=竹屋町の地蔵盆の厨子を調べる近石さん(右)



常連の作家仲間が集う
サンムーンで作品展
胡麻のドイツカフェに

 南丹市のドイツカフェ「みとき屋」に集まる作家たちの作品展が、浜のギャラリー・サンムーンで開かれている。陶器や絵画などの作品のほか、カフェを営む井尻有香さんの夫で近松門左衛門の研究者、シャウベッカー・デトレフさんの翻訳本も並ぶ。9月2日は声楽家の井尻さんのコンサートがある。  東京芸術大学卒業後、ドイツで音楽活動もした井尻さんが田園の広がる日吉町胡麻に2009年カフェを開店、ドイツ菓子や料理を提供する。店内には関西大学名誉教授のデトレフさんの多くの蔵書が並び読書を楽しんだり、ライブ演奏が開かれたり、ギャラリースペースもある。  そんな空間に魅かれて知り合い、店の庭であるクラフト市にも出店する地元や京都市の作家仲間7人が、手作りの服やフェルトの人形、毛糸、染織、コラージュの絵画などを出品。デトレフさんがドイツ語に訳した近松の「心中天の網島」など、美術品のような装丁の著作も並ぶ。  同店の常連で陶芸家の鈴木勇子さんは「私が拠り所にしているみとき屋さんに集まる仲間たちを、ぜひ舞鶴の皆さんの文化拠点であるサンムーンで紹介したいと思いました」と開催の想いを伝える。展示は9月9日まで。  2日のコンサートは午後2時から。ドイツ菓子とハーブティーが付いて前売り1,500円。
【問い合わせ】電話63・4858、サンムーン

写真=陶芸や染織などが並んだ会場



2012年8月28日

真実をユネスコ世界記憶遺産に
舞鶴引揚記念館 2015年の登録目指す
66万人迎え入れた街から発信

 今年度から管理運営体制が市直営施設となった、平の舞I引揚記念館が、全国から寄せられた約1万2千点にのぼるシベリア抑留や引き揚げに関する収蔵品を、「ユネスコ世界記憶遺産」へ登録するために動いている。貴重な歴史資料として次世代に継承し、広く情報発信していくための取り組み。4月から学芸員も常勤し、職員らが収蔵品1点1点をデジタル化、専門家のアドバイスを受けながら、登録にふさわしい資料であるかを選考する作業を進めている。ユネスコの登録事業が2年ごとのため、最短で2014年3月の申請を目標にし、2015年の登録を目指す。  「ユネスコ世界記憶遺産」は、自然や建造物などの「世界遺産」、「無形文化遺産」と並ぶユネスコの3大事業の1つで、1992年に創設。文書や書物、楽譜、絵画、映画などの史料で、後世に伝える価値のある記録物を登録・保護することを目的としている。「アンネ・フランクの日記」や「ベートーベンの手書きの楽譜」など、現在世界で245件が認定されている。  認定基準は、複写や模写や偽造品でなく、記憶遺産としての本質や出所が確認されていること。世界的に無二の存在で、その損失や悪化が人類の遺産に損害となるもの、ある一定期間か特定の文化圏において多大な影響を与えたもの、などとされている。  昨年、炭鉱発祥地の福岡県田川市が、山本作兵衛さんの炭鉱記録画・日記等697点の史料で、日本で初めて「ユネスコ世界記憶遺産」に登録され、話題になった。同館はその例を参考に、田川市や文化庁などにも相談、情報収集や助言なども受けている。提供された引き揚げの資料が残した戦争の史実を、66万人を迎え入れた舞Iから発信するため、登録申請に向けて活動していく。  同館館長の山下美晴さんは「芸術性よりも、当時の近代化の記録としての価値が問われるのが記憶遺産。同館に寄せられたシベリア抑留者たちが命がけで日本に持ち帰られた、現地で書いた日記や手紙などの貴重な文字資料は、十分対象になり得る価値があると思っています。戦後70年近く経った今、後世に伝えて残していくための行動をしなければいけない時に来ていると思います」と話している。

