春の若狭湾で潜水中、しばしばイカナゴの群れに遭遇する。体をくねらせた小魚の大群が空を覆うさまは壮観だ。イカナゴは暑いのが苦手で、夏の間は砂に潜って眠り、初冬に砂から出てきて産卵する。
イカナゴに釘煮という調理方法があるのを、多くの読者の方はご存知だろう。イカナゴの稚魚を醤油と砂糖とショウガで甘辛く煮詰めたこの料理について筆者が知ったのは、京大水産実験所に赴任して間もない頃、今から10年ちょっと前の春のことだ。兵庫県出身の学生が、「実家から届きました」とお裾分けをくれて、瀬戸内にそのような文化のあることを教わった。その後、大阪出身の学生が、「ばあちゃんが作りました」と、実においしい釘煮をくれた。つい最近、東京出張の折に寄った新宿のデパートの地下でも釘煮を見かけた。
「春にイカナゴ釘煮」なる文化は、古くから一般的なわけではない。瀬戸内海で春に多くとれるイカナゴは、以前はさっとゆでたものが主に地元で食されていた。これに付加価値をつけたいと考えたのが、当時、明石の漁協におられた鷲尾圭司さんだ。漁師の奥さんらと調理研究を重ね,釘煮として売り出し、西日本の春の風物として定着させるに至った。
鷲尾さんは、京大水産実験所で学生時代を送った大先輩の一人である。海の資源を持続的に利用するには、「どう食べるか」そして「どう売るか」まで考えることが不可欠である。マイワシの豊漁に沸いた1980年代、これを餌にしたハマチ養殖でもうけようというのではなく、雑魚と呼ばれる魚の食べ方を真剣に考えた鷲尾さんの慧眼に感心するばかりだ。舞鶴で学ぶ学生たちが、将来、鷲尾さんのように後の世の人々に感謝される仕事をしてくれると良いものだ、などと、釘煮をつつきながら思う春の宵であった。
写真=2012年4月21日、高浜町音海、今戸鼻西の水深2メートル付近を泳ぐイカナゴの群れ。錆色に輝く体が釘煮を彷彿させる。
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