写真=収蔵品のデジタル化作業をする職員



事件忘れず 平和願う
浮島丸追悼集会
300人静かに想いを馳せ

 青森県下北半島で強制労働に従事させられた朝鮮人労働者が、帰国のため朝鮮半島に向け乗っていた海軍特設輸送艦「浮島丸」が終戦直後の1945年8月24日、舞鶴湾内で爆沈し、549人が亡くなった事件から67年を迎える。8月24日、現場近くの下佐波賀の殉難の碑公園で追悼集会が開かれ、献茶や慰霊の舞などで犠牲者に想いを馳せた。  約300人が参加した集会では、主催の浮島丸殉難者を追悼する会の余江勝彦会長が「事件の背景を日本の歴史の中で考え、犠牲になられた人たちの立場になって語り継ぎたい。日本海が友好の船が行き交う平和な海であることを願います」と追悼の辞を述べた。続いて、多々見良三市長や在日韓国・朝鮮人団体の代表たちが殉難の碑に献花した。  今年は韓国茶道協会京都支部のユン・ドウシン支部長が初めて参加し、見つかっていない遺骨が早く故郷に帰り、平和な世界を願って蓮茶を碑と海に向かって献茶した。また、韓国伝統舞踊家のキム・イルチさんが慰霊の舞を踊り、京都朝鮮中高級学校の生徒が追悼歌を歌うなどした。  毎年参加する宮津市の小林美里さん(58)は「どんな思いで亡くなったのだろうと考えます。戦争はどちらの国の市民にも悲しみと傷を負わせます。引き揚げと浮島丸事件の起きた舞鶴は象徴的な場所です」と静かに海に向かって手を合わせた。

写真=爆沈した海に向け献茶をする韓国茶道家のユンさん(右)



2012年8月24日

デイの1日歌に乗せ
デイサービスセンター真愛の家
テーマソング作って歌う
利用者らCDもレコーディング

 「今日も笑顔でお迎えに 『おはよう』と声聞き一安心」 上安のデイサービスセンター真愛の家が、デイでの1日の生活を歌で紹介したテーマソングを作り、利用するお年寄りたちが毎日歌っている。デイでの様子を多くの人に知ってもらうため、利用者と職員たちが歌を吹き込みCDもこのほど作成した。  社会福祉法人真愛の家が1992年にデイサービス事業を開始し、送迎を受けて利用者たちが月〜土曜の午前9時〜午後3時半、入浴や食事などのサービスを受ける。要支援1以上ならだれでも利用できる。1日平均16、7人が利用する。  歌好きの利用者たちに口ずさんで楽しんでもらえる歌を作ろうと、2003年に同施設看護師の山本美智子さんが作詞を担当。デイサービスの1日を歌詞にし、「お座敷小唄」のメロディーに乗せ、センターのテーマソングにした。毎日レクリエーションの時間などに利用者たちが歌っている。  曲は1番から7番まであり、「デイへ着いてはお茶を飲み 健康チェックで入浴へ」から始まり、「午後のリハビリ体操と 楽器持っては歌うたい」「おやつ食べては帰り支度 挨拶終えたらバスに乗り」  「バスの見送り手を振れば 胸にジーンと父母思う 1人 1人を思い出し 明日の出会いを待ってます」「皆さん帰ったあとからは 忘れ物はと探します」とデイでの様子を親しみやすい言葉で紹介している。  山本さんは「利用者さんに家に帰ってからも大きな声で歌っていますや、この歌を歌わないとデイでの1日が始まらないと言ってもらっています。元気に楽しかったと言っていただくことが1番うれしい」と話している。同センターでは希望者や居宅介護支援事業者にCDを配布する予定。
【問い合わせ】電話78・2773、真愛の家

写真=完成したCDと作詞した山本さん



ほのぼの屋10周年で
シェフのレシピでクッキー
ビールにぴったり大人の味

 まいづる福祉会が運営するカフェレストラン「ほのぼの屋」の開設10周年を記念し、作られたオリジナルクッキーが人気だ。同店の糸井和夫シェフのレシピでつくったソースなどをクッキーにし、ワインやビールにもぴったり。  クッキーは5種類。カフェレストランの人気メニューにもなっている濃厚なイセエビのスープをはじめ、ピンクペッパーと組み合わせアンチョビをクッキーにした。このほか焼きチョコ、ココナッツ、みるくココアがある。  糸井シェフはスープを作りながら何かに利用できないかとアイデアを温めていた。各1袋80グラム入りで400円。大波下の同店のほか、とれとれセンター道の駅、なごみ本舗などで販売している。
【問い合わせ】電話66・7710、ほのぼの屋

写真=5種類のオリジナルクッキー



2012年8月21日

3冠の快挙おめでとう
日星高出身の上田選手
ろう者の卓球世界大会で金3つ
市民たちがお祝いの会開く

 日星高校出身で、日立化成所属の上田萌選手(22)=茨城県日立市=が、聴覚障害者たちが出場した今年の世界ろう者卓球選手権大会で、女子の団体戦・ダブルス・シングルスで金メダルを獲得したのを受け、卓球や母校の関係者の市民たちが8月17日夜、浜の勤労者福祉会館でお祝いの会を開いた。指導を受けた恩師やジュニア選手らに上田さんは囲まれ、感謝の気持ちと来年のデフリンピックへの決意を伝えた。  感音性難聴でほぼ両耳が聞こえない上田さんは、五歳から一条卓球クラブで卓球を始めた。小学6年生で全日本選手権に出場しベスト8に入った。白糸中学校から進んだ日星高卓球部で、全国高校総体に出場して健常者と互角に戦った。  東京富士大学に進学した2008年、聴覚障害者の五輪「デフリンピック」の日本代表に選ばれ、団体戦とシングルスで銀メダルに輝いた。日本のろうあ者の卓球界のエースとして活躍し、今春から社会人として競技を続けている。  舞鶴卓球協会と一条卓球クラブ、日星高を支援するステラ・ソルが主催して祝う会とデフリンピックへの応援を企画。多々見良三市長、卓球や日星関係者、友人ら約80人が集まった。出席者らは会食しながら上田さんと対戦した思い出などを話し、上田さんも相手の口元の動きを読み取り応じていた。  小・中学生時代に指導した同クラブ代表の小畑喜生さんは、サーブ練習の待ち時間にも素振りをしていたエピソードを紹介し、「萌は普段から全力で練習していた。誰よりも努力できる才能がある」と、ハンデを乗り越えるためひたむきに練習し、その姿勢はいまも変わっていないことを語った。同クラブ選手の千坂雄也君(余内小6年)と内藤雅明君(白糸中2年)が「これからも目標に向かって頑張ってください」「上田先輩の活躍がぼくらの励みになります」とエールを贈った。  上田さんは「たくさんの方にお祝いしていただきとてもうれしい。皆さんの応援を励みに来年のデフリンピックで自分の力を全て出し、いい結果につなげたい」と話した。  この日、上田さんは京都府から府スポーツ賞の優秀賞、舞鶴市からは市優秀スポーツ賞特別優秀賞を受賞した。

写真左=お祝いの会に集まった上田さんを囲む人たち
写真右=感謝の言葉と来年のデフリンピックの抱負を述べる上田さん



舞鶴の自然とふれあう
南三陸町の中学生たち
京都生協の招待で加佐地区西方寺平体験

 東日本大震災から2度目の夏を迎える宮城県南三陸町の中学生たちが、京都生協の復興支援の取り組み「海の虹プロジェクト」で京都に招待され、8月19日に加佐地区西方寺平を訪れて体験ツアーをした。炎天下の中、万願寺甘とうを収穫するなど、舞鶴の自然とふれあい夏休みを過ごした。  南三陸町の3校の中学1〜3年の25人が参加。8月17日に同町を出発し、18日は京都市内を観光、19日に舞鶴に入った。午前中は西方寺平の川の中を3時間かけて歩く、沢登りを体験。昼食は大庄屋上野家で、加佐の野菜とチキンのカレーをスタッフらと一緒に作り食べた。  午後からは、上野家近くの「添田さんちの万願寺畑」で、添田潤さんらの指導の元、万願寺甘とうの選果と収穫を体験した。大きさや曲がり、日焼けなどで「秀・優・良」に仕分ける選果作業では、初めて見る野菜にとまどいながらも選別するのを楽しんでいた。また、はさみでの切り方を習った収穫作業では、コンテナ6杯分、約60キロを獲った。  参加した歌津中2年生の三浦七海さん(13)は「舞鶴は自然がたくさんあって南三陸町に似ているなと思った。田んぼは津波に浸かって今もまだ使えないけど、畑仕事はしたことがあるので楽しかった。南三陸町より暑いなと思った」と話していた。  その後、西方寺平のゲストハウスでバーベキューなどを楽しみ、宿泊。20日は京丹後市を訪れた。

写真=万願寺甘とうの選果作業で質問をする南三陸町の中学生たち



2012年8月17日

被災地復興へ支援の輪広げよう
NPO法人ガバナンス舞鶴
いわき市の少年野球チーム招き親善試合

 東日本大震災被災地の復興支援活動を続けるNPO法人ガバナンス舞鶴(石橋裕志理事長)は、福島県いわき市の少年野球チーム「いわき菊田キッズ」を舞鶴に招き8月14日、行永の舞鶴球場で地元チームとの親善試合を開催した。  ガバナンス舞鶴は、震災後に緊急支援として、いわき市に仮設風呂の設置や物資を提供。同市では、野球を通じて復興をめざす「いわきベースボールタウンプロジェクト」として、2013年プロ野球オールスターゲームの誘致などに取り組んでいることを知り、昨年12月には、舞鶴東スポーツ少年団の野球チームが訪れ、交流試合を行った。  また、すでに亡くなったいわき市の引揚者が、シベリア抑留の強制労働で伐採した松の木の種子を持ち帰り、自宅で育てた松を舞鶴引揚記念館に寄贈して植樹していたことがわかった。こうした縁を大切にし、さらに復興支援の輪を広げようと、「松の木の絆」として、親善試合を企画した。  いわき菊田キッズの選手や保護者ら30人が来鶴。舞鶴東スポーツ少年団と福知山市の成仁ジュニアの3チームでリーグ戦を行い交流した。試合後、菊田キッズの選手たちが、手造りしたボール型のキーホルダーを対戦相手の選手にプレゼント。西牧竜之介主将(12)が「この機会を大切にして、これからも頑張っていきます」とお礼を述べた。  石橋理事長は「心のつながりが出来たと思う。これからもどんどんこの輪を広げていきたい」と話していた。  いわき菊田キッズの一行は15日、舞鶴引揚記念館や五老岳を見学して帰途についた。

写真=プレゼントを渡すいわき菊田キッズの選手たち



三笠小 昭和59年度卒業生
先生、退職おめでとう
定年祝って同窓会
元担任の畠中さん囲む

 昭和59年度の三笠小学校の卒業生たちが、6年生当時担任だった畠中好野さん(61)=木ノ下=の定年退職のお祝いを兼ね、8月12日、卒業後初めて同窓会を開き、懐かしい母校を訪ね卒業記念で制作した時計台を見学した。  3クラス122人が卒業し、その後は集まることはなかったが、今春に朝来小校長で定年退職した畠中さんの退職祝いに同窓会を企画した。地元にいる人をはじめ、お盆で帰省中の京阪神、遠くは東京など在住の35人と、元担任の3人が集まった。  この日、桃山町の三笠小に集まり、自分の顔を煉瓦に彫った作品を周囲に貼り付けた時計台を見学、自分の作品を探したり、タイムカプセルを埋めたことなどを次々と思い出していた。  畠中さんは「みんなで協力して時計台を作ったことが印象に残っています。集まってお祝いをしてくれることにとても幸せを感じ、教師をしていてよかったと思います」、卒業生で白糸中学校教諭の阪口靖敬さん(39)は「畠中先生はとてもエネルギュシュな先生で卒業後も懇意にしてもらいました」と話していた。

写真=卒業記念で作った時計台を前に思い出を話す畠中さん(左)と元教え子たち



2012年8月10日












町家活かし集いの場を
市民グループ 西地区の建物改修ワークショップ
第1回、8月19日に解体作業
貸しスペース、ギャラリーに

 城下町の魅力を発掘し地域の活性化を図る市民グループ「KOKIN」(大滝雄介代表)が、国道175号沿いの平野屋にある町屋「宰嘉庵(さいかあん)」の改修ワークショップに取り組む。コミュニティースペースやギャラリーの年内オープンに向け、明治期の建物で市民参加によって壁塗りや大工作業を進めて行く。  舞鶴出身で京都市在住の石田朝子さん(64)が、実家の隣にある町屋を購入し「宰嘉庵」と名付け、まちづくりのイベントや展示会場として利用してきた。建物は2階木造建てで1階には和室などを備える。道路に面した部分は明治初期に、離れ部分は昭和6年に建てられ、町屋の風情を残している。  同グループは建築関係者、会社員、公務員、学生ら20〜40代の17人で今年4月に結成。石田さんの想いを知り、地域づくりにと改修と運営を担っていくことにした。費用はメンバーらの出資金を充てる。  改修はギャラリースペースや中庭、土間づくりなどを行う。だれでも参加できるワークショップ形式(計5回)で進める。第1回は解体作業で8月19日午前9時半から。9月に大工作業とWAXがけ、10月に壁塗りと庭づくり。参加は無料。 1級建築士の大滝さん(30)は「町屋を活かして人が集うモデルケースの場にしたい。10年後の町並づくりに寄与できれば」と話す。石田さんは「地域の人たちが立ち寄り活性化につながれば。若い人たちに任せたい」と期待を寄せる。 【問い合わせ】電話090・7750・6596、大滝さん

写真左=計画を話し合う大滝さん(右)ら
写真右=改修する「宰嘉庵」



つながって継続的な支援を
絆・三陸へ行こう会
被災地へ物資届ける
近く市民報告会

 市民たちでつくる「絆・三陸へ行こう会」が8月6日、上安久の日星高校でミーティングを開き、東日本大震災で被災した岩手県釜石市などに支援物資を届けた活動の報告をした。メンバーらは小さな仮設住宅にはほとんど支援物資が届かず、復興には長い道のりがかかる現実を目の当たりにし、継続した支援の必要を痛感した。  昨年の震災直後と12月に続き3回目の活動。多くの人たちから食料品、衣類など2トントラック一杯の物資の提供を受けたほか、現金やイベント収益金など約70万円が寄せられた。市民7人が7月2日〜6日にかけ、陸前高田市などの仮設住宅5カ所を回った。  この日は関係者15人が集まり、活動した同高講師の齋藤亮壽さんが映像を使って報告。仮設住宅や町の物産店で津波の様子、町から離れた小さな仮設住宅は買い物も困難で支援物資も届かない、将来の復興への見通しもつかないなどを聞いた。また、訪問先の住民たちが食事の準備をして待っていてくれる大歓迎を受けた。  齋藤さんは「『生きてしまった』と涙した87歳のおばあちゃん、手渡した本を手に笑顔を見せてくれた少女の姿を忘れることができません」と語った。  同グループ代表の山内茂樹さんは「物資を届けることで生まれたつながりを活かし、今後求められる支援を続けたい」と話す。  被災地への関心と支援の大切さを伝えるため、市民に向けた報告会も近く開催する。

写真=映像を見ながら仮設住宅の様子を話す出席者ら



2012年8月7日

本社など後援
市長旗全舞鶴少年野球大会
球児たちの熱戦始まる
35チーム総勢450人が入場行進
少年の部ベスト4決まる

 第23回市長旗全舞鶴少年野球選手権大会(舞鶴野球連盟主催、舞鶴市民新聞社など後援)が8月5日、行永の舞鶴球場で開幕した。開会式では、日焼けした球児たちが闘志をみなぎらせて入場行進を行い、市長旗、舞鶴市民新聞社杯をめざした熱戦が始まった。  開会式では、学童上級の部15、同下級の部12、少年の部8の計35チーム、総勢約450人の球児たちが入場行進。内野に整列した後、国旗、市旗、舞鶴野球連盟旗を掲揚、昨年の優勝チームから市長旗などが返還され、レプリカが贈られた。  舞鶴野球連盟の倉橋貢会長が「野球はレギュラーの9人だけでは絶対に試合ができない。控えの選手がいるからこそ、チーム一丸となって試合に集中できる。このことを胸に暑さに向かって全力でプレーしてほしい」とあいさつ。馬場俊一副市長が「大好きな野球が出来るのは、いろんな人のお陰であることを忘れないで、感謝の気持ちを込めて全力でプレーを」と励ました。  与保呂スポーツ少年団(学童上級の部)の丹波元希主将が「日ごろお世話になっている人たちへの感謝の気持ちを忘れず、正々堂々とプレーすることを誓います」と宣誓。佐藤裕之教育長の始球式で、少年の部1回戦、与保呂スポ少A―舞鶴東スポ少の試合で熱戦の幕を開けた。  大会第1日は、少年の部1回戦4試合が同球場で行われ、ベスト4が決まった。学童上級の部は、隣接する東舞鶴公園陸上競技場で1回戦7試合が行われた。大会第2日の8月11日に2回戦4試合があり、ベスト4が決まる。大会第3日の同12日、舞鶴球場で、学童上級、少年の部の準決勝、決勝が行われる。  学童下級の部は8月26日、9月1、2日の日程で行われる。  大会第1日の結果は次の通り。  【少年の部】1回戦=与保呂スポ少A8―0舞鶴東スポ少、鶴友ク2―0中筋少年野球ク、高野ドジャース14―0与保呂スポ少B、舞星野球ク8―0南舞鶴スポ少  【学童上級の部】1回戦=中筋少年野球ク5―2与保呂スポ少、明倫ヘッピリーズ2―0舞鶴東スポ少、高野少年野球ク7―0三笠少年野球ク、共楽少年野球ク11―1南舞鶴スポ少B、南舞鶴スポ少A3―2志楽少年野球ク、余内少年野球ク5―3茜が丘ベースボールク、福井少年野球ク7―0池内少年野球ク

写真=選手宣誓する与保呂スポ少の丹波主将



眼鏡749個 開発途上国へ
舞鶴LC 市民の協力で第2次回収分発送

 眼鏡がないため仕事や勉強が満足にできない開発途上国の人たちに役立ててもらおうと、不要になった眼鏡の回収に取り組んでいる舞鶴ライオンズクラブ(富永明会長)は8月2日、浜の市商工観光センターで、眼鏡749個とレンズ約300個を梱包して、オーストラリアのリサイクルセンターに向け発送した。  眼科治療が十分に行われていない開発途上国では、視力検査の費用が高額で、矯正レンズで容易な近視や乱視などに対処できない。眼鏡がないために、仕事に就けず、勉強も進まないため、さらなる貧困に追い込まれているという。  ライオンズクラブ国際協会では、開発途上国支援の一環として、毎年数100万個の眼鏡を回収、オーストラリアなどのリサイクルセンターで、洗浄やレンズの度の強さごとに分類し、アジアやアフリカなどの人たちに届けてている。  舞鶴ラインオンズクラブも、この支援事業に取り組み、市内の病院や眼鏡店、スーパー、公共施設など20カ所に回収箱を設置。市民に協力を呼びかけ、昨年3月に第1次として眼鏡やレンズなど1,547個をリサイクルセンターに送った。  今回は第2次の回収分を発送。会員たちが、回収箱から眼鏡を取り出し、5個ずつ新聞紙で包み、段ボール箱に詰めた。老眼鏡や近視用眼鏡、サングラスなど様々で、いずれも修復して役立てられる。

写真=眼鏡を新聞紙で包む会員たち



2012年8月3日

夢舞台で集大成の走りを
城北中陸上部
女子400メートルリレーと100メートルで全国大会へ
リレーチーム、走るたびに更新
大会新記録で京都制す

 城北中学校陸上部が、女子の400メートルリレーと3年100メートルの2種目で、全国大会への出場を決めた。京都大会でリレーチームは大会新で優勝し、リレーメンバーでもある逢坂友利子さん(3年)が、100メートルで出場権を得た。全国大会前の8月6、7日に吹田市内で開かれる近畿大会にはこの2種目のほか、女子200メートルと同・低学年400メートルリレーも出場する。  400メートルリレーメンバーは若月茉菜果さん(3年)、福井天涼沙さん(2年)、池田真美さん(3年)、逢坂友利子さん(同)。7月27、28日の京都府中学校総合体育大会陸上競技の部で49秒40の大会新で優勝。市内と中丹、京都大会と走るたびに記録を更新した。  女子100メートルの逢坂さんは2位だったが、ベスト記録の12秒48が全国標準記録の12秒55を上回った。全国大会は8月20日〜22日、千葉市内で開かれる。  また、京都大会では女子200メートルで池田さんが26秒20で優勝、女子400メートルリレーで金子栞さん(2年)、千歳海理さん(1年)、逢坂沙恵子さん(同)、山下咲貴さん(2年)が52秒35で優勝し、近畿大会に出場する。  全国の舞台が最後の大会となる池田さんと若月さんは「楽しんで走りたい」「全ての力を出し尽くしたい」、女子キャプテンの逢坂(友)さんは「バトンパスを磨き決勝に残りたい。100は自己ベストを出し一番いいレースを」と臨む。  顧問の赤淵小百合教諭は「近畿と全国を目標に準備をしてきました。これまでの集大成として努力してきた成果を発揮してほしい」と励ます。

写真=400メートルリレーに出場する若月さん、福井さん、池田さん、逢坂さん(左から)



8月から富山市で
全国総文へ念願の出品
東高美術部 梅岡さん
日尾池姫神社 油絵で描く

 東舞鶴高校美術部の3年生、梅岡萌さん(18)=矢之助町=が、8月8日から12日まで富山市内の美術館で開かれる全国高校総合文化祭の美術工芸部門・絵画の部に、作品を出品する。蛇切岩伝説でも知られる与保呂の日尾池姫神社の風景を、幻想的な雰囲気で油絵の絵画(50号)で表現した。  昨年10月の京都総合文化祭に別の油絵で応募し審査の結果、今回の全国総文への出品権を得た。京都府内からは5人が選ばれた。梅岡さんは、JR東駅の自転車置き場の風景を選び、雨上がりで夕焼けを写す路面を油絵で描いた。  今年に入って出品に向けた新作に取り組み、題材に日尾池姫神社を選んだ。美しい村の女性が池に身を投げ大蛇に化身し、その大蛇のたたりを恐れた村人が、頭部を奉納したのが同神社とされる。苔むした岩がある境内の空気感に魅かれた。  部活動の時間や土・日曜にも学校で制作に没頭した。自分の想像力を大切にして写実的な風景にせず、光の当たり具合やもやの雰囲気、岩の質感を出すようにした。  部長も務める梅岡さんは「自分の描きたいイメージに出来上がり満足しています。いろんな高校生の作品を見るのも楽しみです」、顧問の奥野悦子教諭は「梅岡さんは創作の集中力がすごく、心ゆくまで描いています。全国総文で刺激を受けて自分の作品づくりに活かしてほしい」と話す。

写真=完成した大作と梅岡さん



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